第3話
◆
シンガーソングライターの飯塚純平が死んだ。
故郷の島の病院での最期だった。
マネージャーの祐樹のもとに病院から連絡がきたのは、亡くなって間もなくだった。
純平がそう病院側に言づけたらしい。
慌てて社長とともに島に来て火葬を済ませ、そして今、祐樹は海にいる。
故郷の海に散骨にしてほしいというのが、純平の遺言だった。
純平は、生涯独身を貫いた。実家の家族もすでに亡くなっている。
だからこうして、祐樹と社長に自分の遺灰をたくしたのだろう。
「いや~、やっぱなんか懐かしいなこの島。実家を思い出すわ」
まだまだ蒸し暑い真夏の夕暮れ。
沖へと向かうモーターボートの上で、潮風に揺れる髪を押さえながら社長が言う。
もう高齢者と呼べる歳なのに長髪の社長は、いまだに若者に負けず劣らずのエネルギッシュさに満ちている。
「社長も島出身でしたっけ」
「いや、バリバリの雪国。冬は家が雪で埋もれるレベルの」
「……そうですか」
社長とのこういう会話には、いつも飯塚さんがツッコんでくれたっけ。
でも、もういないんだ。
そんなことを思いながら、猛暑のせいで額に浮かんだ汗をぬぐい、キラキラと輝く大海原に視線を移す。
夕暮れの光を吸い込んだみたいに、水面が茜色に染まっていた。
祐樹が純平の専属マネージャーになったのは、〇△エンターテイメントに入社して一年目だった。
数々のミリオンヒットを打ち出した大御所ミュージシャンの専属マネージャーという大抜擢に、当初は緊張で頭がおかしくなりそうになったものである。
だが世間一般に知られているクールでセレブな印象とは違い、実際の純平は人懐っこくて庶民派の男だった。
彼の気さくさに、祐樹はこれまで幾度も助けられてきた。
「それにしても、あいつが死ぬとはな。死ぬ前に姿くらますって猫かよ」
隣で社長が、しみじみと言った。
その手には、白い骨壺が大事そうに抱えられている。
行方をくらましていた純平は、余命宣告を受け、ひとり故郷で闘病していたらしい。
突然の訃報を受けたとき、祐樹はショックで頭が真っ白になった。
だが社長はそれ以上だろう。
入社五年目の祐樹とは違い、社長と純平はデビュー前からの付き合いだ。
サイトにアップされた純平のギター演奏動画を見て、オーディションを受けないかと声をかけたのも、当時は底辺社員だった社長だそうだ。
純平の才能はオーディションで当時の社長に認められ、トントン拍子のデビューになったという。
「このあたりでいいですか?」
船長が操縦席から声を張り上げた。
祐樹はあたりを見渡した。どこでもたいして変わらないような、相変わらずの海景色。
「はい、大丈夫です」
「じゃ、撒くか」
社長が白磁の壺を手に座席から立ち上がる。
白い遺灰をつかみ、ふたりで海に向けて撒いた。
それは夕暮れの光をまとって輝きながら、波打つ大海原に降り注ぐ。
まるで雪みたいだなと思う。
真夏の吹雪だ。
一定のリズムで揺らめく波の上、自由気ままに潮風に吹かれている真夏の吹雪を見ていると、純平の歌を思い出した。
純平の歌は、波のように普遍的な美しさがありながらも、枠にとらわれない潔さもあった。
そして何よりも、人の心の痛みに寄り添うあたたかさが滲み出ていた。
祐樹は学生時代から純平のファンだった。
彼の歌は覚えているというより、もはや体に染みついている。
「飯塚さん、なんで結婚しなかったんですかね。浮いた話も聞かなかったですけど」
「ああ、それな」
白い真夏の吹雪を見つめながら、社長が言う。
「純愛を貫き通したんじゃないかな。高校のときに亡くなった幼馴染の子を、ずっと想ってたんだろう」
「その噂、本当だったんですか?」
祐樹は驚きの声を出す。
とあるアルバムの収録曲に、亡くなった恋人を思うような歌詞の歌が収録されていたことから、以前に噂が流れたことがある。
純平がオーディションを受けた当日、見送りに行く途中で、恋人が車に轢かれて亡くなったというものだ。
当時、島では一部の釣り客の車のマナーが問題になっていたらしい。
とはいえ、あまりにも出来すぎた話だから、過去の新聞記事で事故を知ったファンが妄想した作り話だと思っていた。
「自分のことをあまり話さないやつだったからな、はっきりとは言えねえけど。幼馴染を亡くして、オーディションに受かってから半年くらいふさぎ込んでたのは事実だよ」
それ以上、社長は口をつぐんでしまった。
空気を察して祐樹も黙る。
自分のことをあまり話したがらなかった純平のことだ。
死後に自分のことを他人にとやかく言われるのは不本意だろう。
散骨が終わり、モーターボートが港に向かって走り出す。
「アイス食いたかったら、そこのクーラーボックスに入ってるんで、勝手に食べてください。実家の駄菓子屋から持って来たんです」
操縦席から、また船長が声をかけてきた。
「アイスだってよ。遠慮なくもらおうぜ。おっ、懐かしい。かなうバーじゃん!」
クーラーボックスを開けた社長が、年甲斐もなくはしゃいでいる。
「かなうバー? なんすかそれ」
「知らない? かなうバー。食べたら願いが叶うっていうチョコアイス」
オレンジ色のパッケージを見せて、社長がいたずらっ子のような笑みを見せた。
「知らないです」
「え、かなうバー知らないの? うわ、ジェネレーションギャップ感じるわ」
「なんかたいそうな売り文句ですけど、それ、どっからどうみても普通のチョコアイスですよね。類似品があふれてそうな」
「そう言わず、一個食べろよ。願い叶えとけ」
「食べろよって、このアイス、船長さんのですから」
いただきます、と船長に頭を下げて、祐樹はかなうバーの袋を破る。
想像どおりの見た目で、想像どおりの味だった。
かなうバーを食べながら、キラキラと宝石のように輝く茜色の海に視線を馳せる。
君に会いたい。
君に会いたい。
もう一度君に会えたら…‥。
そんな切実な想いがこもった純平の歌詞が、潮風に乗って聞こえた気がした。
海から聞こえたのかもしれないな、と祐樹は思う。
純平はたった今、夏の吹雪になって、故郷の海とひとつになったのだから。
END
かなうバー ユニモン @unimon
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