第30夜 不穏の火種
宵闇に包まれた町にはまだ、夜空に大輪を咲かせた花火の余韻が漂っていた。夏の夜特有の湿り気を帯びた風が、山手から火薬のにおいを運んでくる。
――結局また送ってもらっちゃった……。
川沿いの道を葵家に向けて歩きながら、巴は隣を歩く徹也の顔を盗み見た。酔っぱらいに巴の送迎は任せられないと、ちゃっかりと
「急に悪かったな。言いだしたら聞かねぇんだ、あいつら」
小さくため息をこぼした徹也に、巴もつられて苦笑する。彼らの思いつきの行動は、いまに始まったことではないのだろう。そしてきっとそれに毎回振り回されているのは、副長という立場の徹也であるに違いない。
「加茂さんも大変ですね」
容易に想像できた光景に同情の声色を乗せれば、徹也は短く鼻で笑った。
「まぁ、退屈はしないがな」
「ふふっ、毎日楽しくていいじゃないですか」
なんだかんだ言いつつも、徹也も本気で迷惑しているわけではなさそうである。
おもわず笑ってしまった巴に嫌な顔をするわけでもなく、徹也は彼女の顔を横目に見て小さく口角を上げた。
「なんならお前もうちに来りゃいい。爺さんもだめとは言わねぇさ。隊士たちもよろこぶ」
「っ、……そ、れは」
徹也からの突然の勧誘に、巴は戸惑いを隠せなかった。たしかに輝真組の面々と過ごしている時間は、騒がしい一方で思いのほか楽しい。それは事実である。もしも自身になんのしがらみもなければ、彼の誘いに素直によろこんでいたことだろう。
しかしそういうわけにもいかない現実がある。忠軍の人斬りと輝真組とでは、立場上相容れない間柄。今こうして『巴』として彼らに関わっていること自体が想定外なのだ。
「まぁ無理にとは言わねぇさ。だが、気が向いたら考えてみちゃくれねぇか?」
「……あ、の……」
返答に困った巴が言い淀んでいると、橋の向こうからいくつもの足音が聞こえてきた。三人ぶんの人影はずいぶんと浮かれている様子で、少々調子のずれた唄が彼らの気分の高揚さを物語っていた。おおかた、夏の風情をつまみに酒をあおってきた帰りといったところだろう。
「巴」
視線だけで、徹也は橋の反対側へと巴を誘導する。なるべくなら面倒ごとは避けたい。
だが二人の願いも裏腹に、浪人たちは目ざとく巴と徹也の姿を見つけるとこれ見よがしに提灯を掲げた。
「おやぁ? そこにいるのは、天下の輝真組副長さんじゃあないっすかぁ?」
「こんな夜更けに女連れたぁ、お盛んですなぁ」
三人のうち二人が、酔った勢いのまま徹也に絡みだす。なかなかに命知らずな輩であるが、巴は彼らのうしろに見知った顔を見つけて静かに息を飲んだ。
――笠置さん!?
徹也に対して
こんなところでなにをしてるのかと問いただしたいところではあるが、いかんせんこの状況ではどうすることもできない。恭介の存在が徹也に露見する前に、なんとかして彼をここから逃がさなくては。
すると、巴を背にかばうようにして、徹也が浪人たちの視線の前に立ちはだかった。
「なんだお前ら」
「おいおいおい、俺たちも舐められたもんだなぁ」
「忠軍の狂犬と言われたオレたちを知らねぇとは、天下の輝真組も大したことねぇなぁ?」
「巴、下がってろ」
徹也に言われるがまま、巴はまっすぐに後方へと距離を取った。対角線上の暗がりに立つ恭介に目配せすると、互いにゆっくりと首を上下させる。
「ぁあ!? なんだ、やるってぇのか? ぇえ!?」
「うるせぇよ。帰っておとなしく寝てろ」
「チッ、調子に乗るなぁ!!」
浪人の一人が、ついに刀を抜いて徹也へと向かっていった。だが酔っているせいか、腕の振りが大きすぎる。軌道はたやすく徹也に見抜かれ、彼は難なく男の刀をかわすと、そのまま勢いをつけて自身の刀を抜いた。
刀同士がぶつかりあった瞬間、男の手から柄の感触が消える。返す刀で峰打ちを食らった男は、あっけなく徹也の足元に崩れ落ちた。
弾き飛ばされた刀は、金属音を立てて巴の足元に転がる。
「っき、っさまあぁぁああぁ!」
仲間が倒されたことに逆上して、もう一人の浪人もまた刀を抜いた。わなわなと怒りをあらわにする男が駆け出すのと同時に、徹也が男に向かって踏み出す。
次の瞬間、それまで我関せずと傍観を貫いていた恭介が動いた。刀を交える男と徹也の横を駆け抜けて、彼は一直線に巴に向かっていく。
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