03:迷宮を継ぐ者
遺産相続の話を聞いた翌日。
私は自室の床で大の字になって自己嫌悪に陥っていた。
一晩寝ると、さすがに気分が落ち着いて冷静になったのである。
昨日は突然の事で変に興奮して浮かれ過ぎた……弁護士も冷たい娘だと呆れただろうな……。
とはいえ、子供の頃に父親が家を出て行ってからは数えるほどしか会っていないし、父親らしい事をしてもらった記憶も無い。最後に会った時は、ボロボロの古い倉庫いっぱいの訳のわからない物を自慢げに見せられて……。
私は天井を眺めながら手足を伸ばして、気持ちを切り替えた。
母親は5年前に亡くなり、父親も死んで、一人娘の私は完全に天涯孤独の身の上になったのだ。今更どうしようもない親子関係の情緒情愛云々は後回しにして、これから先の事を真面目に考えねば。
しっかり者の母親に教わった人生訓「金が無いのは首が無いのと一緒!」は私の座右の銘でもある。
今までの貯えと、会社倒産時にかろうじて出た退職金はある。これに遺産の1500万円を加えて身の振り方を熟考しよう……面倒な謎のダンジョンも、相続してから売り飛ばすとか出来るかもしれない。
よし、と私は起き上がって床に座り込むと、弁護士から渡された書類を一面に広げてじっくり読んだ。
ろくに定職にもついていなかった筈の、道楽者の父親が1500万円も貯められたのが不思議だったけど、投資の類が上手くいって儲かったらしい。ふーん? まあ性に合ったのかな……。
父親が住んでいた土地付き一戸建て(平屋)も、屋内の家具の整理や清掃が済んでいて、私がその気になればすぐにでも引っ越せる状態になっていた。どうせ無職だし、今の賃貸アパートを出てこの家から新しい生活を始めるのも悪くない。
有難い話ではあるけど、でも微かに違和感を感じつつ、私は<ダンジョン関係>と書かれたファイルを開くと、拍子抜けするほど少ない、細々と記入された何枚かの書類を眺めた。
確かに土地所有者の名前は
祖父の家の玄関の扉があるダンジョン……私は父親からの手紙を読み直した。
「ダンジョンの事は、新谷川氏に相談しろ」
こうなったら、父親の人を見る目を信用するしかない。でも思い切り迷惑がられたらどうしよう?
私は恐る恐る、携帯端末に手紙に書かれていた連絡先の電話番号を入力した。
それから3日後の午後。
私は
私はちょいちょいとショートヘアの髪の毛を撫で、スーツのスカートに皺は寄ってないだろうな、と今更な心配をしつつビルに入っていって受付に向かった。
突然の電話だったけど、新谷川氏は穏やかでとても良い感じの男性だった。
お悔やみを言われ、生前の父親からダンジョンの件は頼まれていると聞いて私は安堵した。
そして色々と説明する事があるし見せたい物もあるので、自分の経営する会社まで来て貰えないかと丁寧に頼まれた。社長だったのか、と驚きつつ了解すると、新谷川氏は少しだけ奇妙な事を言った。
「その場に、一人同席をお願いしたいのですが。菜月さんの祖父、巌さんの知人なのです。身元は私が保証します」
「はあ、それは構いませんが」
別に内緒の話では無いし、他人がいても不都合は無いけど、しかし祖父の知人?
