第13話

 食堂は人で溢れ、カウンターの前には行列ができている。

 その最後尾に綾と芽衣子は並んだ。

 天井から吊るされた看板に載るメニューは多岐にわたり、綾の目がチラチラ泳ぐ。


 カレーにラーメン、生姜焼きから海鮮丼まで。

 数あるメニューの中から綾は狙いを三つに絞る。

 天ぷら御膳と中華セットとステーキセット。


「お次の方、ご注文は?」


 厨房の中からスタッフに尋ねられた綾は満面の笑みで即答する。


「天ぷら御膳と中華セットとステーキセットをお願いします」

「えっ、なんて?」


 思わず聞き返すスタッフ。しかし綾は先程と全く同じトーンで注文を繰り返す。


「あー、はいはい……。御膳と中華セットとステーキセットね。じゃあ、次のお客様……」

「五十鈴、どれにしますか?」


 芽衣子の後ろに並んでいた客を見ていたスタッフの視線が、再び綾の方へと戻る。

 綾とスタッフを交互に見て、芽衣子は耐えきれず下を向いた。

 なぜ要らぬことを言ってしまうのか、と。


 そのまま通り過ぎさせてもらえていれば二人仲良く分け合うのかと周囲を誤認させれたものを、それを許さぬ綾の言葉に芽衣子の内心には半ば苛立ちに近い感情すら沸き起こる。


 しかしながら三人前程度は綾にとっては朝飯前。

 むしろ彼女にしては周りの目を気にして弁えている方だ。

 主人の道化をどうカバーするか。


 思考を巡らせた末に芽衣子が選んだのは、恥を忍ばぬ捨て身の一手だった。

 わなわなと震える指が頭上のメニューを指さす。


「全部……いただけますか……?」


 何を言っているのかと首を傾げるスタッフ。

 無理もない。悠に30を超える品数を頼むなど、冷やかしと思われてもおかしくない行為だ。


 が、これで良い。

 芽衣子は財布を開き札束を四枚突き出す。

 口角はひどく引きつっており、とてもまともな状態でないのは誰の目から見ても明らかである。


「わ、わかりました」


 触らぬ神に祟りなしと言わんばかりにスタッフは会計を済ませ、ブザーを手渡す。

 それを受け取った芽衣子はぎこちない足取りで近くの席へと車椅子を押す。


「あの、五十鈴」


 名前を呼ばれて芽衣子はハッと我に返る。

 賢い綾には自分のいらぬ気遣いはお見通しで、大衆の面前で奇行に及んだことを叱責されるのではないかと。


「すみません、お嬢様……」

「いえ、何も謝ることはありませんよ。ただ、もし五十鈴がいいなら、全部ちょっとずつ分けてほしいな、と……」


 あまりに拍子抜けな要求に芽衣子は愕然とした。

 やはり綾の食欲は異常。

 しかしながら今回ばかりはその悪癖に助けられることになる。


 標準体系の芽衣子にとってメニュー全品を平らげるのは到底不可能なこと。

 しかし綾が普段通りの食欲を見せてくれるのなら、10人前ほどは減らせる。

 となれば残りは20品。サイドメニューもあることを考慮すれば12人前程度。


 不可能である。食べきれるはずがない。

 急いで九朗を呼んでこようか。否、背は高いが痩せた彼がそこまで大量にものを食えるとは思えない。


 芽衣子は両手で顔を覆い、先ほどの行いがあまりに早計であったと改めて悔いる。

 厨房では料理人たちが一心不乱に鍋を振るう。

 申し訳なさに打ちひしがれる芽衣子。その背後からツカツカと靴音が聞こえた。


「これはどういう状況だ?」


 九朗は訝しげに芽衣子を眺める。

 たかだか一人増えた所で、とあきらめ半分に振り返った芽衣子の目に先ほどの少女が映りこんだ。


「あの、先ほどはご迷惑をおかけしました!」


 直立したままぺこりと頭を下げる少女を見て、芽衣子は閃く。

 

「いえいえ。私たち、ちょうど今からお昼にするのだけど、よかったら一緒にどう?」

「あっ、いや、でもボクあまりお金持ってないので……」

「いいのいいの、お会計はもう済ませてるから」


 頭数を増やして負担を分散する。

 困惑する少女を半ば無理やり綾の隣に座らせて、芽衣子は九朗に目配せをした。

 察した九朗はため息交じりに芽衣子に耳打ちをする。


「いったいどれだけ頼んだ?」

「全部です」


 馬鹿馬鹿しさのあまり九朗は思わず苦笑した。

 しかしながら椅子には座り、肩ひじをついて芽衣子を見上げる。


「フードロスが嘆かれる昨今で、これだけ荒唐無稽な注文をするとは。君はアレか、年甲斐もなく承認欲求に駆られるたいタイプの人種かい?」

「違います! 元はといえばお嬢様が……」

「えっ、私なにかしちゃいましたか?」


 きょとんとする綾に、芽衣子は苦虫を噛むような表情で首を横に振る。

 そのやり取りを見て九朗はようやく全てを理解した。


「失敬失敬、これは来栖嬢が年相応……というにはいささか可愛くないものだが、まあ、そういうことか」

「はい、そういうことです」


 目を瞑り深々と頷く九朗と芽衣子。

 会話に置いていかれた綾は、頭にハテナを浮かべたまま二人の顔を交互に見ていた。

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