三十五話 天使の魔女
屋敷の玄関で見たメイドが物影からガルドの側に近づいていく。
このメイドも魔力を放っており、おそらくは天使兵器と考えられた。
「お待たせしましたガルド様」
メイドの発言により、ガルドはバエルとの戦闘中に隠れて指示を出していた事が窺える。
そして上空に停止した巨大船から、白い羽を持った美しい女性がガルドの隣に飛来して来た。
「なんだ? あれだけ魔力が桁違いだぞ!」
並みではない敵戦力の増加に萎縮するルーア。
その呟きを聞いたガルドは面白そうに語り始める。
「お前達がバエルを始末してくれたおかげでようやくこれを起動出来たぞ。これ一体でバエルに匹敵するやもしれんな。こいつの名はルーア。新たに作ったゼラムルの封印解除装置だよ。ルーアの召喚術があれば、ゼラムル復活など容易かろう」
(どういう事だ? あれが私? ゼラムルの封印解除装置? ゼラムル復活は方便ではないのか? 何のために?)
嬉々として喋るガルドの話にルーアは困惑の色を浮かべる。
自分はゼラムルの封印監視と万が一の為の再封印の為にこの千年、転生を繰り返して来たはずだと……
「そうか、言ってることが分からなかったな。お前に教えた事は全て嘘だ。お前がルーアから引き継いだ物など転生術くらいしかない」
ガルドは下卑た笑みで転生術の全容を話し出した。
初代ルーアはゼラムルとの戦いに赴く前に自身の記憶を込めた魔道具を使い、それを人間の胎児へと移している。
アズデウスの研究者はそれを知り、その魔道を利用するために厄災への対抗策、英雄ルーアの遺言と称して生まれた赤子を回収したのだ。
しかし、新しい身体に引き継げたのは幾ばくかの記憶と転生術のみであった。
長命なエルフでもあった初代ルーアの情報を人間の、しかも胎児に移すなど所詮無理な話しであったのだ。
かといって意志のある身体に使っても効果がないか、最悪は死んでしまう。
はっきりいって術自体が欠陥と言って良いだろう。
だが発想自体は面白いと、当時の研究者達は実験を繰り返した。
記憶など余計な引き継ぎをしなければ、高度な魔術式を蓄積出来ると考えての事だ。
それ以外の情報など後から適当に教えれば良い。
大規模破壊を行える術式、無限に戦力を増やせるような召喚術。
これらを長い時を掛けて作らせようとした。
だがこれも上手くはいかなかった。
でっち上げた使命という重責に潰される者。
欲に刈られ反逆する者。先代からアズデウスの非道な情報を継承した者。
今代のルーアのように継承した知識をろくに扱えない者。
転生術自体はルーア本人が行う。
時には騙して、脅迫して。
十数年を掛けて余計な情報を継承してないかを確認し、先代ルーアは始末される。
こんな方法で全うに記憶を引き継げる訳がなかったのだ。
「まだ分からないのか? お前はアズデウスの研究をまとめておくための入れ物なのだよ。封印? バカか。お前には無理だ!」
見下し、浴びせかけるようなガルドの言葉にルーアの考えはまとまらない。
ルーアとしての記憶など確かになかったのだ。
書物に記されたものが自分の記憶だと信じた。
数百年前のシトリーとの戦いとて書物の知識。
先代ルーアから引き継いだ魔術の記憶とて、実は大半が理解出来ていない。
それでも、自分は大戦の英雄であるラグナートやマトイと共に、破壊竜を封印した大魔道士ルーアであるという事。
そしてその使命が自分の存在理由の全て。
それが今、全部作り物の嘘だったと判明した。
ルーアの力を使って作った、自分しか読めない本を持たされているだけのような者。
「だがこれは違う。生かしておいた先代ルーアに転生術を使わせ、初代の魔道具から直接記憶を転写してある。器は意志が形成されてなかった四大天使に次ぐ力を持つ上位天使。完璧に引き継げていよう。おまけにこれは私の命令に従う。ああ、安心しろ。用済みの先代は始末したからな、後はお前が死ねばルーアは一人だけだ」
有頂天で喋り続けるガルド。それもそのはず。
千年前、最高の魔道士と呼ばれたルーアをそのまま手に入れたと言えるのだ。
「では……、私は……誰なんだ? 何のために……」
膝を付き放心するルーア。
ただただ虚ろな瞳を虚空に向け、呟くその口に雫が這う。
「ルーア! 何言ってんだ! しっかりしろ! まだ終わってねぇんだぞ!」
「でも、でも……私はルーアじゃなかった。私は誰なんだ……。今まで転生に使われた者達はなんだったんだ……」
カイラの叱責に応える事の出来ないルーア。
存在理由を否定されたルーアは大粒の涙を溢し、もはや立ち上がる事も出来ないでいる。
「だから! 大昔のルーアじゃないんだろ? ルーアの被害者とかおまえに関係ないだろうが!」
「どういう……事だ?」
激昂するカイラの言葉にルーアは疑問を抱く。
ルーアでないなら関係ないとは?
