04:ほとんど迷宮

 私は外見は父親に似ているかもだが、性格は母親似である。すなわち、気が短い。

 気が付くと、私と久満老人は口喧嘩状態に突入していた。


「なんで私がそんな事をしなけりゃならないんですか! 本が無くなったのは事故でしょう! 諦めてくださいよ!」

「無くなってはおらぬ! ダンジョンのどこかにある!」

「それにしたって、私が祖父の尻ぬぐいをする義務なんかありませんよ!」

「お前は父親から遺産を相続しただろうが? 父親は私から話を聞いて、必ず本を探して私に返すと約束した! だからお前も探す義務がある! 相続人は借金も引き継ぐぞ!」

「本と借金は違うでしょう!」

「同じだ!私の大事な本を、間宮は私から借りたんだ! お前には間宮に代わって私に返却する義務がある!」

「何ですか本本本ってまた買えばいいでしょう! 代金を出すのは断固拒否しますけどね!」

「買うだと? 作者が自分の手で生原稿を本にした物だぞ! この世のどこにも売っとらん!」


 更に言い返そうと私が大きく息を吸った瞬間、様子を伺っていたらしい新谷川氏が割って入ってきた。やはり慣れている。

「まあまあ、二人とも興奮しないでください……久満さん、菜月さんはつい先日お父上である勇さんを亡くされた上に、何ひとつ事情を知らないんですよ。これからダンジョンの説明をしますから、落ち着いてください」

 久満老人は新谷川氏の顔を見てから、ふんとそっぽを向いた。つくづく失敬な爺さんだ。新谷川氏は慣れているようだけど。


 幾つの時だったのかな……祖父の間宮巌の屋敷には2度ほど行った事がある。

 確かに部屋の中に本はたくさんあったし、薄暗い廊下も積み上げられた本が壁沿いにずらりと並んでいた。それと玄関の扉に彫られた妙なペンギン。けれど祖父の顔も姿も覚えていない。何かの話はしたような記憶はあるけど……。


 そんな事を思い出しながら、私はソファに座って茶菓子のクッキーをかじっていた。

 新谷川氏が、場の空気を変えるためにか改めて香りの良いコーヒーを出してくれたのだ。さすが経営者、来客同士が喧嘩をしても動じていない。

 向かいでは、新谷川氏に勧められて椅子からソファに移動した久満老人が、憮然とした表情でコーヒーを飲んでいる。ふーん、良く見れば和装のようなお洒落な黒い服を着ている。若い頃は垢抜けたかっこいい青年だったのかもしれない。時の流れは無情だ。


 ようやく頭の冷えた私に、新谷川氏は言った。

「久満さんの本の件はとりあえず保留します。とにかくあのダンジョンは奇妙な場所なんですよ。内部の映像や画像の記録を一切撮る事が出来ない。電波も入らない。とにかく他のダンジョンと違いひどく複雑なのです」

「複雑? でも本が増えているとか……」

「信じにくいですが、何者かが本を持ち込んでいる訳では無いのです。唯一ダンジョンに入れるお父上は、様々な謎の解明のために根気良く調査と探索を続けられました」

 新谷川氏は傍らの箱から何かを取り出すとテーブルの上に置いた。

「これが、菜月さんにお見せしたかった物なのですよ」


 それは、一冊のノートだった。表紙に<ダンジョン・ガイドブック 間宮勇>と無造作に書かれている。今どき手書きとは手間のかかる事を。しかし。


 ――ガイドブック?


 とりあえず手に取って表紙をめくってみると、見覚えのある父親の字で書かれた文章が現れた。


『ダンジョンには手ぶらでしか入れない。

ダンジョンからは手ぶらでしか出られない。

ダンジョンだけどもダンジョンじゃない。

無限に続く本棚に詰め込まれた無数の本の眺めは狂気で壮観だ。

以下にダンジョンに入るための条件と、内部探索のための覚書を書いておく。


まず重要なのは迷宮案内処めいきゅうあんないどころだ』


 私は顔を上げて、新谷川氏と久満老人を見た。

「何ですか、これは」

 新谷川氏は真面目な顔で言った。

「お父上が書いたダンジョンの探索記録です」

「そうじゃなくて、とても信じられませんよ! 何なんですか、ダンジョンに迷宮案内処めいきゅうあんないどころって。まるでゲームかファンタジー小説じゃないですか。これ父の大ぼらじゃないんですか?」

 いきなり、久満老人が杖で体を支えながら立ち上がった。


「嘘かほらか事実か、すぐにわかる。これからそのダンジョンに行くぞ。とりあえず中に入って自分の目で見て自分で判断しろ、孫娘」

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