第41夜 躑躅色の髪紐

 夕暮れの川沿いを、巴は龍三につき添われて帰路についていた。まだ陽も落ちきってはいなかったため一人で帰るつもりだったが、例のごとく詰所にいた隊士たち全員から止められたのだ。もちろんその筆頭は隊長格たちである。


――いくらなんでも、みんな心配しすぎじゃない?


 どうやら本人のいないところで、勝手に巴を送り届ける順番を決めていたらしい。輝真組の隊長格というのは存外暇なのだろうか。


「そーいや、聖に聞いたぜ? 加茂さんに膝枕させたらしいじゃねーか」

「あ! あれは、加茂さんが……!」


 龍三からの思いもよらなかった話題に、巴はあたふたと慌てて弁明する。なぜ龍三がそのことを知っているのかはなはだ疑問が残るが、もしかしたら聖あたりが徹也をからかうためだけに言いふらしたのかもしれない。そう思っていれば、龍三からの答えは案の定。


「もう! だから哉彦くんが変な顔してたんですね」


 どおりで見送りに出てきた哉彦の視線がぎこちなかったわけだ。

 納得のいった巴は、不服だと言わんばかりに頬をふくらませてため息をついた。


「ははっ、お前がいると、なんか詰所の空気がなごむんだよな」

「そういう問題じゃないですよ、まったく」

「まぁいいじゃねーか」


 そう言って笑う龍三は、歩きながらぽんっ、と巴の頭に手を置いた。そうしてふと、彼の視線が団子状にまとめられた巴の髪に止まる。

 帯と同じ色の絹紐リボンの下から、深緋こきひ色の結い紐が覗いていた。


 いつだったか。彼女の髪紐の色が変わった。否、龍三はその時期を明確に把握していた。

 彼が紅夜叉と巴を見間違えた、あの月夜の晩のことである。彼の刀の切っ先がとらえた髪紐をその場に残して、夜叉は走り去っていった。

 拾い上げたそれは、鮮やかな躑躅つつじ色。出会った当初に巴がつけていた髪紐と同色の。


――まだ誰にも話しちゃいねぇが……。


 しかし、あの日を境に新しくなった彼女の髪紐が、龍三の心のわだかまりを大きくしていた。日を追うごとに、疑惑は確信へと近づいていく。


「……」

「龍三……?」


 不意に足の止まった彼を、巴はゆっくりと振り返る。二人の距離は、歩幅にして約二、三足分。手を伸ばせば届く距離だ。

 なにか言いたげにしている龍三の表情は真剣そのもので、喉まで出かかっている言葉を飲みこむように、彼は口を固く引き結んでいた。


「……」

「……どうしたんですか?」


 彼はなにも答えない。生ぬるい風が吹き抜けて、肌に湿り気だけを残していく。


「……巴」おもむろに口をひらいた龍三の声が、やけに空気を震わせた。


「もう、危ねぇことはすんな」

「っ!」


 射抜くようなまっすぐなまなざしは、巴を動揺させるには十分だった。おもわず呼吸することすら忘れて、龍三の視線から目をそらせない。


「俺たちゃみんな、お前のことを大切に思ってるんだ」


 彼女に聞きたいことは山ほどある。しかしそれらすべてを飲みこんで、龍三はひどく穏やかな声色でそう言った。


――問い詰めることは簡単だ。だが……。


 そうしてしまった場合、きっと『巴』は行方をくらましてしまうのだろう。そんなことは誰も、微塵も望んでなんかいない。


「なにか事情があるなら、俺たちが助けてやっから」

「……」

「だから、お前はいままでどおり笑ってりゃいい」


 輝真組の隊長としてあるまじき行為なのはわかっている。本来であれば、上司に報告して然るべき対処を取らなければならないはずだ。

 だが龍三にはそれができなかった。だからせめて、彼女がこれ以上危険な目に遭わなくていいようにと、願いを乗せた言葉のひとつが少しでも彼女の心に響いてくれればと、一方的な思いだけを伝えるにとどめる。


 そっと視線を落とした彼女は今、なにを思っているのだろうか。

 対岸の長屋の向こうから、帰りの遅い我が子を叱る母親の声がこだましていた。


「……」

「……」

「なんてな。ほら、陽が暮れちまう前に帰るぞ」


 そう言って笑みをこぼして歩みを再開した龍三は、巴の頭をわしゃわしゃとなでつけた。うつむき加減でたたずむ彼女の手を取って歩きだす。

 葵家までの残りの道中、彼女は口を閉ざしたままだった。



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