第32夜 揺れる灯火

◇◇◇◇◇



「おなか痛いよ~、死んじゃうよ~」

「なんか、すみません……」


 昨夜のこともあり、朝一番で神田屋を訪ねてみればこのありさまである。別に悪いとは思っていないが口をついて出た言葉に、心配して損した気分になるのは気のせいだろうか。

 布団にくるまり丸くなっている恭介は、うめきながらこれ見よがしにしくしくと泣き真似をしている。

 布団のそばで正座した巴、もとい佑介は、布団のすきまからチラチラと様子をうかがってくる恭介にため息をこぼした。


「というか自業自得なのでは?」

「巴ってば容赦なくないか!? 峰打ちじゃなきゃ俺きっと死んでたぞ!?」

「加減はしました。てか佑介です」


 手加減はした。というより、軽く刀を薙いだだけである。しかし恭介の足よりも刀の軌道ほうが早かったようで、少しばかり刀身が腹部をかすめただけである。恭介の騒ぎ立てようが大げさなのだ。

 同じ部屋にいる朱里と進之助に視線で助けを求めてみても、二人とも苦笑しながら様子を眺めているだけである。どうやら助けてはくれそうにない。


「佑介くんが謝る必要はありません。もとはといえば、恭介が悪いんですから」


 あきれながらため息をついて部屋に戻ってきたのは創二郎だった。不甲斐ない恭介の体たらくに、あきれてものも言えないといった様子である。


「佑介くんが来ないことに拗ねて一人で夜の町に繰り出したかと思えば、身分を隠したままどこの馬の骨かもわからない浪人たちと飲み歩いて。まったく……」

「ああ! あいつらな、八田のとこの下っ端らしい!」

「だまらっしゃい! あなたの軽率なおこないのせいで、『巴さんに』刀を振るわせたんですよ!? わかってるんですか!?」

「うおっ!?」


 仁王立ちで強引に布団を引きはがした創二郎は、恭介の腹に足裏を押し当てた。


「ほら! いつまで寝てるんですか。早く起きなさい!」

「ちょ、そうじろっ、痛っ!?」


 ひっくり返った蛙のような格好のまま、恭介は降参だとばかりに創二郎の足首をつかんだ。しかし彼は、足蹴にするのをやめる気はないようで、足裏にさらに体重を乗せた。これは相当ご立腹らしい。


「すまん! すまんかった! 痛っ、死ぬっ、死ぬから!」

「……」

「ちょ、お前らも! 見てないで助けろ!」

「「「嫌でーす」」」

「薄情者ぉ!! ぅぐ、そうじろっ、ほんとにっ」


 貼りつけた笑顔のまま無言で恭介を足蹴にする創二郎の気が済むまでしばらくこのままにしておこうと、三人は助けを求める恭介を見捨てることにした。



◇◇◇◇◇



 それは、夜も明けきらぬ早朝のことだった。徹也は真剣な面持ちで、ゆっくりと肺にくぐらせた紫煙を吐き出す。

 どうにも違和感をぬぐい去ることができない。輝真組副長として、気がつかなかったことにはできなかった。


「お呼びですか? 加茂さん」

「あぁ、入れ」

「失礼します」


 足音もなく現れた耕平の影が、閉めきった執務室の障子を揺らした。すばやく室内へと身をすべり込ませた耕平が、衣擦れの音さえも響かせずに膝をつく。

 徹也はまだ煙のくすぶっている煙管を文机の隅に置くと、行灯の明かりに照らされた耕平に向き直った。


「これから話すことは、すべて内密に願う」

「監察、ですか」

「あぁ」


 声をひそめた徹也の言葉に、耕平の顔色が変わる。

 普段は輝真組の肆番隊隊長として職務に励む彼だが、裏では諜報活動の一端を担っていた。情報収集能力の高さも、輝真組が独立した組織として活動できる要因のひとつである。

 彼が動くのは、おもに身辺調査の類いだった。入隊希望者の身元保証や、隊内で不穏な動きがないかなどを人知れず調査しては報告する。このことを知っているのは副長と組長だけである。


「それで、今度は誰を?」


 ここ最近は入隊希望者の話はとんと聞かない。となれば、隊内の誰かを、ということだろう。耕平は先を促した。

 ひと呼吸置いて、徹也はまっすぐに彼の目を見遣る。切れ長の目が、うつむき加減にスッ、と細められた。


「『山科巴』と、『紅夜叉』に関するすべてだ」



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