迷宮破りの天才少女はオカルト記者に解かされる

たしろ

来訪者

第1話

 くるくると回るビニール傘を霧のような雨が静かに濡らす。

 少女はピンクの小さなポーチを胸元に大事そうに抱き上げながら、アスファルトのくぼみに溜まった雨水を避けて歩く。


 石塀に挟まれた直線状の道をしばらく進むと、次第に見えてくる鈍色のネットフェンス。その手前に立つ白い看板の前で少女は足を止めた。

 平屋一棟分ほどの開けた砂利地には申し訳程度の遊具とベンチ。


 先客は誰もいない。雨のせいか。否、元より誰も立ち寄らない小さな公園だ。

 少女はブランコのシートに溜まった水を手で弾き、ゆっくりと腰を下ろす。

 見える光景はたいして変わらない。幾分視点が低くなったため、余計に周囲の水たまりが気になる程度。


 ピコン、とポーチの中で何かが鳴る。

 しかし少女はただぼんやりと遠くの空を眺めていた。

 ピコン、ピコン。気を引くようにそれは何度も鳴る。


 致し方なくポーチを開いてみれば、スマートフォンの画面が付いていた。

 待ち受け画面には子供らしくない、幾何学的な変わったマーク。

 視線を落した少女の口からポツリと言葉が漏れる。


「幸せを呼ぶマークなんて……嘘ばっかり……」

「嘘じゃないよ」


 突然背後から聞こえた声に、少女はビクリと振り返る。

 そこにいたのは見覚えのない白髪の女。少女の頭のすぐ後ろからポーチの中を覗き込んでいる。


 驚き飛び跳ね、傘を投げ捨てる少女。

 しかし女はその腕を掴み、逃がないようにと身を寄せる。

 今にも悲鳴を上げそうな口を手で塞ぎ、少女の耳元に唇を近づける。


 少女には女の言っていることが理解できなかった。

 しかしながら「いい?」と同意を求められると、震える瞳は縦に揺れる。

 女は満足そうな笑みを浮かべて少女の顔を覗き込む。


「それじゃあ、行こうか」


 女がパチリと指を鳴らす。瞬く間もなく二人は消えた。

 裏返った傘にはポツリポツリと雨が溜まる。

 雨が去り、日が明け、少女の捜索願いが出たのは更に翌日のことだった。



  ◇◇◇



 その封筒が届いたのは夏の終わり、よく晴れた日のことだった。

 見知らぬ差出人の名前を奇妙に思いつつ、痩せた白髪の少女・来栖くるすあやは封を開く。

 入っていたのはペラ一枚の招待状。


 書斎の窓から差す木漏れ日が鮮やかに机上を照らす。

 なぞるように文字を追う淡い青の瞳。

 長い書面に目を通す中、殊更に綾が気になったのはある建物の名であった。


猪碌館いのろくかん……」


 それはかつて綾の祖父・都留岐つるぎが所有していた離島の館。

 綾の脳裏にちらと過る、懐かしくもおぼろげな赤い屋根。

 軽食を持ってきた給仕が綾の後ろからチラと書状を覗こうとする。


「お嬢さま、そちらは?」

「悪戯でしょう。気にしなくていいですよ」


 綾は大きく横に首を振った。

 書状には「猪碌館を賭けたゲームを開催する」といった文言がある。

 見るからに怪しい。参加すれば何か事件に巻き込まれるだろう。


 招待状を畳んでにこやかに微笑んでみせる綾。

 しかし視線はすぐに下を向く。ブランケット越しにでも分かるマッチ棒のような細い脚を乗せた、車輪の付いたビニールの椅子。


 もしも自分の脚で立てるのならば、漫然と参加の意を表明したのだろう。たとえ危険があろうとも、綾にとっては祖父の遺産はそれに見合うだけの価値がある。

 そして綾にはそれを乗り越えるだけの資質・・もあった。


 が、不自由な脚が彼女の自信を根こそぎ奪う。

 幼い頃、事故に遭った際の後遺症だと都留岐からは聞かされている。

 もっとも綾には事故に遭う以前の記憶が無い。


 綾の評する自分とは『人の手を借りなければ何もできない存在』。そんな者が何かを成そうなど、行き過ぎた考えである。

