第25夜 月下の面影
◇◇◇◇◇
宵闇の市中に、いくつもの提灯の明かりが揺れていた。虫も寝静まる真夜中であるというのに、今夜はいつになく騒がしい。
喧騒の中心にあるのは、唐樋町にある一軒の小さな料亭である。
店内に明かりはない。しかしながら襖や障子を引き倒す音、数多の怒号や刀のぶつかりあう音が周囲に響き渡っていた。
隣の屋敷や向かいの宿屋から、なんの騒ぎかと人々が遠巻きに様子を覗きに出てくる。輝真組による真夜中の粛清に、辺りは騒然としていた。
「刃向かうやつには容赦するな! たたっ斬れ!」
「「「ぅおぉぉおおぉぉぉ!!」」」
龍三は率いてきた弐番隊隊士たちに檄を飛ばした。とたんにあちこちから威勢のいいかけ声が返ってくる。
「いいか! 一人として逃がすんじゃねぇぞ!」
「「「はい!!」」」
店に突入した哉彦の参番隊とは別に、料亭に面した通りにはそれぞれ、道を閉鎖するように別動隊が待機している。裏道を抜けた先の通りにも隊が配置され、料亭を中心とした完璧なまでの包囲網が形成されていた。
「くそっ、こっちにもいやがんのかよ……!」
「どうする……!? オレぁこんなとこで捕まるのは御免だぜ!?」
店内での乱闘から運良く逃げ出したのもつかの間、八田一派の浪人たちはたやすく輝真組の包囲網に追い込まれていた。まさに袋の鼠である。
行く先々で逃げ道をふさがれた彼らは、刀の切っ先を右へ左へとせわしなく振っていた。来た道を戻るわけにはいかない。かといって、輝真組を背に逃げたところで挟み撃ちにされるのは目に見えている。通りの向こうの闇にも、いくつも提灯の明かりが揺れていた。
「くっ、これまでか……!」
「チッ、忌々しい!」
これ以上、浪人たちにはなす術がない。行く手を阻む輝真組に、彼らは必然的に己の最期を覚悟した。
「こうなりゃ、死なばもろともっ……!」
しかし次の瞬間、遠くのほうから慌てふためくような、かすかな動揺が空気を震わせた。
「うわぁぁぁ!?」
「なんだっ……!?」
「なにが起きた!?」
「走れ!」
浪人たちは反射的に声のしたほうを振り返る。提灯の明かりが揺れていたはずの後方、宙に浮かんでいた灯火はない。
「っ!」
「行くぞ!」
浪人たちは弾かれたように闇に向かって走りだした。
「隊長! 包囲網が! 包囲網が崩されました!!」
「ぁあ!?」
奥から駆けてきた平隊士が、すれ違いざまにそんなことを叫んでいた。どうやらまだ運に見放されてはいないらしい。浪人はわずかに口の端を上げた。
浪人たちの正面から、ひとつの影がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。輝真組の隊服ではない。高い位置でくくられた黒髪が、歩調に合わせてしなやかに左右に揺れていた。
「ありがてぇ!」
「恩に着るぜ!」
「うるさい、さっさと行け」
勝利を確信して両脇を走り抜けていく浪人に悪態をつきながら、佑介はまっすぐに前だけを見据えていた。体調が悪いせいで、すこぶる機嫌が悪い。
抜き身の刀を手にしたまま足を止めた祐介の視線の先には、逃げる浪人たちを追いかけてきた輝真組の姿がとらえられていた。
「紅、夜叉……!」
暗闇の中、立ちふさがる人影に隊士たちは息を飲んだ。
過激派とは一線を置いているはずの夜叉がなぜここにいるのか。
理由を考えている暇はない。なんにせよ、やつのせいで包囲網が崩されたのは疑いようのない事実である。
「こいつの相手は俺がする。お前らは逃げたやつらのあとを追え」
「「「はい!!」」」
夜叉は刀を構えない。
龍三の指示を受けた隊士たちが、我先にと彼の横を走り抜けていく。隊士たちには見向きもしない夜叉に、龍三はわずかないらだちを覚えた。
「まさかこんなところで会えるとは思っちゃいなかったが……」龍三は抜刀の構えをとると、まっすぐに夜叉の姿をとらえる。まるで鏡あわせのように、夜叉もまた同じ姿勢をとっていた。
「観念しな。紅夜叉」
鯉口を切る。駆け出したのはほぼ同時。振りかざした互いの刃を受け止めあう音が、宵闇の通りに響き渡った。
だが拮抗する鍔迫り合いに、押し負けているのは夜叉のほうだった。くつがえしようがない力と体格の差が、徐々に夜叉の足元を危うくさせる。
「くっ……!」
夜叉は小柄ゆえの身のこなしでうまく力を受け流し、身をかわすと同時に龍三から距離を取った。互いの刀を弾く甲高い金属音が、連続してこだまする。
龍三の放つひと太刀は重い。まともに受ければひとたまりもないだろう。
「ちょこまかと、動くんじゃねぇ!」
龍三がすばやく片腕をうしろに引く。勢いよく正面に突き出された刀身は、同時に上体を下げた夜叉の残像を貫いた。
切っ先がとらえたのは、
夜叉の長い黒髪が、重力に従い空中に広がる。視界を奪われる前に、夜叉は龍三の足元を狙って刀を横一線に薙いだ。
「っ!?」
後方に飛び退くことで剣線を逃れた龍三は、次の瞬間おもわず息を飲んだ。
月明かりに照らされて、振り乱した長い髪の合間から覗く見覚えのある面影。
あり得ない。彼女であるはずがないとわかってはいても、あまりにも予想外のことに龍三は次の動作に移れなかった。
その隙を夜叉が見逃すはずがなく。夜叉は瞬時にきびすを返すと、そのまま一目散に夜の闇へと行方をくらませた。
「……巴……?」
消えていった背中を見つめたまま、龍三はしばらくその場を動けなかった。
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