第14話 バレホルムでの日常

 仕事を始めて1ヵ月、最初はセレナに怒られてばかりだったイレーネだが、だいぶ順調に仕事がこなせるようになった。今日はついにセレナの監督も外れ、1人で掃除をしている。ルンルンと鼻歌を歌いながらガラスを拭いているイレーネを、複雑そうな表情でエミリオが見た。

「だいぶなじんできたけど、やっぱり違和感がありますね。『死神』が掃除なんて」

「そうだな。はじめはどうなることかとも思ったが、案外頑張ってくれているものだ」

「オレだってやったことなかっただけで、やればできる子なんだよ」

 裏方の仕事なんてつまらないと思っていたイレーネだったが、やってみると意外と楽しかった。特に、掃除なんかはやったらやっただけ結果がでるのだ、戦闘と同じく目に見える成果が出るのでやる気も出てくる。

「メイド業もいいけどさ、本業忘れるなよ」

「わかってるさ」

 掃除を行いつつも、イレーネはちょくちょく周囲を確認していた。特に不信な点は見当たらない。ここ一ヵ月、特に変わった事件は起こっていなかった。


「エミリオ、今日の予定は?」

「今日は13時からアレックス殿と会談の予定です。場所は4階の応接間。それ以外はいつも通り、ここで書き仕事、ですね」

 イレーネがここにきてからというもの、アンジェロはいつも執務室で仕事をしていた。毎日大量に書類が運ばれてくるし、時々兵士が指示を仰ぎにくることもあり忙しそうだ。しかし、指揮官だというのに、部屋を離れる様子のないことが不思議だった。

「なぁ、アンジェロ。あんた、指揮官なんだろ?ずっとここにいていーのか?」

 イレーネには、指揮官は戦地を転々と移動しているイメージがあった。そうでないにしても、高官とはもっと動き回るものではないのか?少なくとも、イレーネの護衛したムルールの高官はやれ会議だのやれ会食だのとせわしなく移動していたものだ。その大半はイレーネからすれば、無駄としか言いようがないものだったが。

「指揮官といっても、私はお飾りだからな。基本の仕事は書類に判を押すことだ。それに、私は他の官僚にあまり好まれていないようで、会議などの予定も頻繁にはないんだ」

「いい腕してんのに、もったいねーな」

 イレーネがそういうと、『わかってるじゃないか』となぜかエミリオが得意げに胸をはった。


「しかし、これでも私の身分からしたら、十分すぎるくらい厚遇されているのだよ。文句はいうまい」

「えっ、あんた、貴族様なんじゃないのか?」

 まるで平民出身だとでもいいたげなアンジェロの発言に、イレーネは驚いた。アンジェロは身なりも所作も貴族そのものだ。貴族にしてはずいぶん発想が柔軟だとは思っていたが、まさか本当に平民出身なのだろうか?

「貴族といえば、貴族ではあるのだろうが、そんな『様』を付けられるほど爵位が高いわけではない。いわゆる、下級貴族というやつだ」

「へぇ、貴族にもいろいろあるんだな」

 貴族の中に違いがあるとは知らなかった。イレーネにはよくわからないが、きっと、アンジェロもその身分についていろいろと苦労してきたのだろう。

「私の家系でいえば、本来はせいぜい、部隊長がいいころだろうな」

「なのに、アンジェロ様は実力でここまで上り詰めたんだ。すごいだろ!敬えよな」

「へいへい」

 イレーネは適当に返事を返し、掃除を再開する。貴族なんて苦労知らずだろうと思っていたが、高貴な身分というのもそれはそれでしがらみがあるのかもしれない。イレーネもその実績からそれなりの好待遇を受けていたが、たびたび『能力者』の癖に、と難癖をつけられてきた。案外アンジェロも、『下級貴族の癖に生意気だ』なんていわれているのかもしれない。やっかみを華麗にスルーするアンジェロを想像し、イレーネは可笑しくなった。


「それでも、時にゃ戦場に出るんだろ?オレんときそうだったじゃん」

「まあな。その時はエミリオに頼りっぱなしだ」

 そういえばエミリオも『能力者』だったな、とイレーネは雑巾を絞りながら返事をする。たしか能力は瞬間移動だった。それならここから即座に移動できるだろう。

「どこでも行けんの?」

「あぁ。座標さえ分かれば距離に制限はない。どこの惑星にだって一瞬だぜ。お前ん時も、『死神』が出たって報告があったら、ここから飛んだんだ」

「そりゃ便利だな」

 イレーネは船旅も嫌いではないが、その便利さには惹かれるものがある。一瞬でどこにでもいけるのなら、休日にバカンスに、なんてこともできるかもしれない。

 ――命狙われている身で、それはねーか。

 イレーネが働きだしてからというもの平和だったので忘れていたが、アンジェロは国内外に敵が多い人物なのだ。気軽に出歩けるわけもなかった。となると案外、瞬間移動の恩恵は受けにくいのかもしれない。それでも便利なことにかわりはないが。

「先日は休日だったのでな。さすがに焦った。エミリオと一緒にいるときで助かったよ」

 来てくれなくてもよかったのに、とイレーネは文句をいう。もしアンジェロたちが戦場にきていなければ、イレーネは容易に戦場から離脱できていただろう。イレーネにとっては不運なことだった。

 ――まぁでも、今結構楽しいし、わるいことばっかでもねーな。

 過去を振り返っていたも仕方ない。起こったことは変えられないのだ。だったら今を楽しむしかない。イレーネはそう考え、今度はお茶を入れるべくキッチンに向かった。

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