第9話

「こんな時に何をしているんだ、来栖嬢」

「転移魔術が実在するなら、私やってみたいことがあるんです!」


 場違いなテンションの高さに唖然としつつも、九朗はスマートフォンを拾って綾に手渡した。


「あっ、それともう一つ、さっき使っていたのを出してもらって……」


 細い指に操られるまま、九朗はもう一つスマートフォンを綾の後頭部に構える。

 構えたは良いものの、これから何をしようというのか到底理解ができない。

 ましてや突然悪魔が現れたこのタイミングで何をやろうとしているのか、と九朗は固唾を飲んで綾を見守る。


 敵を前にして余裕を見せる綾。

 予想だにしなかった反応に苛立ちつつも、バティンは平然を装いながら腕を組んで口を開いた。


「おいおい、状況を理解しているのかい?」

「はい。むしろあなたを封印する方法として、こんなのはどうかな、と思いまして」


 スマートフォンを両手に持ち満面の笑みを浮かべる綾。


「あなたが最初に封印された時、私が思うにあなたは本の中の人物に呼び出されたのではないでしょうか?」


 突拍子もない考察に九朗と良太はどういうことかと首を傾げる。

 しかしバティンだけは違った。

 目を見開いて頬を引きつらせ、隠しきれないほど露骨に狼狽している。


「転移魔術が呼び出しに応じて瞬間移動するものであるならば、あなたを呼び出す絵本というのはそれすなわち『無限に魔術を発動させる媒体』になる、ということですよね?」


 綾の推察は当たっていた。

 悪魔についての見識が深く、絵本を描ける夢久の存在はバティンにとっての天敵。

 しかしそれを見破られたところで夢久がこの場にいるわけではない。

 封印する術がないのであれば、用意される前に自身の弱点を知る者を消してしまえば良い。


「仮にそうだとして、君たちに今から絵を準備する時間はないだろう? であれば妾が先に君たちを葬り去って……」

「それができれば私たちは今頃、あの本のように消し飛ばされていたでしょうね」


 綾は余裕綽々といった様子でにこやかにバティンを眺める。


「倉木さんが追い詰められた時点で、あなたが私たちを消さない理由はありません。しかし私たちは今こうしてあなたの前に立っている。それはつまり、やりたいけどできない、と言うことではないでしょうか?」


 反論の余地もなくバティンは綾の言葉に打ちのめされる。

 指摘された通り、今のバティンに綾たちを消す力はない。

 本を一瞬にして消せたのも、単にそこに魔法陣が描かれていたからのこと。


 転移魔術を応用したハッタリも通じず、打つ手のないバティンはただただ硬直するのみ。

 しかし裏を返せば、今すぐにバティンを封印する術もない。


 であれば対策を練る余裕もある。

 が、綾は先ほどスマートフォンを使ってバティンを封印すると言っていた。

 一体どのような策があるのか、とバティンは訝しむ。


「さてと」


 準備ができた綾はスマートフォンの画面を自身の顔に向けた。

 開かれているのは撮影アプリ、インカメラで綾の顔がくっきりと映っている。

 向かい合ったもう一つ、九朗が構えさせられているスマートフォンに映っているのは綾の後頭部。


「今、ここには無限が存在します」


 カメラは向かい鏡のようにお互いの画面を移して、その中にさらに小さな画面を連鎖的に写している。

 何の遊びのつもりだろうかとバティンは首を捻る。


 だが、九朗は突然ゲラゲラと笑い出した。

 これから綾が行おうとしていることはあまりに滑稽で、それでいてバティンを封印するには最も理にかなった手法だった。故に笑う他なかった。


「失敬失敬……。見たまえ倉木君、これが本物の天才だよ」


 突然話を振られた良太はポカンと口を開ける。

 無理もない。たった一瞬で、散りばめられた可能性をつなぎ合わせて一縷の希望を導き出すことなど、凡人には出来ようはずもないのだから。


「さて、それではバティンさん、私を異次元に連れていってください」

「……え?」


 バティンは理解できなかった。

 なぜ綾はわざわざ自分が不利になるようなことを言っているのか。これでは敵に弱点を露呈しているのと変わらないではないか。と、笑いすら込み上げてきた。


「バティンさん、私を異次元に連れていってください」

「ああ、そう何度も言わずとて妾の耳には届いているわ。」

「バティンさん、私を異次元に連れていってください」

「フフッ……フハハハハハッ! よかろう、汝の願いを聞き受けよう!」

「バティンさん、私を異次元に連れていってください」


 何を言っても壊れた機械のように同じ言葉を繰り返す綾。


「バティンさん、私を異次元に連れていってください」

「おい、お前、妾をおちょくってるのか?」

「バティンさん、私を異次元に連れていってください」


 バティンは苛立ち綾に向かって拳を振るう。

 しかしその手は白い頬をすり抜けて空を切る。

 なぜこんな不可解な事象が起こっているのか。


 答えは単純明快。バティンは絶えず焼き増しされる一瞬の中に囚われたからである。

 インカメラの合わせ鏡。

 それが綾の導き出した『無限に魔術を発動させる媒体』であった。

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