首をひねりつつ、来訪の約束をしたのだった。
受付の端末で手続きを済ませ、音声案内に従って社長室まで進むと、ドアの前に貫録のある高級そうなスーツ姿の中年の男性が立っていた。
「初めまして、新谷川です」
まさかいきなり、と驚いて焦って挨拶をすると新谷川氏は優しい目で私を見た。
「ああ、やはり勇さんに似ておられますね」
そうだろうか? 身長が高いところ以外はあんまり思い当たらないけどと思いつつ、新谷川氏の先導で明るいけど重厚な雰囲気の社長室に入った。家具などもシンプルだけど豪華だ。
潰れた元の会社の貧相な社長室とはずい分と違うな、と失礼な事を考えていると奥の大きな椅子に座っている老人に気が付いた。
痩せて白髪の頭髪は薄く、杖を握った手も、顔も皺だらけだけど眼光は無茶苦茶に鋭い。
このお年寄りが祖父の知り合いか……と目が合った瞬間、老人は良く通る声で言った。
「あの間宮の孫娘か。血縁者でも全然似ておらんな」
顔も覚えていない祖父に似ていなくて悪かったね、と思わず睨むと向こうも睨み返してきた。
この爺さんとは絶対に相性が悪いと確信した瞬間、新谷川氏が穏やかに割って入った。慣れている。
「ご紹介します。こちらは
久満老人はふん、とあしらった。失礼な爺さんだな。
「そんな肩書はどうでもいい。さっさと話を始めろ。間宮の孫娘が物事を理解してから私の話をする」
絶対に理解してやらん、と決意してから新谷川氏にすすめられるまま応接セットのソファに座り、テーブルの上に準備されていた高級そうな茶碗に注がれた香りのいいお茶を味わう。
「あらためてお悔やみを申し上げます。勇さんは、私の一番の恩人なのですよ。生前にきちんと恩返しが出来なかったのが心残りで……」
しみじみと話す新谷川氏の言葉にちょっと首をひねる。
「あの父が恩人ですか。どうもピンときませんね」
「飄々としていましたが、とても良い方で菜月さんの事も良く話されていました」
新谷川氏はちょっと黙ってから、背筋を正した。
「思い出話は、場所を変えてからにしましょう。
さてダンジョンの件ですが、菜月さんにはダンジョンを受け継ぎ内部の調査と探索をやるようにと。これがお父上の遺言です」
私はしばらくの間、固まっていた。
「ちょっと。ちょっと待ってください。受け継ぐのはともかく、何ですか調査と探索って」
心なしか、新谷川氏が気の毒そうに私を見た。
「扉を開けてダンジョン内に入れるのは、菜月さんだけだからです」
「はい?」
「あのダンジョンが発生してから、様々な調査が行われました。そしてとりあえず判明した事は、ダンジョンに入れるのは、巌さんの息子である勇さんだけだったという事です」
私は呆気にとられた。扉……祖父の家の扉……祖父の息子……それはつまり……。
「つまり、もしかして、私が娘だから、間宮巌の孫だから、ダンジョンに入れるという事ですか?」
「そうです。そしてお父上がやり残した事を終わらせて欲しいのです。その為の探索には、私も恩返しとして全面的にバックアップをいたします」
そういえば父親の手紙には、「よろしく頼む」とあったな。けどダンジョンの探索なんて冗談じゃない。
「やり残した事って、ゲームみたいにダンジョンの奥にあるお宝でも探せって事ですか? 私はそんな物に興味ありませんし、誰も入れないなら放置しておけばいいじゃないですか。固定資産税ぐらい払いますよ」
新谷川氏は困ったような表情になった。
「それがですね……」
と、いきなり横から久満老人が話しかけてきた。静かだから存在を忘れてた。
「孫娘、ダンジョンから私の本を持ち帰って来い。それが父親のやり残した事だ」
久満老人の皺だらけの顔がすぐそばにあった。
「間宮は、私から本を借りて返す前に屋敷ごと地底に落ちて行方不明になった。だからダンジョンのどこかにその本がある。何としてでも探し出して私の元に持ち帰って来い」
私はようやく声を出した。最大級に意味がわからない。
「ダンジョンで本を探せって……」
久満老人は目をぎらぎらさせて私に詰め寄った。
「私は入れなかったがな、間宮の倅の調べでは、あのダンジョンは間宮が積みまくっていた何万冊という膨大な量の蔵書が元になって出来ている。だから必ず私の本もどこかにある。私にはわかる。しかし間宮の倅はついに見つけられなかった。だから次は、間宮の孫のお前が探せ」
私はぐらぐらする頭の中で、父親に思い切り文句を言った。こんなややこしい爺さんを私に押し付けたのかー! その間も久満老人はお構いなしに話を続けた。
「だがダンジョン内では、何らかの方法で毎日のように本が増えているそうだ。行方知れずの間宮の執念が延々と本を積ませているんだろう。あいつならやりかねん。しかしこれ以上本が増えても、私の本が探しにくくなって面倒なだけだ。だからお前が積ん読を停止させ、私の本を探し出せ。いいな」
私はようやく手紙の意味を理解した。
――私は終わらせる事が出来なかった。
――私の父親のせいだ。あれは「積ん読ダンジョン」としか言いようがない。
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