第8話
唐突に出た「悪魔」というワードに、九朗と綾は顔を合わせた。
予想していなかった、といえば嘘になる。しかしいざ耳にすると、まるで胡散臭い宗教の話にも聞こえる。
つまるところ、九朗の大好物であった。
「ここらで悪魔絡みとなると、三年前に亡くなった……」
「お前は喋るな!」
ものすごい剣幕で怒鳴り声をあげる良太。
「俺があの本を見つけたのは、通報を受けて孤独死したジジイの家に行った時のことだ」
良太が語り出したのは、オカルト好きの間ではそれなりに有名な話である。
S市に居を構える絵本作家・
数千数万という莫大な出品の中でも一際オカルト好き達の目を引いたのは、十冊一組の古い本。
『悪魔の研究』と題されたそれが落札され数週間経った後に事件は起こった。
発端は落札者を名乗る者が掲示板に書き込んだとある一言。
[悪魔の研究には続きがあるはずだ]
はじめは半信半疑で掲示板を見ていた観衆も、本の要約と考察を聞くうちに、徐々にそれを信じ込んでいった。
しかしながら残りがどこへ消えたのかは誰も分からず、話題はゆっくりと下火になっていった。
「あいつらバカだよな。真っ先に現場へ入った俺が持ち去ったとはつゆ知らず」
嘲笑を浮かべる良太に綾は冷ややかな目を向ける。
「そんな自慢げにコソ泥を語られましても」
「違う、俺は悪くない! アイツが俺に頼んだんだ!」
「アイツというのが悪魔……バティン?」
綾の問いに対して良太は首を縦に振る。
バティン。ソロモン72柱に属する悪魔の一人にして、転移魔術を操る地獄の公爵。
「ああ、そうだよ。反吐が出そうな悪臭の中で、アイツは俺に語り掛けてきたんだ。『ここから出してくれ』ってな」
引きつった笑みを浮かべながら饒舌に語る良太。
しかしながらまだ綾たちの知りたい情報は聞き出せていない。
「それがあなたと悪魔の出会い、ということですか?」
「バティンは絵本の中に封印されていたんだ。大昔に得意の転移魔術を逆手に取られてまんまと嵌められたらしい。そこで俺は考えた。転移魔術で絵本の中に入ってしまったのなら、他の媒体にも入ることができるんじゃないかってな」
床に落ちているスマートフォンの一つを手に取り、良太は真っ黒な画面を指差す。
「俺は成功したんだ。この機械の中に『世界』を作ることに」
良太の話を聞きながら九朗は胸元から古びた手帳を取り出して広げる。
中には夢久の描いた絵本の切り抜きが、何ページにも渡って貼り付けられていた。
九朗がS市を訪れていた本来の目的。それこそが夢久の調査である。
切り抜きの一枚に描かれた紋様とスマートフォンに映る魔法陣を見比べて、九朗はクスリと笑みをこぼした。
完全な一致。
夢久の描いたそれが何を意味するのか、考えるだけで九朗の胸は高鳴る。
一通り考えつくしたところで、良太の方へと視線を移し、九朗はパタリと手帳を閉じる。
「失敬失敬。先人と比べてしまうと、どうにも君の間抜けさが際立ってしまってね」
「はぁ?」
良太が声を荒げてみても、九朗の嘲笑は止まらない。
「君、向井夢久の本は読んだことがあるかい?」
良太は首を縦に振り、「ああ」と生返事をする。
夢久の本は昔から有名なものが多く、良太も幼い頃に何冊か読んだことがあった。
「おそらく彼は悪魔を使って子ども達に夢を与えていた。手法は君と変わらない……いや、厳密には君のしていたことが彼の模倣というべきか」
そう言うと九朗は手帳を良太に投げ渡した。
唖然とするしかないほどに、その内容――絵本の切り抜きには既視感がある。
幼い頃に何度も見た、そして今では日々インターネットにばらまいている紋様。
夢久が何をしていたのか、良太にはすぐに理解できた。
自分より何十年も早く、より高い精度で少女たちに『世界』を提供していたのだ。
嫉妬心が沸き、表情は露骨に険しくなる。
「クソッ、俺と大した変わんねえのに先に生まれただけ……」
「いいや、彼は君と違ってとても
九朗は良太の手から手帳を取り、ある1ページを開いて見せる。
描かれているのは絵本を持った一人の少女。ページの端には悪魔を呼ぶセリフが添えられていた。
「私も悪魔の研究については調べさせてもらったが、どうにも奴らは契約というものを随分と重んじるらしい」
九朗はまたコートのポケットを探り、今度は古びた本を次々と取り出す。
表紙を見て良太は驚きを隠せなかった。
全十巻のそれは、紛れもなくオークションにかけられていた『悪魔の研究』の残りだった。
「君が持って行った……そう、例えるなら11巻はここまでの内容を全て理解した上でようやく利用できる代物だったんだ」
良太の背筋に悪寒が走る。
本能的な恐怖。背後に気配を感じるが、どうにも体が動かない。
「やあ。呼んだかい、リョウタ」
中性的な澄んだ声に九朗は視線をゆっくりと交番の外へと向ける。
長い白髪を揺らして三人の方へと近づいてくる中世貴族のような出立の若い女性。
突然現れた異質な存在に、九朗は眉をしかめる。
「バ、バティン、遅かったじゃないか……」
「まったくだ。
バティンと呼ばれるその女がパチリと指を鳴らしす。
まるで魔法を掛けられたかのように、床に落ちた本が白い炎に包まれてものの数秒で消え去った。
目の前でまざまざと見せつけられる怪現象。
張り詰めた空気の中、綾は精一杯手を伸ばして床に落ちているスマートフォンを拾おうとしていた。
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