11:お魚たちの朗読会

 私はちょっとカクカクした文字で【おかみのお宿 へやあります】と書かれた立て看板の前に立っていた。

 はああ、やっと宿に着いた。私はヨロヨロと本棚の隙間に入り込んだ。


 いきなり目の前に出現した2階の「迷宮案内処」に驚きつつ喜んだけど、派手なピンク色のモコモコ上着を着こんだ案内人(1階の案内人とそっくりのビリケンさん顔)に笑顔で冷徹な内容を案内されたのだった。

「はいはい、先ほど2階到着ですね。今日の2階には、喫茶室と休憩処と宿と食事処と資料室があります。おお喫茶室はもうご利用ですか、はいはい。ですねえ温泉と薬草茶屋は無いですが、諦念していただきどんどん利用してください」

 うう、薬草茶屋はともかく温泉は魅力的なのに……無いのは残念。薬草茶屋と資料室? まあ後回しにしよう。

「あのー大事な事を聞きますけど」

「大事、はいはい」

「さっきまで無かった場所にこの案内処が出現したんですけど、そんな事ってあるんですか?」

「ありますよ。ダンジョンですからね。でも私にはとんと影響もありませんしどこでも案内処です」

 なるほど、移動しても案内人は感知しないわけだ。


「今日の階段の場所は、明日……明日でいいのかな、変わっているんですよね?」

「そうですよ。ダンジョンですからね。明日は遠くに行ったり近くに行ったりです」

「じゃあ宿に泊まって寝て起きて、そうしたら今日見つけた3階へ下りる階段を、また探さないといけないんですか?」

「そうですよ。ダンジョンですからね。頑張ってぐいぐい歩いてください。なになに一本道で迷いませんし見落としは必ず無いですから」

 そりゃ一本道だけどさあ。また壁に激突しそうになるのかな。

「わかりましたよ諦めて歩きますよ。じゃあともかく宿の場所を教えてください」

 案内人の笑顔がぐんと広がった。


「宿はこの案内処を出て、右にぐいぐい歩いて進んで本棚9,500本分先の所にあります」


 本棚9,500本……本棚の幅は……要するにまだまだ歩けという事かー!!

「はいはい、階段は見落としは必ず無いですけど、宿や休憩処は本棚の裏に探すので、見落としの無いようにしてくださいね」


 机に突っ伏しそうになったけど、ともかく宿と食事処と休憩処の位置を聞き、一応念の為にメモに控えた。宿に着くまでに、休憩処があるのはわかったけど。うう。

 レプリカ金貨3枚を小皿に入れて、満面の笑顔の案内人に見送られながらぐったり気分で案内処を出た。本棚ケーキを食べた喫茶室と通路の壁はそのままの場所にあったので、なぜか安心した。ころころ移動されてはかなわない……。


 本棚の数を意識するとそれこそ本気で嫌になりそうだったので、とにかく通路前方を見てひたすら歩き、途中で3階に下りる階段を眺め(下りる気が無ければ壁は出現しないようだった)、休憩処で濃いお茶を飲んで休憩した。このダンジョンの仕組みは訳がわからないけど、ともかく休憩処の存在には感謝だ。

 そしてようやく! 宿に到着したのだった。


 またウサギがいるのかな? と思いながら入り口の布をめくると、中は和風旅館の造りで広い三和土から真っすぐに板張りの廊下が奥に続いている。でも相変わらずどこも薄暗い。

 ぼんやり明るい灯りのあるフロントらしき場所には丸々太って肌のツヤツヤした、愛想の良さそうな女将が座っていた。明るい黄色の着物姿で、かっちり結い上げた髪にはきらきら輝く飾りを幾つも下げた大きな簪を挿している。