数多くの少女の犠牲の上に、自分が存在しているのに……と。
「そうだな。俺達は他のルーアは知らないからな……」
「僕のお友達のルーアちゃんはキミだけだよ!」
「何故いつも他の者と比べるのか謎だ」
「ルーア。カワリ。イナイ」
「私を私にしてくれたルーアはルーアなのですよ!」
シリル、ハミル、ワーズ、ガードランス、ユガケは矢継ぎ早に語った。
彼等の視線はただ一点、塞ぎ込んで泣いているルーアだけに注がれている。
「同じ名前ってだけだ。その身体もその意思も、始めっからおまえだけのもんだろうが……」
カイラの言葉と皆の言葉を、ルーアは下を向き項垂れたまま聞いていた。
力強く響くその言葉の意味。
それは溶けるように彼女の身体に染み渡っていく。
「くだらない茶番はこれまでにしようか」
これ以上見ていられないといった素振りを見せるガルド。
ガルドは杖を天使ルーアに向け、命令を与えた。
「ルーアよ。お前に天使への第二指令権を与える。天使を二名程付けてやる。こいつらを始末したらゼラムルを復活させてこい。私は行く所があるのでな」
ガルドの命令を聞き、天使ルーアが口を開く。
無表情のまま、淡々とその能力を誇示するように。
「他の天使では私に着いて来れないでしょう。私一人で十分かと思います」
「なるほど、確かに……。ならば無駄な戦力を割く必要もないか……」
天使ルーアの進言にガルドは少し考えを巡らせたが、その力を考えすぐに納得した。
それだけの力がこの天使ルーアにはあると言う事なのだ。
「それではお別れだ。色々私のために尽くしてくれた礼に、ルーアの大魔術で苦しませずに消してやろう」
別れの言葉と括ったガルド。その横に立った二名の天使が翼を広げ、ガルドを抱えて空の船へと消えていった。
すぐに空に鎮座していた船はゆっくりと動き始める。
「無様なものね……」
天使ルーアは項垂れたルーアを無表情に一瞥すると、翼を広げ上空に舞った。
手にした杖をシリル達に向けると、杖の先にガルド邸を丸ごと飲み込む程巨大な火球が現れ、シリル一行に向かって放たれる。
「《はみるふぃーるどぉ》!」
ハミルの全力の防御結界。
火球は結界の真上に着弾し、ジリジリと結界を圧迫して行った。
ユガケも手伝ってはいるが、気を抜くと全員揃って消滅しかねない威力を持っている。
「くだらない……。無様か……。言ってくれる……」
呟きながら立ち上がるルーア。
風の魔道書を取り出し、それをそのまま地面に投げ捨てた。
先代から引き継いだ自由自在に風を操る強力な魔道具。
こんな物はいらない、自分には合わないのだと……
代わりに魔符を取り出したルーア。
強力かつ複雑な術式の記された魔道具ではなく、魔力を込めると設定された簡単な動作をする魔具。
「そのくだらなさが……。その無様さが……。この私の存在理由だ……。目にもの見せてくれる!」
ルーアはその頭上に、多彩な魔符を数珠つなぎに円形に空間配置していった。
複雑な魔術を精神力で操るのではなく、パズル的な感覚で単的魔術を組み合わせる。
これなら膨大な魔力も精神力も必要なかった。
水を氷に、氷を風に。放電を作り出し、熱を作り出し、目まぐるしくエネルギーを循環させる。
相互作用で発生した凄まじい電流がルーアの頭上に出来上がっていく。
「《トールハンマー》!!」
ルーアの唱えたその台詞と共に……
天から降り注ぐ火球が消し飛び、地から天に雷光が立ち登る。
(そうだ、私は私なんだ。ハシルカの一員、ただ一人のルーア。無数のルーア達も、それぞれが別の少女。悲劇を忘れてはならないが、中には己が人生を貫いた者もいるだろう。自分の嘆きを重ね、一括りにしてはそれこそ無礼というものだ……)
ルーアの迷いは今この時、空と一緒に晴れ渡った。
ザガンに教わった古代魔術を自分なりに組み上げた模倣魔術。
今まで誰もやらなかった全く新しい試み。
自らが他の誰でもない、一人の人間である事を強く実感する。
「すげーじゃん! 今なら大魔道士? って呼んでも良いぞ」
「なんで疑問系なんだよ!」
カイラとルーアの他愛ないやり取りを見つめる天使ルーア。
その表情には先程までの冷たさはなく、少し微笑みを浮かべていた。
