第18話

 場違いなメイド服が人の群れへと歩み寄る。眼前には大柄な男の背中。

 芽衣子は男の肩を掴み、いともたやすく放り投げる。ゴミ袋を放るような軽やかさで、いともたやすく。放る、放る。


「嘘だろ?」


 パイモンは困惑した。無理もない。予定外に次ぐ予定外。その集大成が先ほどまで眼中にもなかった芽衣子なのだから、至極真っ当。当然の困惑である。

 しかしながら綾があえて連れてきた者に何の警戒もしなかったことは大きな失敗。


「言っていませんでしたが、五十鈴は元軍人です。それも規格外の」

「いやいやいやいや、こんなの人としておかしいでしょ? 普通に考えてあり得ないって!」

「悪魔がそれを言いますか?」


 綾の煽りも耳に入らないほどパイモンは呆然自失としていた。

 人の群れはみるみるうちに削がれていき、気づけば九朗の周りにいた者は皆あちらこちらに投げ飛ばされていた。


 芽衣子は九朗から叶を取り上げ、マントの中をガサゴソと漁る。

 赤い封筒を見つけると、叶本体を投げ捨てて忠犬のように綾の元へと戻る芽衣子。

 受け取った綾は両手で封筒を掴み、満面の笑みを浮かべる。


「どさくさに紛れて叶さんだけ逃がそうとしていた様ですが、コレがないと意味がないですね」


 言われるまでもなく作戦が失敗に終わったことはパイモンが一番よく理解している。強調するように説明されても打つ手が無いゆえに返す言葉もない。

 取り返そうにも芽衣子を前にしてはパイモンの配下は烏合の衆。


「さて……契約についてですが、私からの要望を変更させてもらいます」


 パイモンからすれば最も嫌なタイミングでの切り出し。

 しかし断れるはずもなく、綾の前にあった魔法陣は立ち消える。


「なんだい、言ってみなよ」

「叶さんを私の配下にしていただくことは可能でしょうか?」


 全て見抜いた上での綾の要求に、パイモンは首を縦に振ることができない。

 なぜなら叶はパイモンのものではないからだ。

 はなから破綻した契約。結べば途端に罰が下る。


「やはり無理ですか。叶さんは他の方とは様子が違ったので、パイモンさんの眷属ではないのではと思っていましたが」


 答えられずに沈黙するパイモン。その背後に一人の男が現れた。


「俺が許可する」


 突然聞こえた青年の声に、綾の眉間がピクリと動く。


「あなたは?」

「バラム。パイモンと同じ悪魔で、そこにいる女の主だ」


 淡々と必要な情報だけを述べていく簡潔な自己紹介。先ほどまでのパイモンの失態を見ての行動か、付け入る隙を感じさせない。

 しかしながら綾は探りを入れる様子もなく交渉を続ける。


「それで、バラムさんからの要望は?」

「豊田叶を死なせないこと」

「それはできません」


 間髪入れない即答の後、綾は話を続ける。


「ここにいる叶さんが、あなたの言うトヨタカナエでない場合。つまりは叶さんの視覚処理が鳥類的であるのいう推測から……」

「やはり気づいていたか。であれば――」

「もー、吾輩を置いて勝手に話を進めるな!」


 割って入るパイモン。バラムをどこか遠くに追いやり、電話口へと足早に戻る。


「もういい、今回は吾輩の負けだ。招待状を返してくれるなら、吾輩が無理なく行える範囲で願いを叶えてやろう」

「ですって、古谷さん」


 叶に背を向けながら、綾は随分と悪い笑みを浮かべる。

 綾がそれぞれ何を考えているのか、それとなく理解した九朗はスマートフォンを同情の目で見ながら首を縦に振る。


「分かった、好きにしろ」

「ありがとうございます。ではパイモンさん、あなたが叶さんに与えた魔術の使用権限を私に譲渡していただけますか?」


 一拍置いて、電話口から「あーっ!」と大きな声が聞こえた。

 叶の奥の手はあくまで借り物、魔術の所有権は依然パイモンにある。「無理なく行える」という制約を掛けたにも関わらず、想定以上の損失を被り、パイモンは叫ばずにはいられなかった。


「なにか問題でも?」

「ああ、無理なく行えてしまうの問題でね……」


 綾としては使える魔術が一つ増える。

 パイモンからすれば叶の選択を大幅に削がれ、単身での勝利は尚のこと困難と化した。

 是が非でも結びたくない契約。しかし話を切り出したのは自分。

 パイモンが指を鳴らすと、綾の前に再び魔法陣が現れる。


「ぐぬぬっ……クソッ! 持ってけ泥棒!」


 綾が手をかざすと魔法陣は途端に弾けて、青白い粒子と化して宙を舞う。

 契約が結ばれると綾の手の甲に一瞬だけ王冠のような紋様が現れ、すぐに立ち消えた。


「フフッ。思わぬ収穫、ですね」


 上機嫌に紋様の跡を指でなぞる綾。

 その様子を横目に、九朗はタバコを咥えて天井を仰ぐ。

 ルールやマナーを気にする余裕がない程に、九朗は憔悴しきっていた。

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