 故に綾は片田舎の屋敷にこもり、給仕達に支えられて無為な日々を過ごしていた。


 それでいい。それでいいと綾は自分に言い聞かせていた。

 が、猪碌館は別である。

 なにも祖父との思い出の場所であるから気になったのではない。


 都留岐の遺産の中でも屈指の曰くつきであるこの館は、相続した叔父一家が行方不明となり、今では引き取り手が現れずにいるという。

 他人の手に渡れば、また同じ惨劇が起こるかもしれない。


 考えるだけでも綾の背筋に冷や汗が流れる。

 都留岐の孫としての責務。か弱い少女の限界。

 相反する二つの感情が綾の胸を締め付ける。


「はぁ……」


 薄い唇から漏れるため息。

 カンカンカンカンカン。

 憂鬱をかき消すように、けたたましく呼び鈴が鳴り響いた。


「は、はーい!」


 給仕は急ぎ玄関へと向かう。

 予定にない来客を綾は訝しむ。

 屋敷にこもり早五年、こんなことはただの一度無かった。


「失礼するよ。書斎は、こちらか」


 調子の良さそうな男の声と共に、つかつかと足音が近づいて来る。

 その後を追う給仕はひどく焦っている様子。


「やあ来栖嬢、ご機嫌いかがかな?」


 ノックも無しに書斎に入って来たのは、真っ黒なコートを羽織った目つきの悪い長身の男。

 歳は三十そこらか、気取った口調の割には随分と表情は死んでいる。


 後を追って戻って来た給仕に手を引かれても男はピクリとも動かず、空いた右手で胸元から封筒を取り出す。

 目を見開き生唾を飲む綾。様々な思考がほんの一瞬の間に彼女の脳を駆け巡る。


「……それは?」

「実に良い反応だ。君の手元にあるのと同じ、猪碌館への招待状だよ」


 綾は思わず眉をひそめる。

 無理もない。素性も知らない男が、目の前に悩みの種を突き付けてきたのだ。動揺しない方がおかしな話である。


「……いったいどのようなご用件で?」

「尋ねるまでもないだろう。いや、むしろ私が尋ねるためにこんな辺鄙な場所を訪ねているんだ」


 突き出される封筒を凝視して、綾は思考を研ぎ澄ませる。

 要件を尋ねるまでもない、ということは十中八九招待状の件について話に来たのだろう。むしろ綾にとって自分と男の共通点はそこ意外には見出せない。


 ではこの男は何を尋ねに来たのか。

 招待状についてならば参加の意を問いに来たに違いない。

 であればと綾は無難な答えを返す。


「分かりました、私は辞退させていただきます」


 参加者にとっては敵は少ない方が良い。

 ましてや他人の家に許可も取らずに押しかけてくるような者と対立しようものならば、何をされるか分かったものではない。


 綾は給仕を手で制し、男が帰るのを待つ。

 しかし男が見せたのは満足感とはかけ離れた、どこか悲し気な表情だった。


「そんな小賢しい答えを聞きに来た訳ではないのだがね」


 男は床に膝をついて綾と視線を合わせる。


「では少し話を変えよう。猪碌館に呼ばれた者同士、少々込み入った話を……と言っても半ば取材のようなものになってしまうが」

「取材……ですか?」


 綾は男の意図が読めずにただただ困惑する。

 押し寄せる謎の群れに顰む眉。対面する目は随分と楽し気にそれを見つめており、綾にはかえって不気味に見えた。

 男は胸元に手をやり、今度は一枚の名刺を取り出す。


「失敬、申し遅れていたね。私は古谷ふるや九朗くろう、オカルト雑誌の記者だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年11月30日 18:06
2024年12月1日 18:06
2024年12月2日 18:06

迷宮破りの天才少女はオカルト記者に解かされる たしろ @moumaicult

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画