07:お試し迷宮
初めてダンジョンに入ってから3日後の朝。
少々ぶかぶかだけども、ポケットがたくさんついているジャケットの前ボタンをとめてから、木の扉に彫られている2匹のペンギンの彫刻を改めて眺めた。
左側のペンギンは本を掲げ、右側のペンギンは錨を掲げ、ポーズをとって向かい合っている。ずっと昔どこかの図書館が取り壊される時にこの扉を祖父が引き取って自宅玄関に取り付けたそうな。酔狂だ。
朝早い事もあってダンジョンパークの中はまだ無人だけど、念のために周囲に人がいないのを確認してから、扉の取っ手に手をかけ、力を込めると――
――再びダンジョンに足を踏み入れた。
扉に掛けられたレプリカ金貨の入った袋はそのままだ。
前回は気が回らなかったけど、今日は袋の中に手を突っ込んで良く確認してみる。レプリカ金貨以外は何も入ってない。ちょっと残念。袋の中からレプリカ金貨を10枚取り出し、ポケットに入れると周囲の本棚を眺めた。
本の種類が変わっていて、何やら重たそうな全集のような本がきっちりと並べられている。あの偉そうな司書ウサギが入れ替えたのだろう。でもそのおかげか、前回に感じたカビくさいのは消えている。
私は慎重にダンジョンの奥へと歩き出した。今日は動きやすいジャケットにズボンにスニーカー姿だ。ダンジョン内は常にひんやりしているようなので、防寒シャツもタイツも着込んで対策はばっちりである。実は私は寒がりなのだ。
しかし、天井にもどこにも照明の類が無いのに、真っ暗じゃないのが不思議である。
床から天井まで本が詰まった本棚が、通路の両側に延々と続く。本好き人種が見たら大喜びするのかもしれない。もう背表紙をいちいち確認する気にもなれないけど、一体何万冊何十万冊ぐらいあるんだろう……不思議と不気味な雰囲気は無いけど、時々どこからか水の流れるような音がかすかに聞こえるのが、ちょっと気になる。昔の事とはいえ大陥没を起こした地盤だから、注意はしないとだ。
やがて前方の本棚の隙間から明かりが漏れているのが見えた。あそこが多分「迷宮案内処」だ。
振り返ってみると、扉はもう薄暗い通路の遠くになって良く見えない。しかし一本道だから、何かあれば全速で走れば大丈夫だろう。私は少しだけ足を速めると本棚の隙間の前に立った。
中を覗くと、壁に『迷宮案内処』と書かれた看板があって、デスクに向かって小柄な感じの男性が座って書き物をしているのが見えた。あの人が案内人だろうか。私はちょっと緊張しつつ声をかけた。
「あのー、すみません」
男性は顔を上げて私の方を見た。第一印象は、ビリケンさんだった。細い目と薄い眉、黒い髪が頭のてっぺんでもしゃもしゃと固まっている。寒いのだろうか、派手な柄のはんてんを羽織っている。彼は入り口で立っている私を見て、愛想の良い笑顔を浮かべた。
「おお、ようこそ。どうぞどうぞお入りください。ずずっとこちらへ」
私はかなり狭い本棚の隙間に体を入れると、横向きで室内へ入った。デブは通れないぞ、これ。
「さてさてお座りください。で、御用件を伺いましょう」
どこからどう見ても普通のパイプ椅子にそっと座った私は、男性と向かい合った。やっぱりビリケンさんに似ている。
「えーと。私は今日初めてここに来たんですが、あなたがダンジョンの案内人ですか?」
「さようですよ。初めてですか。こちら世界をずいずいと探索なさるおつもりで?」
「ええ、まあ。探索と言うか、探し物がありまして。本なんですけどね」
「どうぞどうぞ、幾らでも。あなた様は運がいい。今日のダンジョンは静かですよ。階段もずんずん遠くに行かずに見えてすぐ近くですからね」
確かに、案内人の日本語はちょっと奇妙だけども、意味は通じる。
「階段の位置は毎日変わるんですか?」
「そりゃそうですよ、ダンジョンですからね。ずんずん遠くに行ったり近くに行ったりと動きます」
「今日は静かだそうですけど、うるさい時もあるんですか?」
「うるさい時は大変ですよ。司書が天井までの集団でずかんずかんと通路を歩き回って、本を運んで本棚を動かしたり壊したりしますからね。まあそういう時は本棚の裏側で終わるのをじーっとじーっと待つしかないです」
「本棚の裏側は違う世界……」
