第9話 意外な申し出

人の話す声が聞こえる。まだ眠っていたいのに、声が煩わしくてそうもいかない。またルイスが騒いでいるのか。イレーネは重い瞼を開き、ここが住処でないことを思い出した。

 ――今回はマジでダメだと思ったんだけどな。

 視界には見知らぬ天井が移っている。どうやらここは地獄ではないようだ。イレーネが目を覚ましたことに気づいたのか、話し声が止んだ。一体どんな状況か確かめるため、イレーネは体を起こそうとしたが、激痛が走りそのまま倒れ込んだ。


「気が付いたか。……まったく、悪運が強い奴だ。医師は助かるかは五分五分だといっていたぞ」

「……なんで殺さなかったんだ?」

 イレーネが横を向くと、ベッドのそばにアンジェロとエミリオが立っていた。アンジェロは面白そうな顔をしているが、エミリオは複雑そうだ。きっと、イレーネの処遇を巡ってひと悶着あったのだろう。イレーネは疑問をそのままアンジェロにぶつけた。

「気が変わったんだ。『死神』をとらえたとなれば、利用方法はいくらでもあるだろう?」

「ははー、交渉に使うつもりだな。でも、そう上手くはいかねーと思うぜ?」

「おい、『死神』!アンジェロ様になんて口をきくんだ!」

 イレーネが笑みを浮かべながらいうと、エミリオが食って掛かってきた。イレーネはめんどくさそうに眉を寄せる。どうやらこのエミリオという少年は、かなりアンジェロを慕っているようだ。

「気にするな。……エミリオ、ちょっと医者を呼んできてくれないか?『死神』が目を覚ましたと伝えてくれ」

「しかし、アンジェロ様……」

「このケガでは、さすがの『死神』も抵抗できまい。心配するな」

 イレーネとアンジェロを2人きりにするのが心配なのか、エミリオはかなり渋っていた。しかし、上司の命令には逆らえないのか、「アンジェロ様に手を出したら、殺すからな!」と捨て台詞を残して部屋を後にした。


「さて……、なぜ君はそう思うんだ?」

 エミリオを見送ると、アンジェロは何事もなかったかのように会話を再開した。イレーネを見つめる視線は鋭いものの、戦場で会った時のような敵意は感じられない。それどころか、どこか好奇心さえ感じるような視線だった。イレーネは少し困惑したが、どうせ抵抗できないのだ、素直に会話に応じることとする。

「ムルールじゃ『能力者』なんて使い捨てなんだよ。いくら実績がある『死神』っていったって、所詮、消耗品なんだ」

「……君の言う通り、交渉は決裂した。君の処遇は勝手にしてくれ、とな」

「まぁ、そんなもんだろうよ」

 特に気にするでもなくそう言い放つイレーネに、アンジェロはなにか言いたそうな顔でしばらく黙り込んだ。しばらく思案した後、アンジェロは再びイレーネに問いかける。

「……君は、死にたいとでも思ってるのか?」

「……なんでそーなる?」

 思ってもみない発言に、イレーネはあからさまに嫌そうな顔をした。本気でそう思われているなら心外だ。イレーネはいつ死んでもいいような心構えだけは持っているが、正直、早死にするなんてまっぴらだ。ルイスに泣かれるのはめんどくさいし、まだ読んでない本だって残っている。やり残したことだって1つや2つではない。

「だって、そうだろう?国に裏切られたというのに、気にしていないようだし。君も敵国にとらえられた兵士の処遇ぐらい知っているだろう?それに……」

「それに?」

 アンジェロはそこでいったん言葉を止めた。続きを口に出しているのか迷っているようだ。興味をそそられたイレーネが続きを促すと、アンジェロはのろのろと口を開いた。

「……だったらなぜ、君は笑ったんだ?」

「笑った?オレが?」

「あぁ。私が君に銃口を向けたとき、君は確かに笑っていた。しかも、楽しそうに。死を望んでいないというならなぜなんだ?」

 心当たりがなかったイレーネだったが、ようやく合点がいった。 意識が途絶える前、イレーネは無意識に笑っていたらしい。それなら自覚がないわけでもない。

「そう大層なことでもねーよ。あの瞬間、オレは確かに死んだと思った。けど、それうなったことに後悔はしてねー。ただそれだけだ」

「それは、死に急いでいる、ってやつか?」

「似てるけど、ちょっと違うかな。オレは別に死にたいとは思ってねーし、なんなら長生きしたいとまで思ってるよ。でも、人は死ぬもんだろ?」

 意味が分からないという表情をしているアンジェロにもわかるように言葉を選んでいく。こんな風に頭を使うのは苦手だが、今はそうするべきだ、と本能が告げている。

「しかも、いつ死ぬかなんて誰にも分らねー。だからオレは、いつ死んでも後悔しないように生きてるんだ。それだけだよ」

「そうか、生き急いでいるってやつだな」

 ちょっと違うが、言いたいことは伝わったようだ。イレーネは満足してうなずいた。アンジェロはしばらくイレーネの言葉をかみしめるように黙り込んでいたが、やがて意地が悪そうに笑みを浮かべて口を開いた。


「死を望んでいるわけではないのなら、まぁ、交渉の余地はありそうだ。死にたがりを生かすほど我が国は優しくないからな。……『死神』」

「なんだ?」

「君の任務は学生の護衛、だったな。では、それは完遂された、とみなしてよいだろう。ということは、君はいま無職、ということになる」

「意地悪な言い方すんなよ。でも、まぁ、そうなるな」

 話が見えないイレーネは生返事をする。なんだか自体が妙な方向に進んでいるような気がする。そんなイレーネをそのままに、アンジェロは笑みを浮かべたままこう続けた。

「しかも、祖国に見放され、行き場がない、と」

「そうだな。間違っちゃいねーよ」

「では、こういうのはどうだ?『死神』、私に雇われる気はないか?」

「……、はぁ?」

 思いがけない提案に、イレーネは頭が真っ白になった。

 

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