最終話

 バレエシューズを履き、履き心地を確かめるためにつま先を数回ホールへつく。

 今日のレッスンは大丈夫だ。

 そう早苗は思う。しかし、先週の失敗が尾を引いていて緊張する。

 早苗は教室についても誰とも話ができなかった。

 ソロの踊りで失敗するのなら、まだしも救いがある。

 失敗は早苗一人の問題で恥をかくのも早苗だからだ。

 しかし、コーダは六人で踊る。


 一番年上の早苗の失敗で踊りを台無しにする訳にはいかない。

 早苗はひたすらストレッチをして玉枝先生がくるのを待った。

 次いで舞子が来た。 舞子も着替えると早苗の隣でストレッチを始めた。


「調子はどう?」

「大丈夫だと思う。先週はごめん。あれから家で散々練習したわ」

「成功した?」

「うん」


 緊張しながらもバーレッスンを終え、ホールで発表会の踊りの練習になった。

 ソロの踊りはそれなりに上手く踊れたと早苗は思った。

 この前観たDVDの通りにゆっくり優雅に、と頭に入れて踊る。

 そもそもバレエは振付師によって振付がきまっている。

 早苗たちが踊るのはマリウス・プティパという人の振付を土台にしているらしいと早苗は感じた。

 プティパはバレエの振り付けでとても有名な人だという事もインターネットで分かった。

 振付師によってバレエの舞台が変わるので、バレエは「眠れる森の美女」でもマリウス・プティパ版とか、ヌレエフという振付師のものはルドルフ・ヌレエフ版などと言い、何通りかの舞台がある。

 振付師によって見どころが違うのがまた面白い、とインターネットで早苗は見た。


「じゃ、今度はコーダの踊りを踊ります。早苗、ちょっと一人で踊ってみてちょうだい」


 玉枝先生は先週失敗した早苗に、踊りの確認をする為にそう言った。

 早苗の緊張は頂点に達する。

 大丈夫、昨日もその前も出来た。練習したじゃない。

 自分に言い聞かせるが、手が震えそうだ。

 コーダの音楽が流れる。

 何度も聞いた曲だ。

 そこで早苗の思考は停止した。

 顎をすっと上げて肩を下げる。シュスの準備に入る。

 感覚だけで音を聴く。

 自然に体が動き出した。手を上にあげながら、シュス、ピルエット、シュス、ピルエット。

 玉枝先生も手を打って音の拍子をとっている。


「そう、その調子、いいわよ」

 最後のピルエットを回って早苗は止まった。

「出来るじゃない。でもちょっとまだ見栄えが足りないわね。最後のピルエットを二回転でやってみて」

「二回転ですか?」

 せっかく成功したばかりなのに、また課題ができた。

 通常でピルエット二回転は出来るが、七回まわった後で二回転はやったことがない。


「やってみて」


 有無を言わせず玉枝先生は曲をかける。

 大丈夫、出来る。

 自分に言い聞かせて早苗は踊る。

 感覚で踊りだし、八回目のピルエットで二回転を成功させた。

 曲が終わると、周りの子たちから拍手があがった。

 舞子も拍手をしている。その他の四人は中学生だが、みんな早苗の踊りに感心していた。


「やっぱり早苗さんは凄いですね」


 中学生の一人がそう言ってくれた。

 最後に六人で踊ったコーダは先週とは見違えるほど、素晴らしいものになっていた。


 舞台のそでというのは、いつも独特の匂いがする、と早苗は思う。みんなの化粧の匂いなのか、衣装の匂いなのか、下にひいてあるバレエ用のマットの匂いなのか。

 それが一緒になったような匂いが、早苗は決して嫌いじゃない。

 舞台そでからは客席はみえない。見える位置にいてはいけないのだ。


 今日は発表会の当日だった。

 衣装は六人で色とりどりのチュチュを着る。

 早苗は紫のチュチュだった。

 それもDVDで見たリラの精と一緒だった。

 舞子は黄色のチュチュだ。

 早苗は自分の出番を待っていた。

 今は舞子が踊っている。


 踊るカナリアの精の踊りは手をひらひらさせてカナリアがさえずっている様子を表したり、羽の動きを表したりする。

 楽しそうに踊っているが運動量はかなり多い。しかし「楽しそう」というのがかなり重要なポイントにもなる。


 早苗の番がくる。

 曲がかかり、さっそうと舞台へ降り立つ。

 観客席の一番奥を見ながら曲に合わせて踊る。

 今日の私はリラの精なんだ。そんな事も考える事もなく、早苗はリラの精になりきっていた。

 リラの精のソロにピルエットはない。ひたすら、手をのびやかに伸ばし、足をゆっくり高くあげる。


 注意する事もなく、早苗はこの踊りを優雅に踊っていた。

 ライトの熱、客席からの視線、全員が早苗を見ていた。

 緊張するが、上手く踊る事に集中して、それが心地よかった。

 踊りが終わる。一礼してそでに入る。

 今度はコーダの曲だ。

 立て続けに踊るので、早苗は息を整えた。

 コーダの曲がかかる。

 最初に中学生の生徒が二人でて踊ると、次に中学生二人と舞子がでて踊る。


 早苗は自分の番がくると、舞台の中央でスタンバイし、シュスとピルエットを繰り返した。

 何度も何度も練習した。

 大丈夫、いける。

 そんな感情も踊りだすと消えていった。

 呼吸が荒くなってくるが、そんな事かまわない。この踊りが成功すればそれでいい。

 最後の二回転が終わると、会場から拍手が沸き起こった。

 それさえも、早苗は聞こえない。


 曲が終わるまでは踊りは続く。

 後はポーズをとって終わりだ。

 最後のフィニッシュは六人でポーズをとる。

 早苗と舞子を中央にして。

 客席がわっと沸いた。

 拍手が長く続いた。

 六人で客席に礼をするとさらに拍手が沸き起こる。

 発表会にしては上出来だ。

 早苗たちは深ぶかとおじぎをすると、舞台のそでに引いていった。



「良かったわよ」

 玉枝先生は六人の生徒に声をかけてくれた。

「有難うございます」

 早苗は先生の言葉がとても嬉しかった。玉枝先生は滅多に人を褒めないからだ。

 早苗たちは先生にあいさつすると、次の出番まちをしている生徒たちの間をぬって、楽屋へと引いていった。


 おわり

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無名のバレエダンサー2 ~眠れる森の美女~ 陽麻 @urutoramarin

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