第3話『落涙した想い』

前回

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 見ると一件のLINE通知。

 彼女から『別れよう』というメッセージがきていた。

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 は?






 さああっと血の気が引いていく。

 震える指を画面に這わせ、『会って話したい』と返信するも反応はない。


 嫌な予感がしてブロックされているか確認する。

 ギフトを贈れない。いや、なにかの間違いかもしれない。僅かな可能性に縋るようにして別のものを贈ってみるが、それも贈れない。




 彼女はたった一言だけを残して、俺との連絡を――関係を、絶ってしまったのだ。




 付き合って三ヶ月も経たないうちに別れてしまった。

 何がそんなに気に食わなかったんだ?

 そんな疑問を抱くには心当たりが多すぎて、追うのも忍びない。

 もう痣を作ることも、金を盗られることも、無理やり犯されることもなくなったんだ。

 元カノはこれから新しく男でも作って、勝手に幸せになるんだろうよ。



 半ば放心状態でゆるりと顔を上げる。

 冬の空は、天井のない牢獄のようだった。









  ◇  ◇  ◇









 ――甘いにおいがする。



 元カノがつけていた香水のにおい。

 布団に染みついた、今となっては嫌なにおいだ。

 早くどうにかしないと……いっそ、布団ごと買い換えてしまうか。



「あ、眉間にしわが寄ってますよ。

 なにか嫌なことでも思い出しましたか?」



 ふわり。

 どこか安心感のある忍び笑いと共に柔らかなバニラの香りが鼻腔をくすぐった。

 その香りに誘われて、ゆっくりと口が開く。



「あいつのこと思い出した。くせえなって」

「ああ……あの人の香水、結構きついですもんね」



 優しい声。

 どこかで聞いた気がする声。



「体調は大丈夫ですか? かなり飲んじゃってましたし、つらかったら言ってくださいね」

「飲ん……?」



 言われてみれば全身が怠い。

 頭はガンガンと痛むし、意識は朦朧としている。

 この人の言う通り、かなり飲んだのだろう。


 身体がまだ火照っている。

 飲んでからそんなに時間は経っていないらしいが――あれ?




 そういえば俺、誰と喋ってんだ?




 随分と遅れて浮上した、当然の疑問。

 その答えを知るため、ようやく重い瞼を持ち上げる。



「おはようございます、先輩」

「たち、ばなさん……?」



 意外な人物に思わず目を見開く。

 いや、驚いたのはそれだけじゃない。

 どうしてか彼女は下着姿で、しかも俺を膝枕していたのだ。



 俺の言葉を聞いたたちばなさんは、少しだけ頬を膨らませる。



「また橘さん呼び……。

 これからは美亜みあって呼んでくれるんじゃなかったんですか?」

「……そんな話したっけ」

「しました! もー、先輩ってば。飲みすぎです」



 苦笑する橘さん――美亜? を見ていると、そんな話をした気がするし、していない気もする。

 頭が痛みと共にぐわんぐわん揺れて、上手くはたらかない。


 ふと、美亜がそっと俺の髪を撫でた。

 不思議なことに、彼女の手が触れると少しだけ気分が落ち着く。



「どこまで覚えてるんですか?」

「どこ、まで……?」



 美亜の指が俺の腹をなぞる。

 ワンテンポ遅れて、彼女だけでなく俺も服を着ていないことに気づいた。


 美亜の指を視線で追うと視界が移動し、ふとゴミ箱が見える。

 あんなにゴミ溜まってたっけか。

 それに、あれは――。



「ほら、集中してください」

「あ、ああ……」



 つー、ぐるぐる、とん。

 彼女の指の動きに合わせて、記憶を辿ることだけに集中する。



「……彼女に振られて、家に帰って、」



 言いながら、元カノの後ろ姿を思い出す。


 紺色のウルフ髪に少し痩せ気味な身体。

 目の下のクマが濃くていつも生きづらそうだった。



「布団が元カノの香水臭えなって思って、酒飲んで――」



 言葉に詰まってしまう。




 彼女に振られた。




 もう受け入れたと思った事実だったのに、ほろほろと涙が流れてくる。



「俺の、何が……何が、悪かったんだろうなあ……」



 気がつけば問いに対する答えではなく、ただ溢れ出てくるものを嗚咽おえつ混じりに口にしていた。


 そんな俺を咎めることもせず、彼女は優しい声色のまま「先輩はなにも悪くないですよ」と慰めてくれる。


 振動か何かが伝わったのかゴミ箱に入っていた物がこぼれるのが視界の端で見えたが、今はそんなことどうだっていい。

 ただ思いの丈を吐き出し続ける。



「やれることは、なんでもやったはずなんだ」

「殴られて、稼いだお金はギャンブルのために盗まれて、犯されて……全部受け止めて愛してきたんですよね」



 頷く。

 そうだ、そうなんだよ。

 俺は全部受け止めて、あいつのことを愛してきた。



「そうしろって、あいつが望んだから。

 あいつが、幸せになる資格のある人間だったから」



 誰も信じられない、自分も他人も愛せない。

 それでも自分はいつか幸せになるのだと、いつか他人を心から信じて愛せるようになるのだと、なってみせるのだと、希望を捨てない――あいつはそんな人間だった。



 間違いなく元カノには幸せになる資格があった。

 だから、幸せにしたいと思ったんだ。



「あいつの幸せの役に立ってるのが嬉しかった」



 その時だけは、俺も幸せになっていい気がした。



「だけどもう、なくなった」



 これまで俺の腹を撫でていた美亜の指が離れる。

 ――直後、彼女の両手が俺の首を絞めあげた。





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次回、最終話

第4話『逃避の先に』



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