「私は北に封印されてるゼラムルを復活させてくるわね。貴方達は来ない方が良い……。せめてこの国から離れる事をお勧めするわ」
天使ルーアはそれだけ言うと翼を羽ばたかせ、大空を駆けて行く。
シリル達の始末を命じられたはずなのに、あっさりとその責務を放棄して。
気付けばガルド邸の敷地は灰になっていた。
十名程の天使達は巻き込まれ消滅したようだが、幸いな事に周囲の建物に出ている被害は大きくはない。
(やはり、何もかもがおかしい。まるで全て仕組まれたのような状況……)
沈黙を保っていたセリオスは奇妙な違和感を覚えていた。
バエルという魔神と、天使ルーアの行動……
耳にした情報、目にした光景、そのどれにも不明瞭な点があるのだ。
一つ一つ疑念を紐解こうとするセリオス。
その時突然、その場に居る人間の傷が瞬時に癒えていく。
「セリオス様!」
エトワールが慌てたような声を響かせ、護衛数名と共に姿を現した。
爆発や巨大な船出現により、事態の異常性に堪えかねて加勢に来たのだ。
「エトワール、この力は使うなとあれほど……」
「申し訳ありませんセリオス様……」
セリオスとエトワールは互いの手を取り合い、憂いを秘めた瞳で見つめ合っている。
もはや巡らせた思考はセリオスの中から泡のように消えていた。
そんな中、天使ルーアの姿はすでに見えず……
巨大な船もどんどん遠ざかって行ってしまう。
「親睦を深めてるとこ悪いんだが……。どうする?」
「どうもこうも船を追うしかあるまい。あの状況で急ぎ向かうというのだ。ろくなことではあるまい。あの天使には追い付けそうにないしな」
シリルの問い掛けにセリオスは船を追うと提案する。
このまま何もせず、ただ立ち尽くしている訳にもいかなかった。
「よーし! 逃がさないよ~! ユガケ!」
「了解しましたハミュウェル様!」
意気込むようなハミルに即座に応えるユガケ。
ユガケと融合したハミルに狐耳、尻尾が生え服装も変わる。
「めたもるハミリュン参上!」
ポーズを決めたハミルの左手に、二メートル程の弓が出現する。
右手が手袋のような物で覆われ一本の矢を持っていた。
それをつがえ、上方から引き下ろすハミル。
矢が口割りまで下り、矢先を上空の巨大船に向ける。
普段のハミルからは伺い知れない程粛々とした姿だった。
その凛とした型から、勢いよく放たれた矢は真っ直ぐに船に向かっていく。
それはか細い音を立てながら飛んで行き、軽い音を響かせ離れ行く船に的中した。
船には何の変化もない。威力がまるでなかったのだ。
「おい? 何がしたかったんだ?」
「ふ……、ここからだよ……。遠隔! 《はみりゅんふぃーるどぉ》!」
シリルはハミルの目的が不明なので思わず疑問を口にした。
ハミルは軽く笑みを洩らし、人差し指を船に向けて勢い良く叫んだ。
すると矢を射った船の後部で爆音が鳴り、そこからハミル達の足元まで薄く光る狭い道が出来上がった。
「デタラメか!」
あまりのふざけた展開にルーアは思わずツッコミを入れる。
巨大船のスピードは緩やかに落ちたが、はみりゅんふぃーるどぉで出来た道の根元がゴリゴリ大地を抉って遠ざかる。
「さすがに狭いですね。お手伝いします」
エトワールの体から魔力が放たれ、ハミルの作った道が広がった。
ユガケの魔力で変質してはいるが、基本は神聖魔術による生命力の帯。
エトワールがハミルの生命力を全開に保つ事で、より強固で安定した道になったのだ。
「エトワール!?」
「この程度の負荷なら問題ありません」
強い口調で呼び掛けるセリオスに笑顔で返すエトワール。
エトワールの身を案じたゆえのものだが……
何かしたかったという気持ちを汲み取り、セリオスはそれ以上の言葉を飲み込んだ。
「行こう! 皆!」
ハミルの言葉に皆即座に同意した。考えている暇はなかった。
このままでは進行方向にある大地と建物が、『はみりゅんふぃーるどぉ』によって削り取られてしまう。
すでに一軒削られて半壊しているのだ。
「この事態はガルド卿とゼラムル教団に潜伏していた魔神が手を組んだ結果だと、アクタル家のシャルディア様に伝えておいてくれ! ルーアとカイラからだと言えば通じるだろう」
ルーアはエトワールの護衛にそれだけ伝えた。
カイラはバツが悪そうにそっぽを向いている。
