第3話

 エンジンを噴かし、車は静かな峠を走る。

 時刻は午後二時、沈黙が続く車内で口火を切ったのは綾だった。


「あなた、何をしているのか分かってます? 誘拐ですよ、誘拐」

「人聞きが悪いな。私はただ君の背中を押しているだけだよ」

「物理的に、ですか」


 ヘラヘラとした九朗の表情に、綾は頬を膨らませる。

 実際、綾も魔法について気にならない訳ではない。むしろ頭の中はどのような魔法が事件に使われたのかでいっぱいである。


 それを見透かされたようで、綾は一層苛立っていた。

 九朗はタバコと手に取り、慣れた手つきで火を付ける。

 綾は顔をしかめて窓の外に視線を移す。


「それで、私を現場に連れて行って探究心を焚き付けようと?」

「ああ、君はきっと気に入るよ」

「でしょうね。大した洞察力です」


 万事九朗の手のひらの上で転がされている現状、綾にできるのはせいぜい多少の悪態をつく程度。

 むしろこんな態度を取れるのは、九朗が綾に手を出さないという確証があるからでもある。


「しかしまあ、どうして私が名無しの迷宮破りと?」


 綾にとって目下最大の謎。

 確かに都留岐と迷宮破りの関係性を疑うことができたのも理解はできる。そして都留岐と綾に血の繋がりがあるのも間違いではない。


 が、そこから迷宮破り=綾とするのは些か論理の飛躍がある。

 少なくとも都留岐の血縁を辿るだけでも候補はごまんと存在するのだから、決め打ちをするには証拠が足りないだろう。


 はたまた手当たり次第に訪ね回っているのかと考えてみたが、頭の中で「それは無い」と綾は断じる。確証は何もない。が、先ほどからの九朗の発言には、随分と都留岐に詳しそうな言い含みを感じる。


「もしやお爺様の熱烈なファン、とか?」

「二十点」


 まるで興味がない、といった風に九朗は表情一つ変えずハンドルを切る。


「とはいえ興味が無いと言えば嘘になるな」


 曖昧な答えに煮え切らない様子で綾は九朗を横目で睨む。

 なおも続く連続した曲がり道。

 その先に見えてきたコンビニに向けて、車はウィンカーを上げる。


「さて、ここらで少し休憩を取ろう。何か欲しいものは?」

「ありません」


 刺々しい綾の口調に嘲笑を浮かべながら、九朗はタバコの火を消して車を停めた。


「素直になればいいものを」


 車を降りてゆったりとした足取りでコンビニへと向かう九朗。

 遠ざかる背中を眺め、綾は小さなため息を漏らす。

 実のところ、かなり腹が空いていた。


 それもこれも全て九朗のせいである。

 昼食時に割って入った突然の来客。そして流れるような拉致までの展開は、流石の綾にも予測すらできていなかった。


 取り損ねた昼食を夢想しながら、綾はまたため息を漏らす。

 視線の先にはコンビニから出てきた九朗の姿が。手にはパンパンの小さなレジ袋がこれ見よがしにぶら下がっている。


 車のドアが開き、乗り込んだ九朗はすぐに袋から缶コーヒーを取り出す。

 カチンと音が鳴ると共に鼻をくすぐる香ばしい匂い。

 綾はゴクリと生唾を飲む。


 しかし一番の狙いはまだ袋の中。

 横目、と言うにはいささか熱い視線が注がれているのは、頭だけチラとはみ出した三角形のパッケージ。


 ——サンドイッチだ。


「はて、私はコンビニへ行く前、確かに欲しいものは無いと聞いたはずだが」

「はい、確かに……」


 確かに言った。言ったものの背に腹は代えられない。

 素直に欲しいと言ってみようか。否、九朗は首を垂れる自分を見ながら、満面の笑みで食事を済ますに違いない。

 そう考えた綾はとっておきの策に出る。


「しかし良いのですか? これから謎を解くというのに、私の頭が冴えないままで」

「そう来たか」


 目的に向けた必要性へのすり替え。

 綾の空腹を満たすことが九朗にとって必要なこととなれば、サンドイッチは否が応でも渡す他ない。


 いったい次はどのような手に出て来るのかと、綾はじっと身構える。

 が、九朗はサンドイッチを掴むと、綾の膝にポンと置いた。

 あまりの呆気なさに綾は言葉を失う。


「どうした? 食べてくれるんだろう、私のために」


 改めて口にされると恥ずかしさがこみ上げ、細い指がサンドイッチの周りを右往左往する。

 目的は達成した。にも関わらず胸に残る大きなしこり。


「試合に勝って勝負に負ける、とはこのことですか……」

「はて、何と戦っていたのだか」


 わざとらしい煽り言葉に綾は頬を膨らませる。

 九朗はドリンクホルダーに缶を置き、サイドブレーキを下ろす。


「もう車を出すが、まだ食べないのか?」

「たっ、食べます!」


 ふくれっ面のまま綾はサンドイッチの包装を破り、大口で頬張る。

 ごくりと飲み込んだ後に、不満げに小さな声で「美味しいです」とつぶやいた。

 それを聞いた九朗はクスクスと笑みを浮かべる。


「ちょっと、なにがおかしいんですか!?」

「失敬失敬、素直すぎるのもなんだな」


 九朗は曖昧に言葉をにごし、再び車を走らせた。

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