第18夜 鶴のひと声

「ほらほら、そうやって囲んでるだけじゃ稽古にならないよ?」

「くっ……!」

「びびってないで向かっておいでよ」


 くすくすと挑発的に笑う壱番隊隊長に、隊士たちは順に彼に向かっていく。かけ声とともに握りしめた竹刀を振りかざし、急所を狙って渾身の一撃を繰り出す。しかしそれはいとも容易くかわされてしまい、あげく竹刀だというのに重たい打撃をその身に食らってしまう。

 負けじと何度も聖に向かっていく隊士たちだが、聖自身はまるで子どもと遊んでいるかのように余裕の笑みをこぼしながら、彼らの攻撃を軽くあしらっていた。


「あ! 巴ちゃん!」


 ふと、軽やかに身をひるがえした聖と目が合った。

 次の瞬間、彼は稽古そっちのけでいそいそと広縁にまで駆けてくると、こてん、と柱に寄りかかって巴に向かって微笑みかけた。高い位置でひとつにくくった髪が、まるで彼の心を写しているかのように左右に踊る。


「いらっしゃい。早かったね。お昼からなら迎えに行けたのに」

「おはようございます、綾部さん」

「おはよ。ね、僕の剣捌き見ててくれた?」

「おいこら聖! てめぇ稽古くらい真面目にやりやがれ!」


 巴が答えるよりも早く、玄関側から徹也の怒声が響いてくる。着流しの袖口に手をつっこみ、腕組みをしてずかずかと大股で歩み寄ってくる徹也の眉根が寄っていた。おおかた稽古の様子を見に来てみれば、聖が職務放棄と洒落こんでいたせいだろう。

 だが聖はそんな徹也の表情を見ても居住まいを正すわけでもない。


「えー、だってみんなバテちゃったみたいだし、今日はもうおしまいでーす」

「ぁあ?」


 にこにこと笑みを浮かべたまま、聖はあっけらかんと定刻前の終了を告げた。彼の指し示す先に視線をやれば、隊士たちはぜぇぜぇと息を切らしながら道場の床にへたりこんでしまっている。

 その情けないありさまに、徹也の眉間のしわがさらに深くなったのは言うまでもない。盛大にため息をつくと、彼は一番手近に座りこんでいた隊士の襟首をつかんだ。


「ったく、情けねぇ。おら! 全員立て! 木刀持ってこい、木刀! 素振り百回!」

「「「っひぃ……!?」」」


 鶴ならぬ、鬼のひと声である。微塵でも逆らおうものなら、さらに回数が増やされ足腰立たなくなるまでしごかれるのは目に見えている。

 隊士たちは悲鳴を上げる体に鞭打って立ち上がると、互い違いに列を成した。


「あーあ、かわいそうに」

「お前さんが言うなって」


 一心不乱に木刀を振る隊士たちを眺めながら、聖がのんびりとそう言った。木刀を振り下ろす隊士たちのかけ声はもはややけくそである。


「巴、いつまでそこにいる気だ? さっさと上がれ」


 くいっ、とあごをしゃくった徹也が「部屋に案内してやる」とひと言添えれば、聖がすかさず柱から身を離した。


「じゃあ僕も」

「おめぇは稽古当番だろーが。ちゃんと最後まで面倒見ろ」

「えー!」


 不満そうな声を上げる聖を置いて、巴は哉彦と龍三とともに玄関へときびすを返した。擦り硝子ガラスのはめ込まれた引き戸を開ければ、そこには当然のように徹也が待ち構えている。

 玄関の左にずらりと並ぶ背の高い下駄棚の一画を与えられ、道すがらに間取りを案内されながら、巴は中庭に視線を遣った。広い中庭には桜や紅葉の木が植わり、池の水面が静かにそよいでいた。


――隊士の部屋は二階。隊長格は一階、っと。


 中央廊下を抜け中庭に面した縁側を歩きながら、巴はたった二度訪れただけの詰所の間取りを思い返す。小広間を通りすぎ、中庭を囲むように配置された田の字造りの隊長格の部屋の前を通過する。つきあたりを左に曲がれば、そこには空き部屋がひとつと徹也の執務室と私室である。


「巴の部屋は加茂さんの隣だぜ! この前泊まったから覚えてるよな!」

「え……!?」


 まさか空き部屋をあてがわれるとは思ってもいなかった巴は、哉彦の言葉に小さくうろたえた。女中の代理で来ているだけなのに、わざわざ個室を用意してもらっていいのだろうか。

 巴があわてて「厨の小上がりでいい」と言えば、とたんに哉彦は問答無用で部屋に荷物を下ろして声を荒らげた。


「なに言ってんだよ、女の子だろ! 女中たちみたいにみんなで休憩するのとわけが違うんだからな!」

「ここには男しかいねぇんだ。加茂さんの隣が、一番安全、ってこった」

「どうせ隊長格の集会にしか使ってなかった部屋だ。お前の好きに使えばいい」


 そう言われてしまうと断るに断れない。さらに徹也から「昨日聖が率先して掃除していた」と付け加えられては、ありがたく使わせてもらう以外に道はないではないか。

 巴が観念して首を縦に振れば、それを見計らっていたかのように奥の渡り廊下を渡って一人の老人が顔を見せた。


「ほっほっほっ、よう来てくれたの、巴さん」

「組長、お世話になります」

「こちらこそ、どうぞよろしく頼むの」


 鶯色の着流しに羽織をまとった老人、輝真組組長―山城健八やましろけんぱちは、鈍色にびいろの長い毛足の眉尻を下げてやわらかくほほえんだ。


「して、巴さんや。本当に通いでなくてよいのかの? 男所帯に女ひとりでは、不安も多かろうて」

「大丈夫です。毎日通うほうが面倒なんで」

「巴って変に雑なところあるよなー」


 頭のうしろで手を組んだ哉彦に言われ、巴は苦笑いでごまかした。男ばかりの一派の面々と生活しているせいでなにも疑問に思わなかったが、本来なら躊躇すべきことだったのかもしれない。


「おぬしたち! くれぐれも巴さんに迷惑をかけるでないぞ!」


 そう組長が中庭に向かって声高々に告げれば、向かいの大広間と二階の窓から様子をうかがっていた隊士たちがいっせいに「はぁーい!!」と返事をした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る