そうしてエトワールを加え、ワーズに乗って巨大船目掛けて走り出した。
超速で船に近付く一行、そこでセリオスがある事に気付く。
「入口はどこだ? このままでは船にぶつかるぞ!」
セリオスは道の先が船の後部の壁であることを指摘する。
向かう先に出入口などどこにもないのだ。
「穴空けて中から膨らませて引っ掛けてるだけだからね~。むしろ空いてたら困るよ~」
おどけたように笑うハミル。その行動は完全に無計画だった。
すでに走り出した今でさえ、次の一手を考えてすらいない。
「おい、ハミル! どうする気だ!」
慌てるカイラの問いにハミルは何も答えない。
隣にいるので聞こえていないはずはなかった。
「おい、ハミリュン」
「何かな?」
ルーアの機転にハミルがようやく反応を示した。
変身後は呼び方に気を付けないとならないと悟る一同。
「何か手はないのか?」
「実はね……。僕はこの道を維持するので精一杯なんだ……」
ルーアは特に期待はしてなかったが、やはりハミルは結界維持で動けないと言う。
高速移動中ではカイラ、ルーアの魔術も厳しい。
剣で切る事が出来たとしても、とりあえず壁にはぶつかる事は避けられない。
「となると……シリルくん?」
ハミルを筆頭に、皆も期待を込めた眼差しをシリルに送る。
だがヴァルヴェールはまだ沈黙したままである。
時間もない。もうすぐ壁にぶつかるのだ。
「う……、そんな事言われても……。う~! ヴァルヴェール! 頼む! 本当に頼む! 力を貸してくれぇ!」
剣を構え叫ぶシリルの切実な願いに、ついにヴァルヴェールが応えた。
剣から青い光を宿し、大きな白蛇が姿を現したのだ。
「ふあぁ……、おはようございます。あら皆さんお散歩ですか? 風が気持ちいいですね~」
以前と姿が違い、のほほんと喋りながら目覚めたヴァルヴェール。
事態を把握していないようだが、説明している余裕はなかった。
「あそこに風穴を開けるぞ!」
シリルはヴァルヴェールの剣先を前方に向け、大きな高密度の水の輪を作る。
その輪をその形のまま、壁に向けて勢いよく放出した。
甲高い音を立てて水の輪が通り抜けた場所にワーズが体当たりする。
壁は丸い形で倒れ、なんとか船内に侵入することに成功した。
「でかした……ワーズ……」
「は! ありがたき幸せ!」
船内で倒れこんだカイラの労いに、尻尾ブンブンで喜ぶワーズ。
とりあえず敵陣に入り込む事は出来た。
立ち上がり先に進もうとする一行。
ちょうどその時、緊張感のない声が皆の頭に直接響いてくる。
『はいは~い。皆様~、どこにいらっしゃいますの~?』
声の主はシトリーだった。
聞けばこの近くまで来ていて、こちらのメンバーに向けこの周辺に声を送っているらしい。
ルーアが空に浮く船の後部から乗り込んだ事を伝えると、姿が見える位置まで移動して来た。
「ドラゴンだ!」
「ドラゴンすげー!」
「竜カッコ良い!」
「あれは……、天竜マトイ!」
シリルとカイラ、ハミルは声を張り上げて歓喜した。
伝説上の存在、英雄譚に出てくる冒険者の夢とも言える存在が目の前に現れたのだ。
ルーアはそのドラゴンを一目見て、自然とその名を口にする。
「あれが竜……なのか……」
セリオスは小さく驚きの声を上げた。何せ伝説上の存在。
千年前ですら希少種扱いだったらしい生物。
水竜の剣のような蛇の形を想像していたのだ。
シリル達が疑いなくそう呼んだ事に違和感さえ覚えていた。
『砲撃と天使のせいで近づけませんの~。もうしばらくお待ち頂いても……』
「いや、時間がない。ゼラムルを復活させられる者が封印の地に向かった。そっちを追ってくれ!」
シトリーの援軍をルーアはあえて断った。
マトイなら、天使ルーアに追い付けるかもしれないと考えたのだ。
こちらはこちらで、ガルドの得体の知れない企みをなんとかするしかないと決意する。
非魔神の非魔ツブシ ~デモンズハーモニー~ 霙真紅 @mizoreshinku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。非魔神の非魔ツブシ ~デモンズハーモニー~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます