第27夜 些細な棘

◇◇◇◇◇



「なーんか腹減ったなー」


 昼過ぎの詰所の縁側で、庭先に足を投げ出して仰向けに寝転がった哉彦の腹の虫が鳴く。

 食べざかり働きざかりの彼にとっては、詰所で出される朝夕二回の食事だけでは足りないらしい。それは哉彦にかぎったことではないのだが、昼食は各自でどうにかするしかない。弁当を持参している隊士もいるが、作ってくれる相手のいない哉彦には、出前を取るか、外に食べに行くか悩みどころである。


「ボクは食べに行きたい気分かな~。聖くんはどうするの?」

「僕は巴ちゃんのとこに行くよー。ついてこないでね」


 哉彦の隣に腰かけていた耕平が、通りすがりの聖に問う。首だけをのけぞらせて見上げてくる二人のうしろで、聖は得意げな表情でそう言った。


「えー、おれも巴んとこに食いに行きてーよ」

「じゃあボクも葵家にしようかな」

「だからついてこないでってば」

「巴なら今日はいねぇぞ」

「「「は?」」」


 不意打ちのように聞こえた声に、三人は声のしたほうへと視線を遣った。外から帰ってきたばかりの龍三が、廊下の先から聞こえてきた三人の会話にさらりと割りこんだらしい。


「なんで巴がいないって龍兄が知ってんだよ!」

「ま、まさかっ……!?」


 単純に親切で巴の不在を教えてやっただけなのだが、彼らの過剰反応に龍三はつい後ずさる。寝転がっていたはずの哉彦にいたっては、上体を起こして腰を浮かせてしまっていた。口元をわざとらしく手で覆い隠した耕平は、大げさにあわあわと肩を震わせている始末だ。


「ぬけがけ? ぬけがけなの? 龍三」

「ちょ、聖、落ち着けって」


 至近距離に詰め寄ってきた聖の笑っていない視線に、龍三は余計なことを言わなければよかったと後悔していた。



◇◇◇◇◇



 静寂に包まれた通りに、ひとつの足音が響く。提灯を手にのんびりと足を運ぶ聖は、別段夜間の巡回中というわけでもないらしい。いつもの稽古着姿に、薄手の羽織を肩に引っかけているだけである。夜の散歩というには遅い時間だが、彼は特に先を急いでいるわけでもなさそうだった。

 適当な鼻唄まじりに歩を進め、交差する路地に差しかかったときだった。聖の目の前を、何者かが足早に通りすぎていく。


 背格好は男。腰には刀を差している。

 一見すれば、ただの浪人である。だが男の出で立ちには違和感しかない。月明かりもない夜分に提灯も持たずにいること。面識のない他人であるはずの聖を前に足を止めたこと。


 そしてかすかに、彼はをまとっていた。


 相手が聖でなければ気がつかれなかったかもしれない。仕事柄、血のにおいに敏感な彼だからこそ感じた違和感。それはささいなことだが、輝真組という立場からすれば大きな意味を持つ。


「あっれー? もしかして……」聖は口角を上げながら、男に向かって言った。


、かな?」


 肌にまとわりつくような、湿った風が吹き抜ける。

 男の駆けてきた方角からは、けたたましい呼び笛の音が遠くからこだましていた。


「今夜は見逃してあげるよ。僕、非番だしね」


 視線をそらさぬまま柄尻に手を添える夜叉に対して、聖はぷらぷらと手を遊ばせたままだ。提灯の明かりを男に向けようともしない。


「ふん……。あいつは、俺が守る」


 夜叉が静かに口をひらいた。鋭い眼光が聖に突き刺さる。それでも彼は、うっすらと笑みを浮かべたまま微動だにしない。


「お前らなんかに、渡さねぇ」

「……」


 それだけ言うと、夜叉はきびすを返した。襟巻きの先端が風になびいて尾を引いた。

 闇夜に消えていくうしろ姿を、聖はじっと見つめる。


「……ふーん、そーゆーこと」


 意味ありげなひと言をその場に残して、聖は何事もなかったかのように夜叉に背を向けて歩きだした。



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