聖†少女、天使を斬る

倉真朔

第0羽 天使の口づけ



───雪?



 とうとう幻覚まで見えてきたようだ。アレッタは自らを薄ら笑った。雪が降るにはまだ早すぎる。今は銀杏いちょうの黄がよく映え、寂しげな風が舞う秋。それにここは山奥の廃れた掘っ立て小屋の中、室内だ。雪が降るだなんてことあり得るはずがない。


 だがたしかに、それはふんわりとした可愛らしい一片ひとひらの玉雪だった。玉雪は横たわっているアレッタの右手の甲にじわりと落ちる。指が2本も折れているアレッタにとってその冷たさは針で刺されたように痛く染みた。



<幻覚なのに、冷たさを感じるもの?>



 雪の出所を考えていると、強烈な一蹴りがアレッタの腹に直撃する。アレッタは複数の女子生徒から暴行を受けている最中だった。肋骨や指の骨は何本か折られ、頬は酷く腫れ上がっている。呼吸するのも苦しいのか、彼女はぜぇぜぇと口で浅く息をしていた。


 さらに部屋の奥では、アレッタの親友であるオリビア・ウィルソンも酷い暴行を受け、意識を失っていた。アレッタはオリビアが死んでしまったのかと心配していたが、彼女の胸が上下しているのを見てホッと安心する。だが、この状況だと死んでしまった方が楽なように思い、オリビアを申し訳ない目で見つめた。



<オリビア。ごめんなさい。私のせいであなたまで犠牲になるなんて>



「ちょっとやりすぎたかな? もしかしら死んじゃうかも」



 アレッタの腹に蹴りを入れ終えた女子生徒が満足そうな笑みを浮かべる。


 クラスの中心グループのリーダーであるルーシー・ペランズがふんと鼻を鳴らした。



「そろそろやめておいたほうがいいわね。これで最後にしましょう」



 ルーシー・ペランズはアレッタの前髪を乱暴に掴むと、制服の右ポケットからサバイバルナイフを取り出し、低い声でアレッタに言い放った。



「アレッタ。あんたが悪いのよ。あんたが学校一イケメンのベンジャミン・ジェンキンスの彼女になるなんて許せるわけがない。集まってくれた皆もそう思ってる。あんたが悪いんだから、やられても仕方ないのよ。最後にあんたを傷物にして終わりにしてあげる。これを見たらベンジャミンも血相変えて逃げていくでしょうよ!」



 ルーシーはアレッタの右頬を十字架状に深く斬り込んだ。アレッタは痛みで体をよじりたかったが、折れた肋骨が内臓に刺さるかもしれないと心配し、唸るだけで我慢する。アレッタは気を紛らすためにオリビアのことを想った。

 


<オリビアにはもうなにもしてこないみたいね。それなら良かったわ。私は自業自得だけど、オリビアは何もわるくないもの>



 女子生徒たちは痛みに耐えるアレッタを見てケタケタと笑い出す。今の彼女たちはとても正気とは思えなかった。



<きっと悪魔が取り憑いているんだ。それか異常な集団心理が働いているか。そうでなきゃこんな惨いことするはずない>



 アレッタの意識が少しずつ遠退き、だんだんと呼吸が荒くなる。アレッタは死ぬ寸前だった。



<ベンジャミン・ジェンキンスが私に告白なんてしなければ。私が舞い上がってイエスと言わなければこんなことにはならなかったのに>



 鬱蒼うっそうと生い茂る山奥の掘っ立て小屋で息絶えるなんて思ってもみなかったとアレッタは自分のちっぽけな人生を酷く悔やみ、巻き込まれたオリビアに対して深く謝りたかった。悔しさで目頭が熱くなり、ルーシーたちに涙を見せるまいと目を固く閉じる。



「哀れなものだな」

 扉近くで男の声が聞こえた。



 女子たちが男の方を向く。アレッタも重たい目蓋を開けて男を見ようと顔だけを動かした。


 誰もが男を見て、はっと息を飲んだ。その男はあまりにも魅力的で美貌に溢れていたからだ。それに髪の色も不思議だった。頭皮の黒色から毛先にかけて青にグラデーションしており、髪が揺れると共にそのグラデーションも動いているように見える。


 突然の美青年の登場にルーシーは驚いて身構えたが、男が何もする素振りを見せないとわかると、声色を変えて彼の近くにすり寄った。



「扉が開く音も聞こえなかったわ。不思議な人。あなたはだぁれ? こんな山奥でおしゃれなスーツなんて着ちゃってさ。この小屋の管理人さん?」



 男はルーシーを一度も見ることなく、アレッタをじっと見つめている。ルーシーはそれが気に入らないのか、男にさらに詰め寄った。



「ねぇ、聞いてるの!?」

 男はさらに無視して呟く。

「本当に哀れだ」



 ルーシーは頭に冷たいものを感じ、天井を見上げた。



「何よこれ、雪!? 部屋の中なのに雪が降ってるわ!」



 雪は次々と降り出し、床がまばらに白く積もっていく。



「本当だわ! 雪だわ!」



 女子生徒たちが不思議と言わんばかりに叫ぶと、男は1人の女子生徒の頭をそっと掴んだ。



「終わりにしてやろう」



 男の声はぞっとするほど冷たく、そして無感情だった。頭を掴まれた女子学生はがくがくと体を震わせる。そして両鼻から血を流すと、積雪したばかりの床にばたりと倒れた。残った女子たちはその光景に悲鳴をあげた。


 さらに男が右手を翳すと、オリビアとアレッタ以外の女子たちがガタガタと震えだした。そして先程の女子学生と同様、鼻から血を流すと次々と倒れていく。男はまた無感情にオリビアを見下ろした。



「この者は、お前を傷つけたか?」



 私のために皆を殺そうとしているんだとアレッタは直感的に悟った。

 

 男がオリビアの頭を掴もうとした時、アレッタが「やめて!」とかすれ声で叫んだ。



「殺さないで! 親友なの。彼女は被害者よ! お願い、殺さないで!」



 男はどこか感心したように口角を少しあげる。それから手をゆっくり降ろすとアレッタの上半身を起こし、積もっている雪を丁寧に払った。彼はどこか愛おしそうに彼女を見つめていた。男の纏うラベンダーの香りがアレッタの心を穏やかにしていく。



「あなたは誰?」

 


 男は答えず、その代わり背中から大きな白い翼を広げた。



「て、天使?」

 アレッタは目を丸くした。

 


「アレッタと言うのだな。ますます気に入ったぞ。お前ならきっと成し遂げられるかもしれない」



 澄みきった灰青はいあお色の瞳がアレッタをとらえ、白くて大きな手が彼女の頬を優しく包んだ。



「お前を死なせはしない。生きろ。アレッタ」



 男はアレッタの唇に口づけした。



 それからジャムよりもドロッとした液体を彼女の口に流し込む。温かくて仄かに甘いそれは血の味と混ざりあい、どこか苦味を感じさせる。その液体をごくりと飲み込むとアレッタの意識はプツリと糸が切れるように途絶えた。

 

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聖†少女、天使を斬る 倉真朔 @yatarou39

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