第10夜 ふたつの顔
予想外の言葉に、全員が示し合わせたかのように短い音を発する。
輝真組と交流を深めろとは、いったいどういうことだろうか。発言した創二郎の真意が読みきれない。その場にいた全員の首が、もれなく創二郎に向いていた。
「もちろん、佑介ではなく、巴として、ですが」
パタン、と閉じた扇子を口元に持っていき、創二郎はにっこりと目を細めた。
しかし次の瞬間、恭介が身を乗り出すようにして声を上げる。
「ぜってぇだめだ!」
「おや、どうしてですか?」
「輝真組と関わるなんて、危険すぎる!」
「そんなことは百も承知しています。ですが我々には、情報が少なすぎる。これは好機と見るべきでは? 彼らと関わりを持つことで、この状況を打開する策がつかめるかもしれない」
「うっ、……だが!」
恭介の言いぶんもわからなくはない。
輝真組は帝府の直轄組織である。下手をすれば間諜の嫌疑で裁かれないともかぎらない。万が一でも正体が露見すれば、彼女を送りこんだとして笠置一派が追いこまれることにもなりかねないのだ。
しかし一方で、創二郎の提案も理解できた。
現在、輝真組の取り締まりにより市中での忠軍の動きは低迷状態にある。現状を劇的に変えるような策はないに等しい。過激派の連中はあちこちで焼き討ちを画策したりしているようだが、不必要な武力での制圧を望まない穏健派の笠置一派は、今は他派閥の者たちや相手の出方をうかがっている状況である。
そんなおりに、つたないながらも輝真組とのつながりを得たことは逆に幸いであろう。これを利用しない手はない。微々たるものでもなにかしらの情報を引き出せれば、今後の策を練るのに活用できるかもしれなかった。
「創二郎、お前の言うこともわからんでもないが……。だがなぁ」
「わかりました」
「巴!?」
しぶる恭介の言葉をさえぎって響いた佑介の声に、室内が静寂に包まれる。
彼女はまっすぐに、恭介と創二郎を見据えていた。そのまなざしは、すでに心を決めたようである。
「山科さん、いいんですか?」
「幸い、おれはふたつの顔を持ってるから。そこをうまく利用しない手はないと思う」
不安そうな表情を見せながら確認してきたのは進之助だった。本来なら諜報活動は彼の担当であり、だからこそその危険性も彼は十二分に理解していた。敵の懐に身を投じることがどれほど危ない橋を渡ることになるのか、一派の中では彼が一番よくわかっているだろう。
「巴……」
「佑介です。大丈夫ですよ、笠置さん。無茶はしませんから」
「約束だぞ?」
恭介の言葉に、佑介は強くうなづく。
本当は反対したくて仕方がないのだろう。だが佑介が了承した以上は引き下がるしかない。この策の可能性と危険性を理解したうえで、恭介もまた葛藤している。
「佑介くん、裁量はあなたにお任せします。危険だと思ったら、すぐに手を引いてください。くれぐれも、深入りはしないように」
「わかっています。なにかあったら、巴はさっさと姿をくらましますよ」
創二郎の忠告に、佑介は不敵に笑ってみせた。
◇◇◇◇◇
それから数日の、空が茜色に染まるころ。藍色の風呂敷包みをかかえた巴は、ひとりで表通りを歩いていた。
――笠置さんが選ぶ着物、全部派手なんだもん。
畑仕事の帰りなのか、肩に鍬を担いだ老人とすれ違う。大きな木箱を首から下げた弁当屋の少年は、空になった木箱を眺めて満足そうに笑っていた。
遠くの空から、山へ帰る烏の鳴き声がこだましている。
さすがに帝府のお膝元というだけあって、人々は地方の田舎ほど貧困に喘いではいないらしい。
帝府の目の届かない地方の町や村では、役人や下級武士などが横暴な振る舞いをしているのだと聞く。市中においては表面上の体裁は取り繕っているようだが、やはり卑しい考えを持った人間はどこにでもいるものだ。
この市中でも、裏では役人や豪商による賄賂や癒着が横行している。権力に逆らったがために取り潰しに遭った商家や武家の話も珍しくはない。
すれ違う人々と軽くあいさつを交わしながら、巴は目的地へと急いだ。若干傾斜のある砂利道を上りきる。両側に家が建ち並ぶ通りを少し行くと、立派な門構えの屋敷の前で足を止めた。
開け放たれたままの門扉の横には、木目模様が美しい一枚板が掲げられている。そこには力強く達筆な文字で『輝真組詰所』とあった。
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