第4章 山科佑介

第33夜 硝子の風鈴

 人々が行き交う樽屋町の往来は、今日も活気づいていた。商店の店先に立つ客引きのかけ声やら、井戸端でうわさ話に花を咲かせる女たち、人々の合間を縫うように駆ける飛脚やらで、町はいつもどおりのにぎわいを見せていた。


 その一角に、小さな人だかりができている。人々は心配そうな、だが同時に好奇心に駆られたまなざしを向けながらも、遠巻きに様子を見ているだけ。


「おいおい嬢ちゃん、どう落とし前つけてくれんの?」

「っあ、あの……、ごめん、なさい……!」


 人だかりの中心には、二人の浪人と一人の少女がいた。見たところ、どうやらこの幼い少女が浪人たちに絡まれているらしい。


「何事ですか?」


 巴、もとい佑介は、通りがかりの不穏な空気に足を止めて、近くの婦人に事情をたずねた。


「それがねぇ、お嬢ちゃんとあのお侍さんたちがぶつかっちまったらしいんだけどね。どうもお侍さんの虫の居所が悪かったらしくて、いちゃもんつけられちゃったんだよ」

「ちょっと軽ーく袖に当たっただけなんだよ? それをわざとじゃないかとか、着物が汚れただとかってさぁ」

「いや、ありゃあどう見てもお侍さんがよそ見してたんだよ。あとちょっとずれてたら、お嬢ちゃんの顔に当たってたかもしれないんだから」


 聞けば聞くほど、よくある話である。横暴な振る舞いの浪人にか弱い幼子、そして見ているだけの周囲の野次馬。

 佑介は人知れず小さくため息をこぼすと、再度みなの視線の先へと目を向けた。


「謝って済むほど、世の中甘くねぇんだよ、お嬢ちゃん」

「そうさなぁ、金がねぇってんなら、体で払ってもらうしかねぇかな」


 浪人たちは少女の顔を覗きこむように前かがみになる。まるで品定めでもするかのように少女の体に視線を這わせ、意味ありげにあごに手を当て思案しながらも、目つきはどうにも厭らしい。難癖をつけて少女をどこかに売り飛ばすのか。はたまた夜の相手にでもしようというのだろう。

 まっすぐに切りそろえられた前髪の下で、少女の長いまつげがふるふると震えていた。声も出せずに、少女はただただ怯えるばかりである。


「かわいそうにねぇ」

「誰か助けてやんなよ」

「無茶言うなよ。そんなことしたら、今度はあっしたちがやられちまわぁ」


 集まった野次馬は、あちらこちらでささやくようにそう言った。もしも少女をかばえば、次は自分たちが標的にされかねない。男たちの腰には刀が携えられているのだ。だからこそ、みな見ているだけで誰も少女を助けようとはしなかった。

 浪人が少女の細い腕をつかむ。小さく悲鳴を上げた少女が大事そうにかかえていた風呂敷包みが地面に落下し、木箱の蓋が開く。同時に、かすかになにかが割れるような音がした。


「おら! さっさと来な!」

「いいこにしてりゃ、悪いようにはしねぇからよ」

「っ……!」

「その辺にしとけ。大人げないとは思わんのか」


 見かねた佑介が、人だかりを割って中心へと歩み出る。目立つのは好きではないが、さすがに見て見ぬふりはできなかった。

 佑介が男たちの背後に立つと、彼らは大げさなまでの動きでうしろを振り返った。


「ぁあ? なんだおめぇ!」

「部外者は引っこんでな!」


 案の定食ってかかる浪人たちは、横やりを入れてきた佑介を見るなりわざとらしく鼻で笑った。帯刀していても、小柄な佑介相手ならば容易に勝てると踏んだのだろう。

 だが相手が悪い。高圧的に詰め寄ってきた男二人に聞こえるように、佑介はこれ見よがしに大きく息を吐く。


「はぁ~……。どうしてもと言うなら、おれも大人げない真似をしてみるが?」


 手をかけた刀の鍔を親指で弾く。垣間見えた刀身に、陽光が当たってきらめいた。

 殺気を込めた鋭い視線を下から送れば、男たちは一瞬たじろいだように後ずさる。おもむろに一歩前に足を出せば、彼らは少女から手を離して、さっ、と左右に別れた。


「チッ、行くぞ!」

「どけどけ! 邪魔だぁ!」


 佑介の両脇を抜けて、浪人たちは足早に人だかりの中へと行方をくらませた。すれ違いざまに思いきり肩をぶつけられるが、佑介は特段気にすることもなく、それこそ大げさに肩のほこりを手で払った。そうして、目の前で立ちすくむ少女に目線を合わせてしゃがみこむ。

 少女はかわいらしい赤色の着物の袖でごしごしと目元をこすると、まっすぐに佑介と視線を通わせた。


「大丈夫か?」

「あ、あの、えっと、ありがとう、ございます……!」


 言葉が喉に引っかかったように、ところどころつっかえながらも少女は懸命に感謝を口にする。涙目になったまま、少女は勢いよく頭を下げた。ふわり、と上品な香のにおいがした。


「お前さん、華乃屋の子だろ?」

「っ……!」


 遠目からひと目見たときから、どこかで見たような気はしていた。近くで見れば、それは確信へと変わる。

 見世の名を確認すれば、少女は首だけでこくりと肯定した。


「っす、涼風すずかぜです……。っあの……」

「そこの若旦那のことはよく知ってる。送っていくよ」


 そう言って、佑介は地面に転がったままの涼風の荷物に手を伸ばした。

 地面に落ちた衝撃で蓋のはずれた木箱から、薄い硝子ガラスの破片がこぼれ落ちる。鮮やかな色彩が施された硝子片は、もとは涼しげな音色を響かせる風鈴だったようだ。なんとか割れずに原型を留めているものもあったが、小さなひびがいくつも入ってしまっている。これではわずかな衝撃でも砕けてしまうだろう。


「まずは風鈴屋だな。おいで、涼風」

「っ……はい……!」


 小さな硝子片をひとつひとつ拾い上げて木箱に戻すと、佑介は幼い涼風の手を引いて、近くの露店商へと足を向けた。



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