第5話『消えた国章』

 重い扉を開けるとそこには天井に届くほど大きな本棚が、ルーカス達を威嚇するかのように佇んでいた。


 「ごめんください…。」


 圧倒的な存在感を放つ本棚に少しオドオドしながら、奥の方のテーブル席に座っている背中にエレナは話しかけた。背中を見せていた老人は、ゆっくりとこちらへ向くと値踏みするような目線をこちらに向ける。


 「ほぉ。こんなに若い過客は初めてだ…要件を聞こうじゃないか。」


 低い声でゆっくりと老人は呟く。

 ルーカスは一息置いてから丁寧に白く長い髭を垂らした老人に要件を伝える。


 「突然の訪問、申し訳ございません。この度はこの徽章について調べて頂きたく…」


 「そんなに畏まらなくていいんじゃよ。要件は徽章か。早速調べさせて頂くよ。」


 老人はルーカスの言葉を遮りながら、そう言うと腰掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がった。老人はルーカスの目の前まで歩いてくると、ルーカスの胸から外され差し出された徽章を、懐から出した白いハンカチのようなもので、徽章を優しく掴んだ。老人は掴んだそれに目を近づけて凝視すると


 「お前さん、何者だ…?儂は50年近く徽章の発行など、この分野に人生を捧げてきたが、これは見た事が無い。」

 

そう言い放ったあと、目線を上げ、徽章の中央の紋様をシワシワの指で示しながら老人は話を続ける。


 「この部分じゃ。ここにはアルマ王国の国章が彫刻されているはずなんだが、それが君の徽章には無い。つまり、偽物という事になる…」


 「そんな…」


 ルーカスとエレナはまさかの事実に驚いた。偽物かもしれないという気持ちは彼らの心の中には一片足りとも存在しなかったからだ。

 ルーカスは驚いたと同時に、昨日の門兵が何も言わずに門を通したという事実に違和感を覚えた。そんな二人を見た老人は徽章に視線を戻し眉間にシワを寄せ、徽章を凝視しながら話を続けた。


 「しかしな、普通に考えて偽物を作るとなったら国章を彫刻し忘れるようなヘマを犯すはずが無いんじゃ。偽物を作って王都に住まおうにも、正規のものと完全に同じになるまで精度を高めて作るはず。王都入口の検問にも引っかからなかったのは、徽章というもの事態にそれ相応の信用があるからじゃ。」


 確かにそうである。国章を彫刻し忘れる事は、例えば偽札を作る時に偉人の顔を印刷し忘れるような、偽物という物を作るにおいて、通常では有り得ないほど簡単な「ヘマ」であった。

 老人はルーカス達に目線を戻し、


 「すまんが、少年。これに儂、アルベルトも興味がある。少し時間を貰って調べさせて頂いても良いかな?」


そう提案した。

 ルーカスは頭を下げながらアルベルトと名乗る老人に感謝を伝えると、


 「これの調査の参考程度に、君の話も聞かせて貰うとするか。老いぼれにとって、若い者達の話を聞くほど楽しい事はないからのぉ。」


 自慢の髭を触り、笑いながらアルベルトはそう答えた。


***


 アルベルトに招かれて書庫館の奥の部屋に案内されたルーカスとエレナは、言われるがままに椅子に座った。


 「よし。話を聞こう。」


 アルベルトもルーカスとエレナと机を挟んだ反対側の椅子に座るや否やそう言った。


 ルーカスはアルベルトに記憶を失った事や飛龍を見た事など、エレナを交えて経緯を説明し、この書庫館に訪れた訳を言った。エレナも飛龍の事についての件は初耳であり、エレナとアルベルトはは終始黙って聞いていたが、ルーカスが話終えるとアルベルトは静かに


 「楽しい話題では…なかったのぅ。できれば儂も何か手伝いたいんじゃが、この徽章を調べる事と、この書庫館で自由に調べ物させてあげる事くらいしか、儂にはできんな。」


と、呟いた。


 「しかし、なんとも壮大な話だな。ルーカス君。君が魔法をどんな風に考えているかは分からないが、人によって魔力は体内で様々な形に姿を変える。時に炎として宿り主を燃やし尽くしてしまう事もあれば、風として切り裂く事ものじゃ。記憶に干渉する事や幻を見せたりする事もできるような者もいるだろう。」


 「本当ですか!?」


 「あぁ本当だとも。だが、魔法は使った後には魔力の残穢が残るのじゃ。水が流れた後が濡れるように、魔力には使役した後には必ず痕跡が残る。しかし、君には魔力の残穢が無い。つまり、魔法を使われた痕跡がないのじゃよ。」


 「って事は、俺の記憶が消えたのは他者の魔法による干渉では無いという事ですか?」


 「あぁ。これは言いきれる。君の記憶が消えたのは、君が飛龍とそれに怯える人々を見たのは、他人の魔法によるものではない。別のものが理由じゃな。」


 アルベルトが言うにはその「別のもの」が何なのか検討もつかないという。ルーカスの予想は完全に外れた。この予想が外れた事によって、今まで上手く積み上げたものが一気に崩れ落ちるような感覚になる。謎は深まるばかりだ。


 「ルーカス君、落ち込む事は無い。分からない物事を探究する、これほどにまで難しくて諦めたくなるような事は他にはない。しかし、分からない物こそ理解したくなるのが人間の性じゃ。」


 「諦めるというより、分からないんです。いきなり目が覚めれば、記憶が無くて彼女が俺を助けたいと言ってくれた気持ちに答えるべく、頑張った先には答えは無くて。」


 「ルーカス…」


 ルーカスの言葉にエレナは悲しそうな目を向ける。


 「君はエレナ君が助けたいと言うから、彼女に言われたから、仕方なくここへ来たのか?」


 アルベルトは先程までより強い口調で言った。


 「ルーカス。君はどうしたいんだ?失った記憶に目を向けず、今までとは無縁の新しい人生を始めるのも一つの手段だろう。だが、君は違った。自分で記憶を失った理由を考えて仮説を立て、それについて調べた。結果は思うようにはいかなかったが、自らの意思で行動した結果なんじゃないか?」


 「俺が自分の意思で…」


 アルベルトはゆっくりとした口調に戻し、


 「ルーカス君。ここで回答を得られないのならば、アルマ王国には君の望む答えは無い。だから隣の国、カーナルスの知り合いに紹介状を書く予定じゃ。気の強い人じゃが、大丈夫か?」


 と呟くと、優しく笑った。


 「俺は…。俺は。ありがとう、アルベルトさん。」


***

 

 アルベルトが言うには徽章を調べている間、カーナルス王国に行く準備をしておけと言われ、ルーカス達は書庫館を後にした。

 外に出ると街中は祭りの片付けは殆ど終わっており、日が傾きはじめていた。


 「エレナも本当にありがとうな。」


 「感謝される為にやった訳じゃないけど、改めてありがとうって言われると気持ちがいいね。」


 エレナは笑いながら言った。

 俺は記憶を取り戻す。そして何を成し遂げようとしていたのか、過去の自分に問い詰めて、やれる事は全部やろう。その過程で色々な人に助けて貰ったり、迷惑をかける思う、過去の自分と一緒に謝って、そして最後に「ありがとう」と伝える。

 そう改めて誓った少年の瞳は、心なしかいつもより輝いて見えた。

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夢のカタチに至るまで。 @Yoshikunihisa

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