「そうですよ。裏側ですからね。街はありますが村はありません」
父親のガイドブックにもあった言葉だ。街はあるが村はない。何かの決まり文句なのかもしれない。
私は父親の事を尋ねてみようかと思って、やめた。次の機会にしよう。
「ダンジョンは11階まであるそうですけど、それは変わらないんですね?」
「そりゃそうですよ変わりませんよ、ダンジョンが変わったら大変です」
「11階から下はダンジョンじゃないんですか?」
「ダンジョンに決まってるじゃないですか。でも迷宮案内処は11階までですからね。そこから先は、司書と古本屋の管轄です。もちろんあなた様がずんずん進むのも行くのも自由です。ダンジョンですからね」
「実は司書のエリアに来いと言われたんですけど、何階にあるんですか?」
「3階です。場所は迷宮案内処できっちり確認してください」
私は思い切って言ってみた。
「私は、このダンジョンを受け継いだ者なんですけどね。つまりダンジョンの所有者なんですよ」
相続手続きは終わっていないけど、別にいいだろう。でも案内人は特に表情を変えなかった。
「ほおほお、そうですか。まあダンジョンに入るから血縁者ですね。そりゃ、司書にきっちりかっちりと挨拶をしておきませんとねえ」
あの尊大なウサギを思い出して、また少し腹が立ってきた。
「挨拶が必要って、ウサギというか司書はそんなに偉いんですかね?」
「そりゃそうですよ、ここはダンジョンで彼らは司書ですからね。毎日どんがどんがどっさり増える本をさっくさっく整理して並べないとですよ。ダンジョンが混乱しないのは彼らの功績です」
「功績ねえ。でも、いつか本棚を置く場所がなくなったらその時は……」
案内人は初めて呆れたような表情を浮かべた。
「はああ? ここはダンジョンですよ? 本棚を置く場所はどこまでずんずん無限ですよ、無限。無限じゃなかったらダンジョンじゃないですよ」
無限。私は溜息をついた。どうにも疲れてきた。今日はここまでにしておこう。
「そうですね、ここはダンジョンでした……色々教えてくれてありがとう。これからとりあえず1階だけを見て回っておきます」
「なるほど。今日は階段の50冊横の所に休憩処が出てますからね。そこで無料サービスのお茶でもぐびりぐびり飲んでいってください。下には行かれないので?」
「……下に行くのはまた改めて、準備を整えてきます」
「なるほど。ではまたいつでもどうぞ」
私は椅子から立ち上がると、案内人が意味ありげに見やるデスク上の小皿にレプリカ金貨を3枚いれた。更に笑顔になった案内人のどうもうどうもという言葉を聞きながら、本棚の隙間を通り抜けて通路に出た。振り返ると、嬉しそうにレプリカ金貨を手に取って眺めていた。嫌いになれないなー案内人は。
それから更にダンジョンを奥に進むと、確かにすぐに階段があった。階段は通路よりも少し明るいけども階下まで長く続いていて、途中から先は暗くて見えない。進むのはちょっと根性がいりそうだ。でもあの父親が探索してたんだから、と自分で自分を励ましておく。
案内人が言ってた休憩処も本棚の隙間に見つけて覗いてみると、ソファーや小さな椅子が幾つか置かれた小さな部屋だった。壁際のテーブル上にはカップやポットが並んでいる。どんな味なのか、大いに飲んでみたかったけど、ホラー漫画で読んだ黄泉戸喫の記憶が脳内に浮かび、我慢しておく事にした。
今日はあくまでお試しなのだ。
外に出てからメモを取るか、と思いながら来た通路を戻り、迷宮案内処の前を通り過ぎ、扉が見えた時はほっとした。やっぱり最初は不安だ。
ポケットに残ったレプリカ金貨を袋に戻し、扉に手をかけようとした時。
突然、ダンジョンの奥から風が吹いてきた。え?と身構えた瞬間、強い磯の香りが鼻先をかすめ、すぐに消えた。ダンジョンで海の匂い?しばらく立ったまま気配を伺ってみたけど、それきり何も起こらない。何だったのかな……今度案内人に尋ねてみるか。
私は扉の取っ手に手をかけ、力を込めると――
――日光をまぶしく感じるダンジョンの外へ出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます