05:本棚の隙間から
<ダンジョン・ガイドブック 間宮勇>
『ダンジョンには手ぶらでしか入れない。
ダンジョンからは手ぶらでしか出られない。
ダンジョンだけどもダンジョンじゃない。
無限に続く本棚に詰め込まれた無数の本の眺めは狂気で壮観だ。
以下にダンジョンに入るための条件と、内部探索のための覚書を書いておく。
まず重要なのは迷宮案内処だ。
ダンジョンに入ったらまず、迷宮案内処を探して案内人にダンジョンの様子を尋ねて覚えておかねばならない。
日本語が通じる。妙な日本語だが意思の疎通に不自由はない。
ダンジョンは毎日あちこち変化する。
本棚が増えて本が増える。
誰も読んでいない積ん読だが。
どこがどう変化するかはわからない。
迷宮案内処は各階の本棚と本棚の隙間にある。
本棚の裏側はまた違う世界だ。街はあるが村はない。
迷宮案内処の場所は毎日変わる。案内人は多分変わらない。確信はない。
案内人は気さくで嘘は言わない。ただし報酬が必要。基本的に案内人はがめつい。
ダンジョン内では金貨のレプリカが通貨のように通用する。
ダンジョンに出入りするための条件。
カメラや携帯端末などは持って入れない。恐らくだが電波も入ってこない。
タブレットに電子ペンなど電脳小道具は一切駄目。
食料、飲料水、飲み物、菓子も駄目。
持って出入りできるのは、手書きの筆記道具、紙のノートやメモ、金貨のみ。
本は持って入れる。ただし持って出られない。置いてくるしかない。
調べた事は手書きでメモして、記憶する以外にない。
内容には制約は無いようだ。私が何を書いても外に出られた。
ダンジョンには鞄やリュックを持って入れない。
ダンジョンには着の身着のままでしか入れない。
工夫して、着ている服のポケット類に筆記道具などを入れていくこと。
コートや手袋、眼鏡、マスクは大丈夫だが、帽子は駄目だった。理由は不明。
指輪やピアスなどのアクセサリー類も大丈夫。
巨大な宝石などは役に立つかもしれない。
時計も持って入れないが、体感的には時間の流れは外部と同じだと思われる。
なぜかダンジョン内は昼と夜がある。夜になったら真っ暗になる。
何も持って入れないが、食料や睡眠などの心配は不要。
ダンジョン内には宿泊所、食事処、温泉、公衆手洗所、雑貨屋、色々と店がある。
日本語が通じる。場所は変わるが何とかなる。
料金は何でも金貨1枚から3枚ぐらい。
食事の味も温泉も宿泊所も大して変わらない。すぐに慣れる。
ただし何か買っても持って出られない。
金貨10枚で面白い壺を買ったのに持ち帰れなかったのは残念だった。
値上げは多分無い。経済は無い? 値切りも可能。
なぜか古本屋まである。あんな場所になぜ必要なのか?』
……私はノートから目を離すとぐったりと車内の座席にもたれかかった。
まだまだ、何ページも文章や手書きの図のような物が書かれている。けれどとりとめのない文章、しかも手書き文字を読むのは疲れる。さらに口うるさい爺さんがすぐ隣で見張っているのだ。
「ダンジョンの事は理解したか、孫娘」
もうこの久満老人には遠慮は不要だ。私は大げさに不貞腐れた声と表情で返事をした。
「わーたーしーにはー
「では菜月。理解したか」
ちえ、気にもしていない。けど呼び捨てに抗議するのも面倒だ。
「ややこしいのは概ね理解しましたけどね。こんな、素人の考えた下手なファンタジー小説の設定書みたいな内容を信じろっていうんですか?」
「だからその目で見て確認しろと言っている」
私はふくれっ面で黙り込んだ。
久満老人が「ダンジョンに行くぞ」と宣言してから、抵抗する間もなく、あれよあれよと社長室から引っ張り出され、駐車場の大きな車に乗り込む羽目になったのである。諦め顔の新谷川氏も付き添ってくれたので観念したけど。その新谷川氏は、助手席で忙しそうに携帯端末で話し込んでいる。
