第15話

 綾の言葉に嘘偽りは無い。それは叶も知っている。

 ゆえに余計にたちが悪い。これ以上白を切るのも無理がある。

 ならばここで全て話してしまうのが得策であろうか。


 叶の中で結論は出ていた。現状を打破し得る奥の手は、ポケットの中にある。

 それを使えば意のままに事が進められる。

 しかし使えるのは一度きり。ここで切るべき札であろうか。


 答えはイエスだった。出し惜しんで破滅しては元も子もない。

 叶は勢いよくポケットに手を入れる。

 それと同時に鳴りだす着信音。


「ひゃっ!」


 別のポケットで震えるスマートフォンを慌てて取り出して叶は耳元に当てる。

 しかし向こうから声は聞こえない。


「もしもし……あれ?」


 画面を見ても、やはり通話状態のまま。

 首を傾げる叶の手元から九朗は素早くスマートフォンを奪い取る。

 耳元に当てるなり、聞こえてきたのは上ずった少年の声。


「はじめまして古谷クン、お話ができて光栄だよ」


 電話越しに少年は鼻を鳴らす。

 九朗は眉間にしわを寄せて叶を睨む。


「おーおー、そんな恐い顔はよしておくれよ。折角のアンニュイさが台無しじゃないか」

「何者だ?」

「いやいや、そんな名乗る者でもないよ。まあ、強いて言うならムーン読者で、君の一ファンで……ご察しの通り悪魔だよ」


 それは九朗が考える限り最悪のシチュエーションだった。

 この悪魔は九朗たちを監視している。

 そして手の内を明け透けに晒す。


 カメラとなるのは恐らく叶の目。

 視点を紹介するように、睨まれたタイミングでわざと反応を見せている。

 これが何を意味するのか、九朗には容易に想像が付く。


「で、要件は?」

「そんなに警戒しないでくれよ。吾輩は君たちと仲良くしたくて使いを出したんだ。その証拠にほら、こっちの手の内はちゃんと見せているだろう?」


 息をするように吐き捨てられる見え透いた嘘。少年の手の内は他に存在する。

 でなければこんな特異な力を雑に使うこともないだろう。

 しかし自身にはそれを見破ることはできない。


 九朗はスマートフォンを耳元から離す。

 スピーカーボタンを押すと、ざらざらとした僅かなノイズが周囲を包む。

 それを聞き、綾は悠然と笑みを浮かべる。


「もー、せっかく古谷クンと二人っきりでお話したかったのに」

「ごめんなさいね、悪魔さん。でも、九朗さんは望んでないと思いますよ」

「うぉ! なになに、正妻気取り? いいねぇ、そういうの嫌いじゃないよ」


 茶化す少年に対しても綾は表情一つ変えない。


「正妻もなにも、日本は一夫一妻ですから。法律でも変えない限り、あなたが九朗さんと結婚することは不可能ですね」

「言ってくれるね、お嬢さん。いや、ミセスと呼んだ方がよろしいかな?」

ミス・・ですよ、お坊ちゃん」


 喧騒の中にぽつりと生じた、半径1メートルの沈黙。

 電話口からの反応はない。

 言い含みのある「ミス」という言葉に、少年は感嘆していた。


「まず第一に、私は古谷さんの妻ではありません」


 開口一番に指摘された一つ目のミス。

 少年が綾に対する情報を持っていないという確たる証拠。であればましてや異能により心情や思考を読み取るようなことができないと推察できる。


 少年が仕掛けようとしていたのは悪魔という立場を利用したコールドリーディング。異能を用いて思考を読んだと誤解させる事により、交渉を有利に進めようとしていた。が、あと一歩といったところで頓挫した計画。


 しかし少年の関心は既にそこにはない。

 綾が頭に付けた「まず第一に」という文言が引っかかってしょうがない。

 ゆえに待つ。綾が何に気付いたのかを語らせるために。


「そして次に……いえ、これはまだ言わないでおきますね。そちら側の要件もお聞きしたいですし」


 こちらの情報を与えないまま交渉をはじめようとする綾。

 悪魔をはめる狡猾な話術。立場が逆転し、好機は窮地と化す。

 だが、考えれば考えるほど少年にこみ上げてくるのは純然たる笑いだった。


「いいね、最高だよ! 君、確か綾チャンだっけ? 覚えた覚えた。いや、むしろ忘れられないよ。僕に泥を塗ったのは……いや、君の前で余計なことを言うべきじゃないね」


 一通り笑い終えた後で少年は「さて」と仕切り直す。


「話を本題に戻すか。と言っても綾チャンのおかげで盛大に予定が狂ってしまったがね。単刀直入に言うと、吾輩は古谷クンと協力がしたいんだ」

「協力、ですか?」

「ああ。君たちも向かっているんだろう、猪碌館へ」


 その言葉を聞き、綾と九朗は目を合わせる。

 予期せぬ事態、ではない。事前の打ち合わせで二人は他の参加者からの接触がある可能性については十分に話し合っていた。


 予想外だったのは、その提案をしてきたのが悪魔である、ということ。

 異能を有する彼らは脅威に他ならない。しかし味方になるのであればこの上ない戦力にもなる。


 問題はどのようにこの面倒な少年の手綱を握るか。

 綾は静かに目を閉じて、何かを確信したようにニコリと微笑んだ。

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