第6話 再会
振り替え休日が終わり、いつものように一週間が始まるのは、自分だけではない。
「ふぁ……」
あくびを噛みしめながら、ゆずりは学校へと登校する。電車通学のゆずりはいつも一番混まない時間を選んでいるため、早起きだ。
それゆえにこの時間に登校する同じ学校の生徒は電車内には少なかった。恐らくあと二、三本ほど、後の電車に乗る学生の方が多いのだろう。
けれど、ゆずりは誰もいないこの時間が割と好きだった。今は秋なので、朝は少し寒く感じられるが、この空気が新鮮に感じられて好きなのだ。
……確か、今日はお姉ちゃんが帰ってくる日だったから、夕飯は好きなものを作ろうかな。お兄ちゃんは明後日に帰るって言っていたし……。うん、帰りにスーパーに寄って行こうっと。
歩きながらも、今日の夕飯の献立を頭の中で組み立てていく。
兄妹三人で暮らしているが、食事当番はほとんどがゆずり担当だ。他の家事は姉と兄が分担してやってくれるし、何より料理を作るのは好きなので、そんなに大変ではなかった。
本当ならば、忙しい兄と姉に代わって全ての家事を担当しても良かったのだが、二人はそれを許してくれなかったので、当番制になったのだ。
今朝もスマートフォンに、二人から「おはよう!」と短めのメッセージが届いていた。元気そうで何よりだ。
……一限目と二限目は文化祭の後片付けと掃除だっけ。あ、そういえば部室で打ち上げがあるの、今日だったな……。
そして恐らく、その際に文芸部の新しい部長が指名されるのだろう。と言っても、事前に江藤が部長、萩尾が副部長になると聞いているので、あくまでも形だけの指名だ。
そのことにゆずりは密かに安堵する。部長や副部長ならば、人前に出ることだってあるだろう。とてもではないが自分には出来ないことだ。
二人には悪いが、自分は出来ることで陰ながら支えようと拳をぎゅっと握りしめる。
……そういえばこの前、書いた短編に、「ツルネ」さんからの感想、なかったな……。
いつもならば最速で送られてくる感想が、今回はなかった。
別に感想が欲しくて小説を書いているわけではないが、今までこんなことは無かったため、ほんの少し寂しく感じていた。
……大丈夫、かな。最近、急に寒くなったから、風邪とか引いていないと良いな……。
本当の名前も顔も性別も何も知らない。ネット上のやり取りだけが、自分と「ツルネ」という人を結んでいる。
けれど、ゆずりにとってはこの脆い繋がりも、ありがたいものだった。
何故なら、ゆずり自身とこの手で生み出した作品を肯定してくれる人と出会うことなんて、ほとんど無いに等しいからだ。
きっと、幼馴染の梅ヶ谷ならば会ったことも無い相手だというのに、と言うかもしれない。
だが、たとえ「ツルネ」が見えない相手だとしても、ゆずりには大切な「人」なのだ。
そんな考え事をしているうちにいつの間にか、校門に着いてしまう。
「──やぁ、おはよう」
今、校門を通過した際に誰かの声が響かなかっただろうか。ゆずりは少しだけ首を傾げる。
「君に言っているんだけれど」
咎めるような声音に、ゆずりは視線だけを動かす。校門のすぐ傍に立っている人物を見て、「あ」と小さな声を漏らしてしまったのは仕方がないことだ。
「おはよう」
「……」
ゆずりは念のために周囲を見渡したが、その場には自分以外に登校中の学生はいなかった。
つまり、自分に向かって彼は挨拶してきたのだ。
「ぉ……おはよう、ございます……?」
挨拶を返したが、後から「お前に向けて言っているんじゃねぇよ」と言われたりしないだろうかとゆずりは内心、びくびくしていた。
「うん、おはよう」
爽やかな挨拶が相手から返ってくる。
だが、驚かないわけがない。
何故なら、そこに立っていたのは──自分に挨拶してきたのは、文化祭の日に「さぼてん」を渡した男子学生だったのだから。
「良かった。クラスが分からなかったから、校門前で待っていれば、必ず会えるだろうと思って」
「会、え……? え?」
ゆずりは混乱していた。
目の前の彼が言っている言葉が理解出来なかったからだ。
「言っただろう、『楽しめた』ならば、感想を伝えにいくって」
「へ……。……えぇっ!? あれ、本気だったんですか……!?」
まさか向こうから伝えにくるとは思っていなかったため、思わず大きな声を上げたが、ここは校門だ。こちらに向かって登校してくる学生達の姿が見えて、ゆずりは焦ってしまう。
こんなに目立つ場所にいれば、誰かに見られてしまいかねないからだ。
「ひぃ、あ、あのっ、楽しめたなら、良かった、です! そ、それでは、失礼します……!」
「え」
ゆずりは男子学生に向けてがばっと頭を下げた後、自己ベストと言っていい程の速さでその場から逃げ去った。
靴箱に靴を入れて、上履きを取り出して履いた後、一気に教室まで早足で向かっていく。
今日ほど、八組の教室までの廊下を長いと思ったことはなかった。
そして、誰もいない教室の扉を思いっきりに開けた後、すぐに閉めて、その場にうずくまる。
「……びっ、び、びっくりしたぁ……!」
本当に感想を言いに、会いに来るとは思っていなかったのだ。あくまでも社交辞令だと思っていた。
……ただ、あの人にとって楽しめるものであれば……心を安らげるものであれば、いいと思って渡しただけだったのに。
今でも心臓がばくばく鳴っているが、一人になったことで冷静さが戻ってくる。
……でも、校門前でずっと待っていたって、ことだよね。
まだ誰も登校していないような時間から、彼は自分を待っていたのだろうか。
そのことに対して、ずきりと胸が痛む。
いくら驚いたとはいえ、逃げるように去ってしまったのは待ってくれていた相手に対して失礼だろう。
どっと身体に疲れが襲ってきたが、ゆずりはよろよろと何とか立ち上がった。
……あ、謝った方が、いいかな……。でもっ、あの人の名前とか、クラスとか、知らないし……。どうすれば……。
だからと言って、彼のように校門前で相手を待ち続けるような勇気は自分にはないのだ。
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