 女将は私を見て笑顔で挨拶をしてくれた。

「いらっしゃいませー! おかみのお宿にようこそー!」

 最高に元気だ。こっちはヘロヘロだけど。

「あの、宿泊で……」


「お泊りですね、ようこそ歓迎いたしますよ、お部屋は5号室にどうぞ、お湯浴びと洗面台とお手洗いのすぐ横ですから便利です、共用ですけどお客様だけですから気楽に使ってください、ああ靴はそこで脱いで裸足でどうぞ、お食事はどうなさいますか? お部屋で召し上がるか食事処にお出かけになるか、はいお部屋ですね、ではしばらくしたらお茶と一緒にお持ちします、何か苦手な食べ物はございますか? はい大丈夫ですね、え? 白湯ですか、はいお食事と一緒にですね、かしこまりました、私がお部屋に伺いますよ、扉は必ずノックしますからご安心ください、うちの宿は安心一番ですからね、朝食はまた改めてお聞きします、まずは旅装を解いてごゆっくりー!」


 気が付いたら、畳の上でナップザックの横に座り込んでぼんやりとしていた。いやはや本当にテキパキした女将だ……。

 だけどようやくゆっくり出来る。私はジャケットを脱ぐと、クローゼットもハンガーも無いので、適当にその辺に放り出し、大の字に寝転がった。低い天井には相変わらず照明が無い。

 5号室は、狭いけども清潔な畳部屋でくつろげる。和風の室内にあるのは座卓と座布団、隅に敷かれている布団だけである。あと、真ん丸なルームランプのような物が座卓の上に鎮座して、ぼんやり部屋を照らしている。コードが無いのにどうやって点いているんだろう? と手を触れたら灯りが消えて、もう一度触れたらまた点いた。便利だけど、部屋は暗いので何も出来そうにない。

 でも本棚が無いのは嬉しい。ずっと本棚の中を歩いて来たんだもんなあ……これがまだまだ続くのか……と考えているうちに眠くなってきた。


 ――私は、浜辺に立っていた。目の前には陽光に光り輝く大海原が広がっている。

 波の音、潮風が心地よい。頭上は雲一つない青空。

 潮の香りを感じながら水平線を眺めている私の横に、大きな銀色の魚が立っている。


「わたしにミモザの花をくださいな。さやさや揺れるミモザの花を。

 ここに無いなら、どこかに探しに行ってください、ミモザの花を」


 銀色の魚が朗々と海に向かって語っているのは、詩だろうか。

 魚がミモザの花を欲しがっている詩を……。


 ――はっと、目が覚めた。

 いつの間にかうたた寝をしていたようだ。起き上がって、ぼんやりとナップザックを眺める。詩を朗読する銀色の魚……。何だっけ、何かを思い出しそうになる。


 私は頭をはっきりさせようと部屋を出ると、廊下を挟んですぐの洗面所で冷たい水で顔をざぶざぶと洗った。あ、タオルを持ってくるのを忘れた。

 濡れたままの顔で急いで部屋に戻り、ナップザックを開けてタオルを取り出した時、ぱさりと畳んだ紙の束が落ちた。何だこれ?

 手に取って広げた瞬間に、思い出した。


『お魚たちの朗読会』


 そうだ。久満老人が問答無用で私にメールで送り付けてきた、行方不明の本の資料と小説本編である。ダンジョンで司書ウサギに本の事を尋ねたりする時に必要になるかもしれないと思い、プリントアウトしてとりあえず持参したのだ。

 とても短い小説で、魚たちが浜辺や暖炉の前など、色々な場所で自作の詩を朗読するという奇妙な物語である。一応読んだけど、どこが面白いのかは良くわからなかった……。


 私は呆然としながら、『お魚たちの朗読会』と手書きされた下に何匹もの魚が踊っているようなイラストが描かれた本の表紙画像を見つめた。

 どうして私はダンジョンに入ってから今の今まで、一番の目的のこの本を、久満老人を、いや父親のダンジョン・ガイドブックやメモの内容すら思い浮かべもしなかったのだろう?


 考え込んでいると、扉がノックされて女将がお盆に乗せた夕食を持ってきてくれた。ちゃんと細長い保温水筒も2本、木製の食器の横に並べられている。悩むのは後にして、まずは腹ごしらえだ。女将の質問に答えて、明日の朝は起こしてもらいその時に朝食を持ってきてもらう事にした。目覚ましなどは無いけどこれで安心してゆっくり眠れる。「お盆は廊下に出しておいてくださいねー」と言いながら女将が部屋を出ていってから、座卓にお盆を運んで、箸を取り上げた。


