第17夜 堂々潜入
◇◇◇◇◇
翌日、葵家での朝の仕事を終えてから、巴は唐樋町にある輝真組の詰所へと出向いていた。手には大きな風呂敷包み。中には着替えや日用品などが、小ぶりな
「よいしょ……」
重力と歩く振動でずり下がってきた重たい荷物をかかえなおし、巴は少々傾斜のある詰所への道を急いだ。
「巴ー! おはよー!」
「亀岡さん?」
大声で名前を呼ばれて顔を上げる。門前で巴が来るのを待ち構えていたのか、左右に大きく手を振っていた哉彦がすぐに駆け足で近づいてきた。
「ひとりで来たのか!? 言ってくれれば葵家まで迎えに行ったのに!」
そう言われても、巴は申し訳ないと恐縮した。彼らには朝から市中の巡回がある。それに加えて女中たちが不在であることで、掃除に洗濯とやることは山積みだろう。巴ひとりの迎えのために、彼らの手をわずらわせるわけにはいかない。
そんなことを口にすれば、哉彦はわずかに頬をふくらませて片手を差し出した。
「荷物貸せよ。坂道大変だっただろ?」
「あ、でも、重いですし……」
「いいから。かっこつけさせろって」
ぽつりとつぶやいて、哉彦は照れくさそうに巴から視線をそらした。巴が遠慮がちに荷物を預ければ、彼はふわりと表情をほころばせる。
「男ばっかだからさ。巴には不便かけちまうかもしんねーけど、遠慮なく言えよな!」
歩きだした哉彦を追いかけて、巴は感謝の言葉を口にする。そうして哉彦の一歩うしろを歩いていけば、長くはない道の先に、これまた見知った顔がふたつ並んでいた。
「おはようさん」
「おはよう、巴ちゃん」
「大江さん、峰山さん、おはようございます」
哉彦がいる時点で彼らもいるような気はしていたが、予感は的中である。
茜色の着物に白の袴の普段着姿の龍三に対して、耕平は隊服である。詰襟の上まできっちりと留めている彼は、二人とは異なり腰に帯刀していた。
「峰山さんは、これから巡回ですか?」
「そだよー」
「『これから』じゃねぇだろ。あいつら先に行っちまったぞ」
「ちょっと龍兄、ばらさないでよ」
巴が素直な疑問を口にすれば、耕平はやはり朝の巡回当番らしい。隊士たちを先に行かせて、自分は巴が到着するまでわざわざ待ってくれていたようだ。
「ほら、さっさと行かねぇと、加茂さんにどやされるぜ? 肆番隊隊長さんよぉ」
「あはは、それは勘弁だなぁ。それじゃ巴ちゃん、行ってくるね」
「あ、はい。いってらっしゃい」
そう言って笑みを返した瞬間、どういうわけか耕平はピタリ、と動きを止めた。彼はじっと巴の顔を見て、次いでゆっくりと天を見上げる。そうして青空に流れる白い雲に向かって、しみじみと息を吐いた。
「女の子に『いってらっしゃい』って言われるの、なんかいいねぇ」
「いいから早く行けよ! 巴はおれたちがちゃーんと案内しとくからさ!」
「ちぇー、ボクも非番がよかったなぁ。それじゃ、行ってくるね」
そう言い残して、耕平は大して急ぐわけでもなく詰所を離れていった。
彼のうしろ姿が見えなくなるまで見送って、哉彦が「よし!」と短く声を発する。
「じゃあ部屋に荷物置いたら、晩飯の買い出しに行こうぜ!」
「哉彦、爺さんと加茂さんにあいさつが先だろ?」
「いっけね」
しまったと舌先を出して笑う哉彦につられて、巴の顔にも自然と笑みがこぼれる。
いそいそと先頭を行く哉彦に続いて、巴と龍三も詰所の門をくぐった。
「あっちは厨の勝手口な!」
玄関に向かって右手、母屋から突き出すような形の厨を哉彦が指さしたときである。
「やあぁああぁぁ!」
「たあぁああぁぁ!」
厨の反対側から、威勢のいいかけ声がこだました。直後、重たい打音が鼓膜を揺らす。次々と続くそれは、どうやら左手にある道場のほうから聞こえてくるらしかった。
気になってわずかにそちらに首を伸ばせば、頭上から小さな笑いが落ちる。
「気になるかい?」
「あ、すみません……」
「いや? ちょうど朝稽古の時間だからな。ちっと覗いてみるかい?」
「いいんですか?」
「構わねぇよ、ほら」
龍三に背中を押されて促されるまま、巴は進路を変えて道場へと足を向けた。
一人の剣客として、輝真組の稽古に興味が湧かないはずがない。敵の実情を探るためだと自分に言い訳をしつつも、巴は内心高ぶる気持ちに静かに口角を上げる。
「今日はさ、聖が稽古つけてやってんだよ。けどあいつ容赦ねーんだよなぁ」
「やあぁああぁぁ! ぐへっ!」
苦笑する哉彦の言うとおり、道場の真ん中には竹刀を手にした聖がたたずんでいる。そのまわりを、隊士たちが一定の距離を保ってぐるりと取り囲んでいた。
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