第35夜 紺青色の帳
◇◇◇◇◇
「えー、俺行きたくないんだけどー」
「わがままを言うんじゃありません! 行くか行かないかではなく、行かなければならないんです!」
神田屋ではいつものように、朱里以外の馴染みの面子が顔をそろえていた。駄々をこねているのはもちろん恭介である。腰高の窓を背にして壁にもたれかかっている彼は、目の前で仁王立ちになる創二郎にぶつくさと文句を垂れていた。
「あれじゃまるで、寺子屋へ行くのを渋る息子と、それを叱る母親ですね」
「似たようなもんでしょ」
横目で二人の様子を眺めている佑介と進之助は、小声でそんなことをささやいてくすくすと笑った。
「だってあいつら、俺のこと目の仇にすんだもん」
「大の男が『もん』とか言っても気持ち悪いだけです。おやめなさい」
恭介が渋っているのは、今夜開催される会合への出席だ。前々から予定されていた会合だが、どうにもその情報が輝真組に漏れている可能性がある。というかおそらく確実に、彼らは情報をつかんでいるに違いなかった。
「まったく、あなたが先日身分を隠して飲み歩いていた八田一派の浪人が、まさか会合の出席者だったなんて」
「俺がいなくても、どうせあいつら輝真組に喧嘩売って捕縛されてたって」
「それはそうでしょうけどね」
厳しい拷問にかけられたであろう彼らが、苦痛に耐えかねてつい口をすべらせた可能性は大いにある。用心のためにと、昨夜急遽、開催場所の変更が伝えられたのがいい証拠だろう。輝真組が突入してくるかもしれないとわかっている場所にわざわざ出向くなど、飛んで火に入る夏の虫である。
「こればっかりは仕方ありません。最悪の事態を想定して、こちらも万全の態勢を整えておかなくては」創二郎は半身をひるがえすと、居住まいを正した佑介と進之助に視線を寄越した。
「船井くんは、会場付近にて待機。周囲の警戒をお願いします」
「はい」
「朱里くんにはすでに逃走経路で待機してもらっていますから、万が一のときは、恭介を連れて朱里くんと合流してください。恭介を引き渡したあとは、連絡係をお願いします。夜が明けてほとぼりが覚めるまで、恭介は
いくら輝真組が突入してくるとわかってはいても、この会合を欠席するわけにはいかない。顔を出しておかなくては、のちのち忠軍内部における恭介の立場が悪くなる。怖じけづいて会合にも出席しない腰抜けなどと、後ろ指をさされるようなことがあってはならないのだ。
「会合中の護衛には佑介くんがついてください。恭介を逃がしたら、輝真組の足止めをお願いします。深追いする必要はありません。頃合いを見計らって、あなたは
「わかりました」
創二郎が短く両手を打ちつける音が、小気味よく室内に響いた。
「さぁさ、みなさん! 気を引きしめて参りましょう」
◇◇◇◇◇
煌々と明かりの灯る輝真組詰所は、男たちの殺気めいた喧騒で慌ただしかった。今夜はすべての隊士が駆り出されている。詰襟の隊服を身にまとい、腰に刀を携えた男たちが、詰所内を小走りで行き交っていた。
「おら! てめぇら気合い入れろ! 今日は久々の大捕物になるぞ!」
廊下を歩きながら放った龍三の声に、どこからともなく返事が上がる。威勢のいいそれは、みなの高揚とともに響き渡った。
「しっかし、耕平も災難だよなー。こんなときに出張なんてさ」
道場の広縁に腰かけた哉彦は、ひたいに当てた鉢金をぐいっと縛ると、歩み寄ってきた龍三を見上げた。
今夜、この場に耕平の姿はない。彼は数日前から出張でどこかへ出向いているらしい。こうしたことは珍しくなく、肆番隊と伍番隊だけは多忙な隊長を補佐するために副隊長が置かれている。
「仕方ないさ。とっとと忠軍のやつらを捕まえて、あいつが帰ってきたら自慢してやればいい」
「そうだな! 耕平、きっとくやしがるぜ!」
「てめぇら! うだうだ言ってねぇで、準備できたら並べ!」
悪戯っ子のように歯を見せて笑った哉彦の声をさえぎるように、徹也が広縁に姿を見せた。彼のうしろで微笑みを浮かべる組長も、今夜は隊服と同色の外套を羽織っている。
一瞬で、前庭の空気に緊張感が走った。
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