第8話 終幕

 一塊の兵士たちに向かって走りだしたイレーネは強く地面を蹴ると大きく跳躍した。自身にかかる重力を操作し、通常よりも高く、長く飛び上がる。そのまま兵士たちの中に飛び降りると、近くの兵士にかたっぱしから切りかかっていった。

「……っ、撃て、撃て!」

 突然の猛攻に動揺していた兵士たちが再び銃口をイレーネに向けた。一斉に発射された銃弾がイレーネを襲う。イレーネは一括で撃ち落とさずに、当たりそうな弾だけを個別に墜落させた。負傷する可能性は大きくなるが、こちらの方がスタミナを使わないのだ。銃弾が所々肌をかすめ、ピリピリする。イレーネは周囲に満ちた血の匂いとヒリつくような命の危機感に興奮を隠せない。

 ――これじゃ、『悪魔』ってのもあながち間違いじゃねーな。

 不意に兵士の放った言葉が頭をよぎり、イレーネは苦笑した。先ほどは否定したが、よく考えるとあながち間違いでもないかもしれない。生まれついてのものかはわからないが、今のイレーネは退屈な平穏より、血が沸き上がるような危機の方を好む性分なのだ。


「……ちっ」

 撃ち落とし損ねた銃弾が脇腹に命中した。焼けるような痛みを覚え、イレーネは舌打ちする。傷口に目をやると、出血が激しい。太い血管を傷つけたようだ。それでも、興奮してるからか動けないほどの痛みではない。イレーネは動きを止めないまま、周囲の兵士を始末していった。


「なんだあいつ。倒れてもいいはずなのに!」

「手を止めるな。奴も人間、弱っているはずだ」

 血まみれなのに笑みを浮かべたままバレホルム兵を屠っていく様子に、おびえる兵士たちが出始めた。前線を仕切る部隊長は攻撃の指示を出すが、イレーネ近くの数名の兵士は武器を捨てて逃げだした。

「うわ、なんかすげーことになってますね、アンジェロ様。こわっ」

「エミリオ、参戦しなくていいのか?」

 サーカスでも眺めるような態度で前線を観察しているエミリオにアンジェロと呼ばれた指揮官がにじわるそうにいった。エミリオは少し悩むそぶりをみせたが、すぐに首を横に振った。

「うーん。面白そうだけどやめときます。手負いの獣ほど危ないもんはないですから。それに、もう俺が行かなくてもいいでしょう」

 まったくだ、とアンジェロはうなずくと、再び前線へと視線を移す。あの出血ではもって数十分だろう。損害は少なくないが、『死神』を追い詰めたのだ、必要な犠牲だろう。


 イレーネは、逃げだした敵は追わずに武器を構える兵士だけを狙って攻撃を続けていた。戦意を喪失した敵を追いかけるほどイレーネは非情でないし、何よりそんな余裕もない。

 ――そろそろ着いたかな?

 イレーネが後方に目をやると、ちょうど学生たちの乗った船が出発していくのが見えた。ひとまず、仕事は完遂したのだ。銃口を向ける兵士に突っ込みながら、イレーネは思案する。ここで戦い続ける理由はなくなった。しかし、今から行動したとして果たして逃げ切れるだろうか?正直、ナイフを握る手にも力が入らなくなってきた。血を流しすぎたのだ。指揮官は再び沈黙を保っているが、それだって、イレーネが限界なのを知ってあえて指示をだしていないに違いない。素直にイレーネを逃がしてくれそうではない。イレーネは改めて生命の危機を意識した。

 

 ――ガキのお守りで戦死するなんざ、ジジイに笑われそうだ。

 イレーネは口元に浮かべた笑みを深くした。イレーネが死んだとしても、きっとオスカーは笑い飛ばして終わりだろう。ルイスは泣くだろうか?泣かないにしても恨み言を言われそうだ。帰る気はあったんだ、とイレーネは言い訳をした。ここで死ぬとは思っていなかったが、そういうことなら仕方ないだろう。イレーネは死ぬことについてさほど恐怖感は抱いていなかった。今まで好き勝手生きてきたし、未練がないとは言わないが、まぁ仕方ないと思っている。とはいえ、簡単にやられるのは癪に障る。勝手につけられた異名とはいえ、『死神』の名にプライドはあるのだ。

 ――少なくとも、1/3は道連れにしたいところだな。

 イレーネはナイフを握る手に力を込めた。


 ――さすがに限界だわ。

 宣言通り、全部隊の1/3ほどを始末したところで、イレーネは膝をついた。視界が霞み、寒気がする。イレーネが動きを止めたことを確認し、アンジェロが攻撃をやめるように指示を出した。

 後方で控えていたアンジェロが初めて前に出てくる。隣にはエミリオが控えていた。休日感満載な格好のアンジェロにイレーネは、休日出勤って手当が出るのかな?、とぼんやり思った。

「――まさか、『死神』が女だったとはな。女性なら、『女神』とでも名乗ればいいものを」

「別にいいだろ。オレが自主的に名乗ったわけでもねぇ」

 嘲るように言われ、イレーネは不満げにそう返した。周囲が勝手につけた異名だ、イレーネに文句を言われてもこまる。まぁ、気に入ってはいるのだが。

 「『死神』を仕留めたとなれば、また箔がつきますよ、アンジェロ様」

「あぁ。私が追い詰めたわけではないのだがな」

 いや、あんたの手柄だろ、とイレーネは心のなかで突っ込んだ。実際、アンジェロがいたのといなかったのでは結果が変わっていたと、イレーネは確信している。イレーネの能力だけでなく、その射程距離まで把握されたのは痛手だった。

「何か言い残すことはあるか?」

「……なんだ、バレホルムの指揮官様は敵国傭兵の遺言まできいてくれるのか?」

 イレーネは面白そうに笑ってそういった。この指揮官様まなかなか親切な人物のようだ。後方支援が仕事だから直接人を手にかける機会が少ないのだろう。

「ふざけるな。まだ生きて帰れるとでも思っているのか?」

 茶化すようにいわれ、アンジェロは銃口を調節しながら顔を顰めた。エミリオは面白いものを見るかのように口笛を吹く。

「さすがに、もうだめだと思っているよ。でも、まぁ、頑張った方じゃねえか?」

 仕事は成し遂げたし、目標も達成した。うん、オレ頑張ったな、とイレーネは自分を褒めてやった。

「アンジェロ様?」

 銃を女性に向けたまま固まってしまったアンジェロを不思議に思ったのか、エミリオが声をかけた。

「……あぁ、エミリオ、問題ない。遺言はないようだな。抵抗しなければラクに殺してやろう」

「そりゃ親切だな」

「……っ、あの世で同胞らに詫びるがいい」

 アンジェロが引き金に指をかける。イレーネは最後に己の人生を振り返ってみた。良い人生ではなかったが、オスカーに引き取られてからは自由に生きてきた。ガキを守って死ぬとは自分らしくはないが、それはそれでヒーローのようで悪くない。小さいころは正義の味方にあこがれたものだ。さんざん人を殺してきたのだから、天国には行けないだろう。しかし、地獄は地獄で退屈はしなさそうだ。

 ――まぁ、悪くなかったな。

 銃口をまっすぐに見つめるイレーネの顔には、自然と笑みが浮かんでいた。


 ――乾いた音があたりに響き渡った。

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