06:ラビット・ライブラリアン

 ここが、父親のガイドブックで一番重要と書かれていた『迷宮案内処』か……。


 看板の文字がちゃんとした日本語なのが妙である。しかし室内には誰もいない。案内人とやらは不在のようだ。ちょっと会ってみたいけど今日はやめておこう。そう判断した私は、本棚の隙間から離れた。

 早く外に出ないと、久満老人はともかく新谷川氏に心配をかけてしまう。


 その時、本棚のちょうど私の目の高さにある一冊の本の背表紙が目に止まった。


『銀時計図書館殺人事件』


 思わず「え?」と声が出てしまった。なぜなら、このミステリ小説はつい最近、というか先月出版されて私も読んでいたからである。

 今の時代、本はほぼ全部電子書籍のみで出版されるけども、『銀時計図書館殺人事件』は凝った装丁の紙書籍版が部数限定で店頭販売され、購入はしなかったけど興味があったので覚えていた。

 しかし父親が最後にこのダンジョンに入ったのは、ずっと以前のはずだ。


 それなのに先月発売の、限定部数の本がなぜここに?


 もしや誰か他の人間が入っている? 父親に隠し子がいた? 何で本を置いていったのか? まさか盗んだ本を隠したんじゃあるまいな? と私はぐるぐる考えながら本を書棚からそっと抜き出した。しかしページを開いてびっくりした。中身は白紙だったのである。どのページをめくってみても白紙。まるで見かけだけちゃんと作ったおもちゃのようである。何なんだこれは。誰かが作った?

 うーん、と悩んだ私はその本を片手に扉に戻り、取っ手に力を入れてみた。扉は微動だにしない。という事は、これは白紙の束だけども一応本である、という事なのだろう。

 何だか訳がわからなくなってきた。今はここまでにして、後でじっくり考えよう。そう決めた私は『銀時計図書館殺人事件』を手近の本棚の空いている場所に押し込んだ。


 しかし、ここまで訳のわかんないダンジョンを相続してどうしたもんか……と私はどこまでも本棚が続く通路を見回しながら考えた。

 地下何階まであるのか知らないが、久満老人の本を探すなどまず絶対に不可能に思える。高齢者だから、探索している最中にぽっくりということも……いやあの爺さんなら、本が見つかるまで根性で生きていそうだ。それに返す前に死なれるとやはり寝覚めが悪い。本を見つけると約束した父親には何か算段があったのかなあ?


 私がため息をついたその時である。

 ……視界の端で白っぽい何かが動いた。

 私はダンジョンの奥の方を見た。


 巨大な白いウサギが、石畳の通路に立って私の方を見ている。


 二本足で普通に立ってまるで人間のようである。

 ピンと立った長い耳が可愛らしい。

 きっちり身に着けている緑色のエプロンがおしゃれだ。


 そこまで見て取りつつ、しかし私はパニック状態だった。

 ウサギ? こんな所にでっかいウサギ??

 頭の中が真っ白になり、固まってしまってる私に向かって、ウサギが、ひょこひょこと歩いて近づいてきた。ウサギの赤い目が私の顔を覗き込み、はっきりと喋った。

「本を勝手に移動させるな。ここから出て行け。目障りだ」


 私の脳内で、喋るウサギへの混乱とパニックの大反動がきた。すなわち猛烈に腹が立ったのである。

「出て行けって、目障りって、何よ偉そうに。私はこのダンジョンの相続者ですからね! そっちこそ目障りなんだけど!」

 いささか混乱した喋りの私に比べて、ウサギは冷静でより一層顔を近づけてきた。

「ふん。なるほど血縁者か。では手続きが必要だ」

 その時、ダンジョンのどこからかのどかな鐘の鳴る音がした。

 ウサギは耳をぴくぴくさせた。動作は愛らしい。

「今日はもう終了時間だ。日を改めて我々のエリアに来い。書類を提出して宣誓をしてもらう」

「我々? あんた達みたいなウサギがたくさんいるの?」

 ウサギは思い切り馬鹿にしたような表情で私を見た。ウサギのくせにえらく表情が豊かだ。

「当たり前だろう。ここはダンジョンだぞ? 我々のような司書が本を管理し、本棚を作らねば、混乱と無秩序な破壊に向かう世界だ。お前が何者だろうが全く役に立たんし、本を勝手に移動させる考え無しなど邪魔なだけだ。いいからとっとと去れ」


 ウサギは、本棚から私が突っ込んだ『銀時計図書館殺人事件』を取り出すと、それを片手にひょこひょこと歩いて薄暗い通路の奥に姿を消した。


 私はウサギの背中を見送ってから、扉に飛びつき取っ手に思い切り力を込めると――


 ――ダンジョンの外に走り出た。

 興奮している私に、新谷川氏が駆け寄ってきた。

「菜月さん! どうしたんですか、大丈夫ですか!?」

 私は何度も深呼吸し、何とか気分を落ち着けた。

「いや、ちょっと、びっくりしただけです」


 パニックになっていけない。しかし私はムカムカと本気で腹が立ってきた。

 何だあの態度は! あの偉そうな態度は! 私が相続した私しか入れない、訳がわからなくても一応私のダンジョンなのに!

 私は怒りにまかせて、足をダンダンと踏み鳴らした。

 とにかくあのクソ生意気なウサギに一矢報いなければ気が済まない!! ウサギはたくさんいるらしいし、確か司書で本を管理とか言ってたな。司書? 丁度いい。何とかして全員私の子分にして本探しを手伝わせてやる。よし決めた。


 私は顔を上げると、ダンジョンの扉を指差して新谷川氏と久満老人に宣言した。

「ダンジョンを相続します! とにかく相続して所有者になります!」


 敵は司書ウサギだ。

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