第2話 転植活動

 しかし、今この扶桑さんて女の人『異世界』って言わなかったっけ? 

 俺は思わず目を見開いた。

『異世界に来ませんか』って言ったよな?

 異世界ってあの異世界?

 剣と魔法のファンタジー? エルフとかドワーフとか竜とか妖精とかいるやつだったりする?

 俺の脳内の恐怖を一気に塗り替えて驚愕と歓喜が沸き起こる。


 ライブ会場で数万人の観客から拍手喝采を浴びているような、死闘を尽くしたRPGゲームで壮大なクリアムービーが流れているような、とにかく表現のしようのない強い興奮が俺を支配して、一瞬にして自分が通勤中に倒れて死にかけていることなんて忘れてしまった。

 

 急展開の言葉に、思わず俺は叫んでしまう。


「よっしゃああああああああ!!!!」

 俺はガッツポーズをした。

「異世界転生キター!!!!!」

 両手を上に突き上げ、絶叫する。


 素でこんなに叫んだのは何年ぶりだろう。多分中学生の時位ぶりだ。久々の絶叫は爽快だった。


 社畜で通勤時間とランチ時間と寝る前の数十分しか娯楽に使えない俺は、僅かな余暇を動画でアニメを見たり電子書籍や小説サイトで小説を読むのに費やしていた。

 最近の好みはチート主人公が活躍するアレである。デスマの最中でも、上司の理不尽なお叱りの最中でも俺にもチートがあればなぁなんて妄想と厨二心だけは元気に持ち続けていた。

 その願いが今実ったというのか。

 俺が叫んでしまったのもやむを得ないことだった。


 扶桑さんは、一瞬目を丸くしたが直後、柔らかく笑う。

 全ての所作が上品で美しい。祟るって言ってたけど本当にこの人が祟ったりするんか? 信じられない。

「ちいと? とはよくわかりませんが……そうですね、ここはあなたが思うような世界に近いです。妖精がいて、竜がいて、ドワーフやエルフもおります。人族ももちろんいますよ」

「マジで!?」

 思わず失礼な態度を取ってしまったが、そのときは興奮のあまりに判断力がゼロになっていたのだ。許してほしい。

 エルフと竜と妖精とドワーフがいるなんて、あまりにも鉄板ファンタジーワールド……この世界、俺に都合が良すぎる。


まことにございます。草也様には異世界で私の跡を継いでいただきたく」

 跡を継ぐ? なにかの仕事だろうか?

「もし、断ったら……?」

「断っていただいても構いません。現世にお送りいたします。ただ……」

「ただ?」

 扶桑さんは寂しそうな顔をしている。

「それで最後です、その後のことは私になにもできず……」

「……」

 異世界転生しない場合、多分俺は死ぬんだろうな。

 じゃあ死なない方向で考えてみよう。



「この世界に生まれ変わったとして、俺は勇者にでもなるのか?」

「勇者……?」

 扶桑さんは不思議そうに首を傾げた。どうやらそういう世界観ではないらしい。


 扶桑さんは最初からおぼろげだったが、やや存在感が薄くなってきているのを感じる。周りを取り巻く光が徐々に弱くなってきているのが良くない感じだ。

 もしかすると、彼女は力尽きかけていて、最後の力で俺を救おうとしてくれているのか? この数年で積み上げたオタク知識のせいか、それは何となく分かる。

 なぜ跡継ぎが必要なのか。

 俺はない頭を絞って考える。


 現世に戻るか、異世界でやり直すか。

 ファンタジー異世界といっても俺が思ったものでない可能性だってある。というかそっちのほうが高い。悪質な魔王や邪悪な蛮族が支配する世界かもしれない。もしかすると、現実のほうがマシでした、なんて可能性だってある。

 だけど、俺が知りたかったのはそういうことではない。


「俺が転生したら、誰かの役に立てたりする?」

 真面目な顔で問う。

 役に立てるのなら、きっと今よりマシな居場所もあるだろう。


 扶桑さんは、目に涙を浮かべる。

「あなたがこちらに来てくれて、私の跡を継いでくれるなら、私は必ず救われるでしょう」


 思ったよりも重い言葉が帰ってきた。

 正直何が救われるんだかさっぱりわからない。

 でも、誰かにこんなに頼られたこと、一回もないし。

 戻ったってまともな人生にやり直せる気もしないし。

 ここで現実に戻ったら、生き残ってもきっと扶桑さんのことを思い出して後悔しそうだし。

 じゃあ、いいか。

 俺の心は決まった。


「いいよ、転生する。あとのことは扶桑さんにお任せするよ」


 それを聞いた扶桑さんは、長い袖で涙を拭う。それでも涙が止まらなくて、顔を覆いながら涙ぐんだ声を出す。

「ありがとうございます、草也様。……あなたに未来を託します」

 やはり彼女の言葉は重い。だが、きっとそれは抱えていたものが大きいのだろう。俺の抱えているものよりも、きっとずっと大きいのだ。何となく、それだけは感じ取れた。


 扶桑さんは俺に近づいて、手を取ってくれた。半分消えかかっているのに不思議と柔らかく、温かな手のひらだった。


「詳しいことは、生まれ変わったあとにあなたの従者がお伝えします。今は時間がありません」

 手のひらから、パアッと光があふれる。

 先程まで死の恐怖と興奮に震えていた体が光りに包まれると、暖かさに包まれて、俺の意識も光の中に溶けていく。

 何か、聞き忘れているような、伝え忘れているような。

 そういや労災だよなこれ、なんとか異世界でも労災降りないもんかな。もらえるものは何だって貰いたい。

 いや、違う。そんなことじゃない。もっと大事なことを聞き忘れている。だがそれが何も考えつかないのだ。


 それでも俺はなんとか思いついた一言を叫ぶ。

「扶桑さん! チート多めにしてね!」

 薄れゆく意識の中で、俺は厚かましく浅ましい願いを述べる。

 扶桑さんは仕方ないな、とでも言わんばかりの顔で微笑んでいた。

「次の生でのあなたの人生が、幾久しく善きものでありますように」

 手からも伝わってくるその優しい気持ちに俺は恥ずかしい気持ちになりつつ、意識はまたそこで途切れた。



 †    †    †



 どれだけ時間が経ったのだろう。意識が戻る。

 温かな手のひらに包まれている感じがする。

 何処かから声が聞こえるが、何と言ってるかはわからない。

 それなのに、何も見えない。

「誰かいますか」

 思わず声を出すと、すっと頭上から光が溢れ出した。思わず眩しさに目をつむる。

「もう起きてる!?」

 知らない声がした。


「えっ?!」

 俺は絶句する。

 まるで巨人のような大きさの、でも可愛らしい金髪の子供が、俺を見下ろしていた。

 じゃあ、この温かな地面は……巨大な子供の手のひらか。

 巨大な人間かと思ったが、違う。これはエルフだ。整った顔に長いまつ毛、尖った耳。異世界ファンタジーで親の顔より見たやつだ。

 見回すと何人も美男美女がいた。こんなときでなければ、目の保養なのに。そんな余裕は今の俺にはなかった。

 子供は割れ物でも渡すかのように、更に大きな……見目麗しい大人に俺を手渡した。美しすぎて、見た目では男女を判別できない。

「え、エルフ?」

 そう問いかけると、大人のエルフは微笑んだ。

「我々をそう呼ぶ者もおりますね、若君」

 優しく穏やかな女性の声だ。

 素敵な声優さんみたいな声で若君って呼ばれた。すごく嬉しいけどちょっと恥ずかしい。

 そして自分を視認しようとするが、まるで体が動かない。周りは見えるが、体だけは固まったかのように動かない。その事に気が付き、急に不安に襲われる。

「なあ、なんでそんなにエルフが大きいんだ? 俺はなんで動けないんだ?」

 不安にかられて思わず早口で問いかけてしまう。

 少し考えたあとで、巨大なエルフは片手で鏡を取り出し、俺にみえるようにかざしてくれた。


 鏡に写っていたのは、エルフの手のひらに載せられた金色をした……強いて言うならどんぐりのような、種だった。

 俺は扶桑さんの跡継ぎっていうから、てっきり人間型生物に転生するのかと思っていた。

 転生というよりは転職……いや、転植だ。


「Oh……DONGURI……」

 思わず日本語を忘れてしまった。イントネーションすら忘れた。

 せっかく、せっかく転生したのに、まさか種だなんて。

 そういえば、扶桑さん、木の精霊って言ってたな……

 そんで跡を継いでほしいって言ってたな……。

 異世界とエルフに浮かれて忘れてたよ……。

OMGオーマイガー……」

 そう呟いて、天を仰いだ。

 エルフは俺の言葉がわからないのか、首を傾げて困った顔をしていた。




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