元彼が恋敵の世界線
藤芽りあ
第1話 理想の彼氏
「あ、凪~~今日、塾ない日だろ? 俺んち来る?」
教室内から好奇の視線を感じて居心地が悪いが、向こうも移動中。友達も一緒にいたので素早く答えた。
「うん。行くよ」
「じゃあ、放課後な」
サッカー部のエースの湊はかなり人気がある。そんな彼に声をかけられたのを見て教室内はざわついた。そして数人の子が話かけてきた。
「凪、テスト前なのに沢渡君の家に行って大丈夫なの?」
私は、質問の意味がわからなくて聞き返した。
「テスト前だから一緒に勉強するの。私は数学が苦手だし、湊は英語と古文が苦手だから」
「勉強ね……でも……実際、勉強どころじゃないんじゃない??」
そう言われてようやく、彼女たちの質問の意図に気が付いた。
「家柄、顔、共に極上、スポーツまで出来て、色気ある彼氏なんて理想~~!!」
「彼の家に二人っきりで勉強できるわけないよね!?」
私は「幼馴染だから、二人でいてもゲームとか漫画とか勉強とかばっかりだよ?」と答えると、友人はあたたかい目を向けながら「わかった、わかった。そういうことにしておくよ」言った。
みんな彼氏と二人になったら勉強はしないのだろうか?
そんな疑問を持ってしまうほど、私と湊の関係は彼女たちの想像するような関係ではなかった。
放課後。
私と湊は彼の家の広すぎるリビングでテスト勉強をしていた。
湊の両親は、現在海外赴任中。家政婦さんはいるが、午前中だけの契約らしいので家には湊と二人きり。
そんな二人だけの空間で、私たちはただひたすら勉強をしていた。
静まり返った家の中にペンの音だけが聞こえる。
「……なぁ、凪。これってどういうこと?」
ふと、湊が顔を上げてわからない英語の問題を尋ねて来た。
私も淡々と答えた。
「ああ、これはこういう表現があるの。直訳はできないから覚えて」
「へぇ、サンキュ」
「……」
「……」
そして再びの沈黙。
ただひたすらペンの音が響き、今度は私が声をかけた。
「ねぇ、この問題ってどうやって解くの?」
湊は問題を覗き込みながら言った。
「ああ、これはこの公式の応用。でもこれだけじゃ解けない。だから、これを使う」
「そういうこと? ありがとう」
顔はかなり近いが何も起きない。
湊とは幼稚園の頃からの付き合いだが、いつもこんな感じだ。付き合う時も淡々としていた。
約半年前……
『なぁ、凪ってさ。彼氏ってほしくない?』
高校1年の夏休みに、二人でゲームをしていた時に湊に突然聞かれた。
まるでお昼ご飯を決めるような気軽さで……
『それは……ほしいけど……相手がいない』
だから私も軽く答えた。すると湊は『凪、モテるのにな』と言ってしばらくゲームを続けた。
そして、その日の帰り際にゲームを片付けながら言った。
『凪、俺を彼氏にしてくれない?』
『なんで?』
『キスしてみたくて……』
好奇心を満たすような答えだが、怒りは湧かなかった。
彼女じゃないとキスはしない、という湊なりの誠意のようなものが感じられたし、常に多くの女の子に告白されている湊に選ばれたという一種の優越感もあったのかもしれない。
湊のことは嫌いではないし、それに私も友人から聞いていたキスというものがどんなものなのか知りたかったという好奇心もあった。
『いいよ』
湊は驚いた顔をして『いいの?』と尋ねた。
『うん』
私が頷くと、湊は『じゃあ、これから俺は凪の彼氏ってことで……キスしてもいい?』と尋ねた。私は『うん』と答えた。すると、唇にやわらかな感覚があった。
本当に触れるだけの――キスだった。
湊はすぐに唇を離すと、なぜか泣きそうな顔で『ありがとな』と言った。
それ以来……湊とは何もない。
これまで通り、幼馴染で……友達で……名ばかりの彼氏彼女の関係。
「はぁ~~終わった。今日はありがとな。かなり捗ったわ」
テスト範囲の勉強を一通り終えると、湊が伸びをした。
「夕飯食べて行くだろ? テスト期間中だから凪の夕飯も用意してもらってる」
「うん、ありがとう」
私の父は単身赴任で、母は24時間対応の認可保育園の保育士で遅くまで戻らなかったり、泊まりだったするので大抵は塾の帰りに何かを買って帰っている。
湊の家の家政婦さんの料理はおいしいので正直嬉しい。
湊が料理をレンジで温めながら尋ねた。
「テスト終わったら、どっか行く?」
私はお箸と飲み物を用意しながら答えた。
「う~~ん。じゃあ、画材見に行きたい」
「OK、俺も服見に行きたい」
そんな風に答えた。
いつも通りの日常。
なんとなく、この生活は変わらないんだろうな……そう思っていた。
そしてテストが終わって数日後。
塾の帰りにいつものように二人で家に帰っていた。
湊とは塾が同じで、家も近所。
湊はサッカー部なので、塾の終わる時間が基本的には遅いが、今日はミーティングだけの日のなので早く塾が終わったので、一緒に帰っていた。
「湊、私、スーパーに寄りたい……」
そう言った時だった。
湊が立ち止まって、私を真剣な顔で見ながら言った。
「ごめん……凪。俺、他に好きな人出来た……」
「え?」
春の終わりのまだ冷たい風が肌をかすめる。
「……別れてほしい」
不思議な気分だった。
ずっと仲のよかった幼馴染に好きな人が出来たのだ。
淋しいという思いもあった。
でも……
湊は昔からあの広い家に一人で、いつも淋しそうだった。
それがいつからか、完璧な王子様のようになった。人を寄せ付けない笑顔に、心に大きな塀があるかのように常に何かに集中している湊を危ういと思っていた。
私と湊はいわば共依存のような関係になっているという自覚はあったので、湊から解放されることにどこかほっとしていた。
「わかった。別れよう……」
「凪……本当にごめん……」
『キスがしてみたい』という好奇心を満たすための成り行きの彼女に対して、湊は良い彼氏だったと思う。そんなにあやまらなくてもいい、そう言おうとしたが、これは湊と距離を置くいい機会になるかもしれないと思えた。
だから私はあえて、湊の謝罪を何も言わずに受け入れたのだった。
――本当に好きな人できて……よかったね……
私は別れ話をされたにもかかわらず、元彼の恋路を応援できるほど落ち着いていたのだった。
元彼が恋敵の世界線 藤芽りあ @happa25mai
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