 一見丼もので、炊き立てご飯の上に半熟目玉焼きとソーセージが3本乗っかっている。見た目は奇妙だけど温かくてなかなか美味しい。塩味が強いけど、まあ疲れているからいいだろう。

 これで味噌汁と漬物とか付いてればなー、ダンジョンの宿だから仕方ないか、と思いつつ完食し、保温水筒から注いだ白湯を飲み、丼だけをお盆に乗せて廊下に出した。

 お腹が落ち着いたので、狭いけれどちゃんと脱衣室もあるシャワールームでお湯を浴びる(ここもかなり薄暗いのでちょっと怖かったけど)。

 ボディソープなどは無いけど、石けんがあったのでそれで体中を洗う。髪はお湯で洗うだけで今日は我慢だ。温泉にはシャンプーがあると父親のメモにあったし。明日には温泉と遭遇できるといいな。

 とにもかくにも、一応はさっぱり気分になれた。


 部屋に戻って、旅行用携帯美容液(粉末に水をちょっと垂らすと美容液になる優れもの)を顔に塗りたくり、ゴールデンタオル工業製のタオルで髪を拭きながら、段ボール箱いっぱいに高級タオルを贈ってくれた新谷川氏を思い出す。何だかずい分と長い間会っていないような感じだ。今頃心配してくれているかもしれないな……。

 私は溜息をついた。今はちゃんと色々思い浮かんでくる。今日は初めてダンジョンに入った日で、単に緊張で脳内がぐるぐる状態でいっぱいになっただけだろう。だから久満老人と一緒に『お魚たちの朗読会』も他の何もかもしばらく失念していたのだ。


 そういう事にしておこう、と決めてから急に何か食べたくなってきた。やっぱり丼ものだけでは物足りない。そうだ、これから食事処に行こう。何か料理があるはずだ。宿からは割とすぐで、立て看板も見えていたし。

 私はジャケットを羽織り、ポケットの金貨を確認してから部屋を出るとフロントに座っている女将に声をかけた。宿の門限というか扉を閉めるまではまだまだ時間があるし、私が戻るまで待っててくれるそうなので、よろしくと頼んだ。いきなり宿が移動するかもだけど、その時はその時だい。靴を履いて本棚の隙間から通路に出た。


 ダンジョンは真っ暗だった。


 いつの間にか夜になっていたのだ。うわー。天井の青い光まで消えている。

 うーんどうしよう。さすがに危ないかな、と思った時に通路を丸い小さな灯りが横切った。え? と思って良く見るとまた灯りがじぐざぐに動く。じっと立っていると、動く灯りは少しずつ増えていく。

 暗闇に慣れた目に見えてきたのは、小さなネズミが小さな灯りを担いで2本足で走り回る光景だった。

 そうか、1階の案内人が言ってた街灯か! まさか立って歩くネズミとは思わなかった。ウサギと同じだな。でもおかげで漆黒の闇では無くなっている。一本道だし、向こうの方には通路に置かれた立て看板も何となく見えているし、これなら大丈夫かな、と歩き始めたら、急にふわりと風が吹き磯の香りに包まれた。


 思わず立ち止まった私の横を、半透明で青く輝く巨大な魚がゆっくりと通り過ぎた。

 巨大な魚は、通路のあちらとこちらを何度か行ったり来たりして、やがて天井に向かって泳ぎ去った。


 何あれ、と呆然と天井を見上げていると、いきなり話しかけられて飛び上がった。


「あんた、間宮の娘さんだろ?」


 眼鏡をかけた初老の男性が通路に立って私を見ている。いつの間に。

 そしてなぜか、ワイシャツにネクタイ、ズボンの古風な服装の全身が半透明で青く輝いている。まるでさっき見かけた巨大な魚と同じだ。


 返事も出来ずに男性を見つめていると、私を安心させるようににやりと笑った。

「どうやら久満の爺さんはまだ生きているみたいだな。しぶとい野郎だ」

 私はまだ口がきけないが男性は気さくに喋る。

「迷宮が何やらにぎやかだからここまで来てみたが、なるほどあんたが入ったからだな」

 ようやく言葉が出てきた。

「誰ですか、あなた」


 男性はあっさりと言った。

「俺はこの迷宮にある古本屋の店主だよ。ついでに言えば幽霊だ」

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