第2話
綾は名刺を受け取り、じっくりと眺める。
大きく印刷された三角形のロゴマークは月刊ムーンのもの。
その手のジャンルに興味のない綾でも知っている有名雑誌だ。
綾は名刺を机の端に置き、動揺したままの給仕に優しく「下がって」と告げる。
二人きりになった部屋で九朗は床にあぐらをかき、頬杖をついてじっとりと綾を見上げた。
「さて、猪碌館での神隠し事件については知っているかな?」
「一家五人が行方不明になった……」
「いかにも」
長い瞬きをして、九朗は遠くを見つめるように語り出す。
「現場は孤島の古びた館。他に住民はおらず、生活品を詰んだ船が週に三回来るだけの小さな島だ」
九朗の語る事件について、綾はよく知っていた。
事件が発覚したのは八月十五日の水曜日。
いつものように荷物を持って来た船乗りが、いつもは船着き場で待っている給仕がいないことを不審に思い、急いで館へと駆けつける。
しかし何度呼び鈴を鳴らしても中から反応は無く、それどころか人ひとりいる気配すら感じられない。
船乗りは致し方なくその日は帰った。
二日後、船乗りはまた館を訪れる。
しかしまた反応がない。
不審に感じた船乗りは警察を呼んだ。
数時間経ち、やって来た警察が館に入ると、やはり一家はいなかった。
とりわけ変わったものと言えば、長机に残されたすえた臭いの食べ残しのみ。
争った形跡もなく、捜査の手掛かりとなるようなものも見つからない。
後日、ヘリによる島全体の捜索を行ったが、やはり人の影はどこにもない。
これ以上続けても時間を無駄に浪費するだけ。
と、警察はそこで調査を打ち切った。
ざっくりと語り終えたところで九朗は再び視線を綾の方へと戻す。
「ではここからが本題だ。彼らは果たして何処へ消えたのか、彼らの身に何があったのか、君の意見をお聞かせ願おう」
「測りようがありません。確かこの事件、迷宮入りしたのでは?」
この事件にはあまりに不可解なことが多い。
第一に警察が訪れた際、この館の出入り口には全て鍵が掛かっていた。
さらには一家が使うボートも船着き場に残ったまま。
食堂の様子から事件があったのは食事時。
朝昼晩、いつ起きたのかも分からなければ何日前に起きたのかすら不明だ。
しかし船乗りが島へ週に三度来ているため、数日中に起きたとは考えられる。
「いいや、まだ考慮し損ねていることがあるはずだ」
争った痕跡すらないとなると、それが起こったのは一瞬のこと。
複数人が一斉に、一瞬で消える。
そんなことが起こったのであれば、それはまるで――
「――魔法でも使ったのでしょうか」
綾の口から漏れる言葉。
その様子を見た九朗は随分と嬉しそうに頬を緩ませた。
「流石は都留岐のお気に入りだ。いや、凡人でもその言葉は出る。しかしながら真にそう思って口にするのは、本当に流石としか言い様がない」
「あくまで例えの話です。本気で魔法があるなんて……」
九朗は立ち上がり、綾の背後へと回り込む。
「無くては証明できないものもある。少なくとも三つはあった。違うかな、
耳元でささやかれた言葉に、綾はゴクリと唾を飲んだ。
名無しの迷宮破り――難攻不落の怪事件を次々と解決してきた、オカルト界隈の有名人である。
正体は他ならぬ綾その人である。が、そのことを知る者はいない、はずだった。
「何から何までお見通し、という訳ですか」
「記者を舐めないでくれたまえ。調べれば分かることは大抵分かるんだよ」
そう言うと九朗は胸元からよれた手帳を取り出した。
開くと中にはびっしりと癖の強い文字が、ページの端まで詰まっている。
どうやら綾について書かれているようだ。
「君が表舞台から姿を消したのは三年前。奇しくも都留岐の死亡時期と一致している。界隈の有名人が立て続けに消えたんだ。何かあったのではないかと推察するのは至極当然のことだろう」
九朗の考えは的中していた。
都留岐の死後すぐに遺産相続の場で起こった事件。綾にとって探偵を辞めるきっかけとなったそれもまた、魔術でも無ければ証明できない難問であった。
思い出すほど卑屈になる心。
「魔術があったとして、私が迷宮破りだったとして、これが私に解ける謎とは限りません。まして私は魔法の専門家ではないのですから」
うつむく綾の肩が揺れる。
なにもむせび泣いているのではない。
九朗が車椅子を押しているからだ。
「えっ、ちょっと、いきなり何をするんですか!?」
「今からこれが君に解ける謎だと証明してあげよう。安心したまえ、ここにちょうど魔術の専門家もいるじゃないか」
足取り軽く書斎を出る九朗。
慌てて駆け付けた給仕が腕を掴んでも、やはり止まる様子はまるでない。
「待ってください! どこへ連れて行くんですか!?」
「魔術が使われた現場だよ」
給仕の制止もむなしく九朗は綾を連れて屋敷を飛び出し、古風な黒いセダンに乗り込んだ。
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