第12夜 夕景の赤

 徹也に言われるがまま、巴は詰所を出て隣の敷地へと向かった。隣といっても、詰所の敷地自体が広いのでそこそこの距離がある。

 詰所を出て右に曲がり、上部半分が白い漆喰で塗られたなまこ壁の塀づたいに歩いていく。来たときとは反対方向である。塀が途切れるところまでが輝真組の敷地なのだろう。何度も塗り重ねられ修復されたばかりの白壁が、夕陽を背に影を落としていた。


 詰所の敷地を過ぎれば、その先は膝ほどの高さまで積まれた石の上に荒垣が続いている。荒垣の向こう側には松の木が植わっているらしく、太く立派な幹を連ねる松の奥には竹林や小さな池、苔むした岩がいくつも転がっていた。夕暮れ時のやわらかい陽射しを受けて、池の水面や苔や葉に滴る水滴がキラキラと玉のように輝いている。

 そうして右手に広がる鎮守林を通りすぎると、奥に切妻造の建物が見えてきた。どうやら詰所の隣は神社であるらしい。背の高い石鳥居をくぐれば、橙色に染まる境内から子どもたちの楽しそうな笑い声がこだましていた。


 その中に、あきらかに子どもではない見知った姿を見つける。


「あ! 巴じゃん! どーしたんだー?」

「亀岡さん、こんにちは」


 声をかけるまでもなく、子どもたちと鬼事でもしていたらしい哉彦が大きく手を振っている。周囲の子どもたちも、初めて出会う巴の存在が気になるのか興味津々で彼女のほうを見つめていた。


「みなさん、加茂さんが呼んでましたよ?」

「お! メシの時間だ!」

「ごはんごはんー!」


 近くまで寄っていき用件を伝えれば、哉彦は弾かれたように無邪気に笑った。彼の言葉につられるように、子どもたちも次々とおなかがすいたと口にしている。


「お前、加茂さんに小間使いにされてんのか?」


 子どもの一人を肩車したまま、龍三が苦笑する。背の高い彼の肩の上は、さぞや見晴らしがいいことだろう。

 龍三の台詞を肯定するように、巴はこれ見よがしに唇をとがらせ、むくれっ面になってやった。


「そーですよ、まったく……。用が済んだら帰るつもりだったのに」

「ふふっ、加茂さんらしいや」

「巴ちゃんも大変だねぇ」


 本殿の石段に腰かけて、聖と耕平は女の子たちの飯事ままごとの相手をしていたらしい。周囲には団子に見立てたであろうお手玉や、小さなおはじきが転がっている。手のひらよりも大きな八手木ヤツデの葉は、おそらく皿代わりにでもしていたのだろう。


「よーし、お前ら! 今日はもう帰んな! 母ちゃんがうまいメシ作って待ってるぞ!」

「「「はーい!」」」

「兄ちゃんまたねー!」

「ばいばーい!」

「あ! ちょっと、みんな待ってよぉ~」


 哉彦の言葉に、子どもたちは元気よく返事をした。そうして我先にと駆け出していく。通りからは、家の方角が違う友だちに別れを告げる声が響いてきていた。


「お姉ちゃんも、今度は一緒に遊ぼうね!」

「え……?」


 女の子の一人が、すれ違いざまに巴の小袖の袂をちょこんとつまんだ。


「そうだねー、今度はお姉ちゃんも一緒だよー」

「ほら、お母さんが待ってるよ? 気をつけて帰ってね」

「うん!」


 なんと返せばいいかと迷っているうちに、耕平に先を越されてしまった。勝手に取りつけられた約束だが、女の子はうれしそうに笑うと跳ねるように駆けていく。鳥居の外では彼女の母親らしき女性が、こちらに向かってお辞儀をしていた。


――お母さん、か……。


「そうだ。巴ちゃんも夕飯食べていけばいいじゃない」


 仲良く手をつなぐ親子のうしろ姿を見送っていれば、まるでいいことを思いついたとでも言わんばかりの勢いで、聖がそう口にする。


「いや、帰りますよ? わたしは」


 もちろん巴は速攻で断る。この人たちにははっきりと意思を伝えないと、そのまま勝手に話を進められてしまうのは承知済みだ。特に今夜は、帰らなくてはならない理由がある。


「えー、いいじゃんかよー。メシはみんなで食ったほうがおいしいじゃん」

「帰りが心配なら龍兄が送ってくよ?」

「おい耕平……。まぁ送ってやるが」

「いいじゃない。加茂さんにこき使われたぶん、おなかいっぱい食べていきなよ」


 はっきりと自分の意思を伝えたところで、どうやらこの人たちには無駄なようだ。もう流れに身を任せるしかなさそうである。


「ごはん食べたら帰りますからね」


 こうなったらさっさと夕飯を済ませて早々においとまさせてもらうしかあるまい。

 巴のため息を了承と取ったらしい聖は、にこにこと彼女の背を押して、詰所への道中を促した。



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