第42夜 覚悟の証

◇◇◇◇◇



 それから数日、巴は佑介としてずっと神田屋にとどまっていた。女物の着物を葛籠に仕舞いこんで、市中を歩くのは陽が落ちてから。葵家へも輝真組にも、顔を出してはいなかった。


「本当に、よかったんですか?」


 すぐ隣でそう言った進之助に、佑介は横目で彼をちらりと見て小さくうなづく。


「引きぎわはわきまえてる」


 『巴』の正体が露見したかもしれない。そうでなければ、龍三が急にあんなことを言い出すはずがないのだ。

 気づいたのは彼だけだろうか。だが黙っていてくれる保証はどこにもない。輝真組のみなに知れ渡るのも時間の問題だろう。

 これ以上、『巴』が輝真組に関わるのは危険だ。


「大将と女将さん、すごくさみしがってましたよ。いつでもまたごはん食べにおいでって」


 葵家に、『巴』がいたという痕跡は一切ない。荷物の処分を頼まれた進之助が、その日のうちにすべて引き上げてしまった。「もう巴さんは来れないかもしれない」と伝えれば、事情を察した大将も女将をひどく心配していたと言う進之助に、佑介はあいまいな笑みを返すことしかできない。


 『巴』は完全に、世間から姿をくらませたのだ。


「で、山科さんはなにをこそこそしてるんです?」


 にこにこと笑みを浮かべたまま小首をかしげる進之助に、佑介は黙って視線を飛ばす。内庭の垣根に身を隠した佑介にの手には、井戸水の入った小ぶりな桶。進之助にも同じものを持たせて目配せすれば、視線の先には照りつける陽射しの下で鍛練に励む朱里の姿。

 佑介の言わんとすることを察した進之助が満面の笑みとともに大きくうなづくのと同時に、二人は朱里の背中に向かって駆け出した。


「朱里! 覚悟ー!」


 こだまする佑介の声に朱里が振り返った瞬間、彼の脳天を直撃したのは冷たい井戸水だった。惜しげもなくさらしたたくましい上半身に流水が伝い、髪の先からぽたぽた……、と水滴がしたたり落ちる。


「……」

「え、ちょ、朱里?」

「……」

「あー、山科さん、長岡さん怒らせたー」

「ちょ、嘘でしょ……?」


 全身ずぶ濡れになりながら無言を貫く朱里に、佑介は後ずさりする。伸ばされた彼の腕に身の危険を感じて逃げ出そうときびすを返せば、それを阻んだのは共犯であるはずの進之助の手だった。腕をつかむ進之助の反対の手は、すでに朱里に捕らえられている。


「ちょ、進之助! おれに構うな!」

「なに言ってるんですか! 山科さんも道連れですよ!」

「うわぁ! ごめん! ごめんって!」

「許さん」

「「ぎゃあぁああぁぁ!」」


 朱里の長い手足が瞬く間に二人の体を羽交い締めにして、周囲に悲鳴と笑い声がこだましていた。



「微笑ましいですねぇ」


 二階の窓から三人の様子を眺めていた創二郎が、目尻を下げながら言う。向かいに腰かけた恭介も、同じようにして外を見つめていた。


「世が世なら、あの子たちはずっとああやって、笑っていられたんでしょうね」


 なんとはなしにつぶいたひと言が、とたんに恭介の表情を曇らせていく。庭ではしゃぐ三人から視線をそらさぬまま、彼は静かに目を細めた。


「あいつらを、この動乱に引きずりこんだのはほかの誰でもねぇ」恭介の言葉に、創二郎は悲しげに目を伏せる。


「わたしたちのしたことは、間違っていたんでしょうか」


 朱里と佑介、二人の剣の才を見いだだして、忠軍へと引き抜いたのは恭介自身だ。人を斬ることを知らなかった彼らにそれを命じ、一番の汚れ役を担わせている。今でこそ一部の者たちからは『紅夜叉』と呼ばれ英雄のように語られてはいるが、やっていることは人斬りとなんら変わりはない。

 進之助においても、情報収集のためとはいえ敵方への潜入に暗殺の見聞、後始末など、危険な仕事ばかりを言いつけて奔走させてしまっている。


「……」


 おもむろに抜いた恭介の刀が、陽光を受けてきらめく。本来研ぎ澄まされているはずの刃が、反射した輝きとは裏腹につぶされて丸くなっていた。


 それは、人を斬れない刃引きの刀。恭介の覚悟そのもの。


「二度と人は斬らねぇ。俺があいつらにしてやれる、せめてもの償いだ」


 内庭からはまだ、楽しそうな声を上げてはしゃぐ三人の声が聞こえていた。



◇◇◇◇◇



「みなの衆、集まったかの?」


 組長は、自身の執務室に集まった面々を見渡しながらそう言った。

 外は暗い。虫の鳴き声もどこか気だるげで、室内の雰囲気をさらに陰鬱としたものにしていた。


「何事なんです?」

「人払いまでして隊長格を召集するなんざ、ただごとじゃねぇんだろ?」


 声がかかったのは徹也をはじめとする各隊隊長たちだった。その中には、出張から戻ったらしい耕平の姿もある。

 円をえがくように座った彼らは、みな緊張した面持ちだった。重苦しい雰囲気に落ち着かないらしく、哉彦はそわそわとみなの顔を見比べている。


「うむ。実はのぅ、テツの指示で峰山くんには、調査のほうに出てもらっておった」

「調査?」

「いったい、なんの?」


 みなの視線が徹也へと集まる。しかし命令を下したはずの彼は、口を閉ざしたまま目を伏せていた。


「峰山くん、報告を」

「はい」


 組長に促されて、耕平は居住まいを正した。ゆっくりと室内を見回して、彼は静かに口をひらいた。


「結論から申し上げます」


 張り詰めた空気が、いっそう肌に突き刺さる。今一度大きく息を吸いこんだ彼は、はっきりとした口調で告げた。


「『紅夜叉』と、『山科巴』は、同一人物です」



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