第28夜 童心は天高く

◇◇◇◇◇



 すっかりともとの調子を取り戻した巴は、今日も今日とて葵家での仕事に精を出していた。女将いわく、彼女が風邪で店を休んでいた間、常連客にはずいぶんと心配されていたらしい。復帰するなり「い人でも迎えにきたのかと思った」やら「故郷くにに帰ったと思っていた」などと言われたほどである。巴の復帰を聞きつけた人が人を呼び、店は数日の間いつになく大盛況だった。


 そんなにぎわいも落ち着いてきたある日のこと。

 昼時の混雑も一段落し、女将とともに店じまいをしていたときだった。巴がのんびりと店内の拭き掃除をしていれば、暖簾を下ろした出入口から、よく見知った顔がふたつ覗いている。


「亀岡さんと、峰山さん?」

「よっ!」

「巴ちゃん、お仕事終わった?」


 名を口にすれば、彼らはためらうことなく巴に近づいてくる。そして二人は無言で彼女を中心に左右にそれぞれ立つと、巴の手をつかむようにして握った。


「女将さーん!」

「巴ちゃん借りていくね!」

「は? え?」

「はいよー。気をつけるんだよー」

「ちょ、えぇ!?」


 まったく状況が飲みこめないまま、巴は哉彦と耕平に引きずられるようにして店の外へと躍り出た。手にしていた台拭きは、卓上に置き去りである。なんの躊躇もなくあっさりと送り出した女将の声が、みるみる遠のいていく。


「なになになに!?」

「いいからいいからー」

「みんなお前が来るの待ってんだよ」


 いったい何事だというのか。予想もできないが、とにかく今回も何事かに巻きこまれたに違いない。


――せめてどこに行くとか、なにをするとか、状況を……。


 毎度のことながら、彼らには人の意見を聞くという配慮はないのだろうか。一方的に振り回されることに慣れつつある自分に苦笑しながら、巴は二人に手を引かれるがままに、昼過ぎの往来を走り抜けていった。




「「「巴さぁーん! こんにちはー!!」」」


 詰所に着くなり、巴は二階の窓から手を振る隊士たちの出迎えを受けた。隣の部屋の窓からは、聖と龍三が顔を覗かせている。


「早く上がっておいでー。ごちそうが待ってるよー」

「……ごちそう?」


 みなに促されるまま二階へ上がれば、そこには出前されたであろう寿司や天ぷら、酒の一升瓶に盃が並べられ、見るからに宴会の席が用意されていた。


「……え、何事ですか?」

「なんだ巴、知らねぇのか? 今日は年に一度の花火大会だぜ!」


 巴のつぶやきに返ってきたのは、哉彦の屈託のない笑顔である。その言葉に、巴は「あ~……」と納得の表情を浮かべた。


――そういえば、朝から笠置さんが騒いでたっけ。


 今年は特等席を用意したから早く帰ってこいと言われていたのをすっかりと忘れていた。いまごろ浮かれた恭介が、巴が帰ってくるのをさぞ待ちわびていることだろう。

 だがいまさら目の前の面子に「帰る」とは言えない雰囲気である。いそいそと巴のぶんの座布団を引っぱってきた聖に、すでに猪口を手にしている龍三と徹也、それに組長がにこにこと巴に微笑みかけている。


「巴ちゃん、こっちこっち」

「うちの詰所は高台にあるからな。ここからならよく見えるだろ?」そう言って早く座れと促す龍三に、耕平が「華乃屋はなのやには負けるけどねー」と軽口をたたく。


「あんな高ぇ見世で花火見物なんてできるわけねぇだろ」

「それはそう」


――まさにその華乃屋で見物の予定だったんですけどね……。


 散々にいじけるであろう恭介を想像して、巴は苦笑いをこぼした。これはなだめるのに苦労しそうである。

 すると、隣の部屋で騒いでいた隊士たち数人が、「副長ー!」と徹也を呼んだ。


「道場の上、上がってもいいっすかー?」

「落ちるなよ」

「「「はぁーい!!」」」


 さえぎるものがなにもない道場の屋根からは、さぞや花火がよく見えることだろう。元気よく返事をした隊士たちが軽口を言い合いながら廊下の窓から道場の屋根に乗り移るのを、巴はうらやましいと思いながら見つめていた。


「お前も行きてぇなら行ってきていいぞ」

「へ?」


 徹也の言葉に反射的に彼を見遣れば、お見通しだと言わんばかりの視線とぶつかった。わずかに口角を上げる徹也のまなざしにとたんに恥ずかしさがこみ上げてきた巴は、「ここで十分です!」と龍三と聖の間の空いた座布団へと慌てて腰を下ろした。



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