08:ようやく迷宮

 私はソファに寝転がり、タブレットでネットの「探検!深層!ダンジョン動画専門チャンネル」を見ていた。


 何十年も昔、世界の各地で様々なダンジョンが突然出現し大騒ぎになったけど、国家や専門家による探索や研究が進み、現在ダンジョン探検は海外旅行並みの馴染のある存在である。


 ネットには日々色々な動画や画像や読み物が多数アップされている。

 危険なモンスターなどが出現しないダンジョンでは、ゲームに登場するような勇者や魔法使いの衣装を着た人々が楽しそうに剣や杖を構えて、スライムと一緒にポーズを取っている。

 ダンジョンで材料を調達して料理して味わうダンジョングルメレポートも人気だし、人間がエルフ等のダンジョン住民と組んで巨大なモンスター集団と戦う番組は、スポンサーもついて大掛かりだ。

 深い階層に降りて、ドワーフと共に貴重な鉱石を発掘するダンジョンは一攫千金も狙えて大人気。

 巨大な柱が並ぶ神殿のようなダンジョンでは、大広間を飛び交うゴーストと共に怪しい舞踏会が開催されたりする。

 危険なモンスターや炎を吐くドラゴンが出現する広大なダンジョンは、大企業が管理運営して映画のロケなどにも使われたりしている。

 今画面では、海外のダンジョン所有者の髭面のおじさんが、笑顔で緑色のタコ型のモンスターのぬいぐるみを宣伝している。広大な農地に出現したダンジョンを、テーマパーク企業にレンタルしてウハウハらしい。


 ……あーあ、いいなあ、他所よそのダンジョンは。

 私は羨望の溜息をついた。こちらのダンジョンは本棚に詰め込まれた大量の訳のわからない本に、尊大な司書ウサギ、はんてんを着たビリケンおじさん。今のところ私が目にしたのは地味なものばっかりで、華やかさのかけらも無い。

 いやそもそも、私しか入れない上に、何も持ち込めないし持ち出せないのだ……私はタブレットを放り出すと、壁のカレンダーを眺めた。


 私がダンジョンに入れなくなって、そろそろ一カ月が経過しようとしていた。


 原因は地震だった。

 私が試しにダンジョンに入ってすぐに、首都の辺りを震源地としたかなり大きな地震があり、ダンジョンパークの中のとあるダンジョン(光る巨大キノコの大群が有名)で通路の壁の一部が崩れたのだ。幸い規模は小さく、怪我人なども無かったけれど、しばらくの期間ダンジョンパークが設備点検の為に閉鎖されてしまった。そしてダンジョンパークが閉鎖されると、私もダンジョンに近づけない事になってしまったのである。こればっかりは仕方がない。


 仕方がないので、その間に遺産の相続手続きを完了させて、私は正式にダンジョンの所有者となった。現金も受け取って銀行口座に入れて投資などは後日にしておいてから、賃貸アパートから父親が住んでいた一戸建てに引っ越して、とりあえず何とか落ち着いた。

 この家で今後の身の振り方をじっくり考えねば。ちなみに、諸々の経費の請求総額を改めて計算して思い切りのけぞり、この時ばかりは現金を遺してくれた父親に心底感謝した……。


 引っ越しが終わってすぐに、新谷川氏に高級中華料理店に招待されて、父親との思い出話を色々と聞いた。

 昔、新谷川氏の会社「ゴールデンタオル工業」が資金的に大ピンチになった時に、とあるコミュニティで親しくしていた父親が投資して助けたらしい。へえー。

「父とはどんなコミュニティで知り合ったんですか?」

 大きなエビが入った艶々の炒飯に笑顔になりつつ尋ねると、タオルなどの繊維製品を愛好し研究するコミュニティだったとの事。なるほど。

 新谷川氏が胸を張った。

「その時、勇さんに助けられたおかげで我が社は危機を脱し、開発に成功した新製品『黄金のバスタオル』が大ヒットして、飛躍する事が出来たのですよ」

「あの、とんでもなくお高いバスタオルですか」

 確か某国の石油王も愛用しているとかで話題になった事がある。

「そうです。勇さんも絶賛してくれていましたし、菜月さんには今後タオル類では不自由はさせませんよ」

「はあ、それはありがとうございます」

 フカヒレがどっさり入った濃厚なスープを味わいながらお礼を言っておく。

「しかしねえ。しばらく連絡が途絶えて、どこかに長期の旅行でもしているのかと思っていたら、いきなり死亡通知が届いてショックでしたよ。勇さんとは夫婦で親しくしていましたから、妻も知っていれば入院中に色々お世話して恩返しができたのに、と嘆いていました」

 しょんぼりした表情の新谷川氏に、申し訳ない気分になる。

「……父はカッコつけるタイプでしたから。新谷川さんと奥さんには自分の元気な姿だけを覚えていて欲しかったんですよ、きっと。娘の私にですら何も言ってこなかったんですから」

 香りのいい烏龍茶を飲みつつ慰めておく。しかし人生の最期までつくづくマイペースな人だ……。


 新谷川氏は、あの久満老人とは父親のダンジョン探索を手助けしていた縁で知り合ったらしい。そりゃ気の毒にと言うと新谷川氏は苦笑した。

「まあ本の事になると夢中になってあんな態度にはなりますが、悪い方では無いのですよ」

「確かに悪人では無さそうですけど。本当にお金持ちなんですか?」

「お金持ちです。幾つも会社を経営されていたんですが、今は後継者に全部譲って悠々自適ですよ。日本古書連合書籍連絡会の会長は続けておられますけどね。趣味である古本に関しては大変な知識を持っているご老人です」

 金持ちで知識はあってもあの性格か。要するに、古本業界の口うるさい爺さん役な訳だ。


 例の大陥没の後、実の息子という事で連絡を受けた父親が一応駆け付けたら、現場付近で「本が本が」と騒いでいた久満老人に胸倉を掴まれたのが、「間宮の倅」としての付き合いの始まりだったらしい。父親は曖昧な笑顔で宥めたらしいが、私ならそのまま大陥没の穴に突き落としているところだ。その後ダンジョンが出現して、自分が貸していた本を探せ、と無理難題を久満老人が父親に口うるさく押し付け続けていた訳である。流石に父親も辟易して逃げ回り、なるべく顔を合わせないようにしていたらしい。

 更に久満老人は祖父とは大学の同期で、若い頃からずっと友人かつライバルのような関係だったそうな。「間宮の孫娘」である私までを含むと、とんでもなく長い年月の腐れ縁という事になる。

 何とかして本を見つけて久満老人に叩き返して縁を切るぞ、と私はでっかいマンゴープリンを食べながら誓ったのだった。


 とはいえ。

 どうやって本を探し出し、しかもダンジョンの外に持ち出したらいいのやら。

 私はソファから起き上がると、リビングの隅に置いたデスクの椅子に座り、積み上げた父親のダンジョン探索に関するノートやメモを眺めた。新谷川氏が父親から預かっていた物をまとめて送ってくれたのだけど、一応全部目を通した私は呆れて頭を抱えていた。

 父親は、ダンジョンで久満老人の本を探すのを早々に諦めたようで、完全に異世界を旅行する気分で11階まであるというダンジョンを歩き回ってひたすら楽しんでいたのだ。

『ダンジョン・ガイドブック』のノートや他の記録ノート、メモに書かれているのはダンジョン内にあるという宿泊所の感想、食事の味、温泉の泉質、本棚の裏世界についてなど、もちろん私の役には立つけど、本当に異世界旅行者の思い出である。

 久満老人に、必ず本を探して返すと約束したのは、まあ嘘をついた訳ではないけどその場しのぎだったようだ。気持ちはわかるけど、おかげで私は面倒な思いをしている。

 これは自分自身が本気になって改めてダンジョンを探索するしかないな、と私は観念した。


 ただ父親は、毎日のように本が増えるのだけは何とかして止めたかったようで、この件だけは案内人やウサギや他の住民に尋ねたり調査はしていた。しかし結局「ダンジョンだから本が増えるのは当たり前らしい」で記録メモは終わっている。ダンジョンの誰も理由を気にしていないのだから当然だけども。

 理由……確かに他のダンジョンとは色々と違い過ぎる。


 とにかく、と私は考えた。目標は、あの妙なダンジョンを何とかして普通のダンジョンに変えて、お客を呼び込めるようにする事だ。その為には……。


 いつかダンジョンの本をごっそり金持ちの久満老人に売りつけてやる、と思いながらダンジョン探索計画を練っていると、手元の携帯端末がピロピロと鳴った。

 それは、ようやくダンジョンパークの閉鎖が解除される事になったという新谷川氏からの連絡だった。


 数日後の12月1日、早朝。快晴。

 入念に準備を整え、もこもこに着ぶくれた私は、ダンジョンの木の扉の前に立っていた。

 緊張するが、実はワクワクもしている。


 私は深呼吸をして、冷たく気持ちのいい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 そして扉の取っ手に手をかけ、力を込めると――


 ――ダンジョンに足を踏み入れ、よし! と気合を入れた。


 これから私は30日間のダンジョン探索を始めるのだ。

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