第5話 小説タイム
誰もいない自宅に帰ったゆずりは自分で夕食を用意して食べた後、片付けをして、それからゆっくりと風呂に入った。
そして、今日も同じように自分用のパソコンを立ち上げる。確認するのは、小説投稿サイト「小説タイム」のユーザーページだった。
ここで、ゆずりは中学生の頃から「
「……あ。『ツルネ』さんから感想が来てる……」
ふにゃりと笑みがこぼれてしまうのは仕方がないことだった。
この「ツルネ」という人は、いつの頃かゆずりが小説を投稿するたびに最速と言ってもいい程に感想を毎回、書いてくれるのだ。
『今回のお話もとても心が温まるもので、もう何度も読み返してしまいました。柚原先生が書く物語は自分にとって人生の一部です。いつも素晴らしいものを読ませていただき、ありがとうございます』
むしろ、温かい気持ちになるのはこちらの方だ。
「うー……。でも、柚原先生って呼ばれるの、ちょっと気恥ずかしいな……」
嬉しい気持ちももちろんあるが、自分は「先生」と呼ばれる程ではないと思っている。
ゆずりはパソコンのすぐ隣にある本棚に視線を向ける。そこには中学三年生の時に、ゆずりが出版した「本」があった。
この「小説タイム」で投稿し続けた短編をまとめたもので、ゆずりにとっては初めて書籍化したものだった。
ゆずりが「柚原ふゆき」として、このサイトで活動し、本を出していることを知っているのは兄妹の他には梅ヶ谷だけだ。同じ文芸部の人には誰も言っていない。
「……」
自分を「否定」されるのが怖いからこそ、ゆずりはいつだって誰かに対して、一歩を踏み出せなかった。
「……よしっ、ネガティブ、終わり!」
ゆずりは頭をふるふると横に振った後、文書作成ソフトを立ち上げる。
「せっかくだし、文化祭がテーマのものでも書いてみようかな……」
文化祭のスケジュールにより、明日は日曜で、月曜日は振り替え休日だ。少しくらい夜更かしして小説を書いても構わないだろう。
小説を書いている時だけは、ゆずりは別の誰かになれている気がした。
誰かに否定されることも、咎められることも、強要されることもない。
今、目の前にある物語を自分の手で作っている時は、他のことを何も考えなくて済むのだ。
カタカタと手元を見ることなく、文章を綴っていく。
けれど、ふと手が止まった。
夕焼け色の空の下で、主人公が文化祭の終わりを寂しく思っているシーンを書いている途中で、ゆずりは今日の夕方の出来事を思い出したからだ。
……そういえば、あの人は。
自分と同じように図書室に来ていた、名前も学年も知らない人。
彼は、あの後、どうしたのだろうか。
寂しそうな顔をしていたが、他者にかける言葉を多く持っていないゆずりは、大したことが言えなかった。
……最後はほんの少し、笑っているように見えたけれど……。
文芸部の部誌、「さぼてん」を無理やり突きつけるように渡した時、彼は楽しめたならば感想を伝えると言っていた。
けれど、お互いに初めて会った者同士で、名前も学年も知らないし、何よりこの学校には在校生が千人近くいる。
きっと、もう一度、会うことの方が稀だろう。
……それでも、少しでもあの人が「楽しめた」なら、いいな……。
小さく笑った後、ゆずりは再びキーボードに指を添えて、文字を打ち始める。
新作の短編が仕上がったのは夜の十二時を越える時間だった。
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