しかしえらく立派な車で、広々とした座席の座り心地も良い。久満老人はやはり金持ちなのだろうか。
「久満さんは、お金持ちなんですか?」
率直に尋ねると、あっさり返された。
「そうだ」
ふーん。金持ちなのに本1冊にうるさく言うのか、と思った時、車は目的地のダンジョンパークに到着した。
私はダンジョンパークに来るのは初めてだ。別に祖父の事は関係なく、単に興味が無かったのだ。
それでも、広い窪地に幾つかのダンジョンがあって、国と首都の手で整備されて楽しくダンジョン探検(入場料を払えばガイドが案内してくれる)も出来る緑豊かな公園になっている。ぐらいは知っていた。
その公園の一番奥にひっそりと噴水があり、その更に奥の生垣に隠れるように問題のダンジョンの入り口があった。
杖を使いつつ元気に歩く久満老人の先導で到着したダンジョンの入り口は、見た目は固い土の壁に取り付けられた木製の扉であった。思い切りファンタジーである。
久満老人は振り向くと私に言った。
「さあ、ここだ。試しに扉を開けてみろ」
ほとんど命令である。またムカッとした私に、新谷川氏が小声で忠告してくれた。
「ともかく、扉の取っ手を引っ張ってみてください。無事にダンジョンに入れたら、すぐに出て来てください。もし入れなかったら対策を検討しましょう」
「……わかりました。ともかくやってみます」
逃げ道は無さそうだし、やはりここまで来ると好奇心もある。
父のガイドブックに従って、何も持たないようにしてからカバンを新谷川氏に預け、子供の時以来久しぶりに、奇妙なペンギンが彫刻された扉の前に立った私はしばらく躊躇していた。父親が出入りしていたのだから、危険は無いはずだけども……。
少し後ろで、新谷川氏と久満老人が並んで立って私の背中を注視している。
良く考えたら、父親から遺言された実の娘とはいえ私がダンジョンに入れるかどうかの確証はまだ無いのだ。
とにかく、一度中に入ってすぐに出てくればいいのだ。入ることが出来ればだけど。
私は大きく深呼吸をしてから扉の取っ手に手をかけ、力を込めて引くと――
――目の前に、薄暗い、石造りの廊下が真っすぐに、ずっと向こうまで続いていた。
廊下の両側の壁は全て本棚で本が詰まっている。空気はひんやりとしていて、少しカビくさい。
うわーダンジョンに入れたんだ!
口を開けたまましばらく固まってから、慌てて振り向いた。ちゃんと扉がある。外に出ようと思えばすぐに出られる、と安堵してから扉の板に袋がぶら下がっているのに気が付いた。
ダンジョンに出入りしていた父親が置いていった物だろうか? と持ち上げてみると結構重い。袋の口から中を覗いてみると、大量の金貨が詰まっているではないか。
ああ、通貨のように使えるという金貨のレプリカか。どうやら父親はレプリカ金貨を持ち込んではこの扉にぶら下げて保管しておいたようだ。大量だと持ち込みが出来ないのかもしれない。
袋を元に戻してから、さてともかく外に出ようと改めて扉に手を伸ばした時、背後からギリギリというかすかな音が響いてきた。
思わず振り向いた私の目に、本棚と本棚の隙間から漏れている明かりが見えた。薄暗い通路に慣れた目にはその明かりは少し眩しいほどだった。
さっきまであんな明かりは無かったはず……突然何やら猛烈に気になった私は、隙間に近寄ってみる事にした。扉のすぐそばだし、何かあれば走って辿り着ける。
足音を立てないように注意しつつ、そっと本棚の隙間の前に立って中を覗いてみると、デスクに椅子があって、どう見ても普通の書斎か小さな事務所のようである。そして机の向こうの壁に『迷宮案内処』と書かれた看板が見えた。
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