アルバート・ハレルヤ・アスランについて
ブレイトンへの使者の派遣は援軍の到着で立ち消えとなった。彼らは魔王襲来を風の噂で耳にした任侠的な義勇軍だった。少々の荒っぽいならず者の風情はあったが、実力と根性と無鉄砲さはたしかだった。
この数十人の武者集団は決死の勇み足でやって来て、村の平和な様子と清々しい空に拍子抜けした。
「これはどういうことだ? この村はこの上なく平和でないか。魔王は本当にここに来たのか?」槍の兵は怪訝に言った。
「いや、うそじゃないな。さっきドラゴンらしき不吉な影が北の空へ飛んで行った。あの禍々しさはたしかに魔王のものだ。おれは故郷であれを見た……」騎士は恐ろし気に言った。
「何で魔王軍はこんな田舎の村にわざわざ立ち寄った?」戦士は首を傾げた
「魔族の考えは人間には分からん」剣士は剣を収めた。
「思い付きや気まぐれで行動するのがやつらの本性だ」訳知り顔の武士がそう言った。
物々しい一隊はサンシャ村の広場でしばらくもぞもぞしたが、結果的に現地解散及び自由行動を決め、わらわらと散会した。ある者は町へ帰り、ある者は魔王軍を追い、ある者は村に留まった。
仏頂面の大柄な剣士が最後まで残った。使い込まれた剣と軽い鎧がこの男の人となりと職業を表した。熟練の冒険者だ。義と勇を重んずるマーヴィス・ボルトンは魔王襲来の一報に誰より勇み足で駆けつけ、誰よりがっかりした。
「弱きを助け、強きをくじく、それが勇者だ! しかし、ここには弱きもいないし、強きもいない。ここにあるのはのどかな畑とおだやかな空ばかりだ」剣士はあたりを見渡して、がっくりと肩を落とした。「いつもこれだ! 魔王軍の進軍の速さにおれたちは出遅れてしまう。魔法でぱーっと一気に飛べないかね?」
「眠いことを言うな、マーヴィ。そんなすごい魔法使いさまは現場に出ないわ。やつらは宮廷住まいだ」
「実際、魔法使いは王族より貴重だ。おれらみたいな連中とは慣れ合わんさ」
「まあ、おれたちの出番がないのはいいことだ」
肩透かしを食らった兵士たちはそんな気休めを投げ合いながら、帰路にぞろぞろ連なった。
「おれはもう少しここにいるぞ。魔族は気まぐれだ。思い付きで国を滅ぼし、気まぐれで命を狩る、それが魔王だ」マーヴィは勇ましい鼻息をやわらげて、天を仰いだ。「しかし、今日はいい天気だな。遠足日和ではある。この良さが魔族には分からんかな」
剣士の心配は杞憂に終わった。気まぐれな魔王軍はこの村には引き返さず、地の果てに消え去った。そして、彼らの行き先は不穏な曇り空だった。魔王の魔力が清々しい初夏の空さえもどんよりと曇らせたように見えた。
空前の危機が去ったあと、サンシャ村の住民と援軍の残留組が一堂に会した。百人ほどの人々はなべて無事だった。数名の負傷者は避難や混乱の最中にすっころんだり、ぶつかったりしたドジっ子ばかりだった。魔王軍から直接的な攻撃を受けたものは皆無だった。
「奇跡だ。こんなことは初めてだ」古参の兵士は驚いた。「この村には何か特別なご加護があるのか? すごい隠者がいるのか? 魔王を間近に見て無事でいられるものはまずいないぞ」
「ここは平凡な村です」村長が酒をふるまいながら答えた。「住民は農民ばかりです。畑はありますが、宝はありません。魔王を楽しませるようなものはぜんぜんない」
「そうだなあ。のどかな村だ」戦士は酒を飲みながら呟いた。「仮におれが魔王であっても、何も奪えんわい」
「それが幸いです。無用の富は妬みと争いのもとです。サンシャ村のものは大金持ちではありませんが、飲み食いには困りません。気候は穏やかで、人々は素朴です。地主や領主もうるさくない。戦士の皆さまもここで畑やりませんか?」
「うむ、おれももう少し年を取ったらな」槍の男は頭を掻いた。
「とにかく、住民の無事は何よりだ」マーヴィは言った。「村長殿、この村の平和を祝して乾杯してお開きとしよう」
「それは良い案ですな。飲める者は杯を取り、飲めぬ者は拍手をなされ」村長は酒をどぼどぼ注いで回った。
「村長、あいつがいません」村人がきょろきょろしながら言った。
「あいつ?」村長は聞き返した。
「えーと、あの地味な大人しい子です。アルフォンス?」
「アルフレッドじゃない?」
「アルカンシエルでしょ?」
「アルバート」村長はぴしゃりと言った。「アルバート・ハレルヤ・アスラン、それがあの子の名前だ」
「おお、村長の記憶力はさすがだ!」村人は手を叩いた。
「当然だ。わしがあの子の名付け親だからな」村長は胸を叩いた。
「そうか。あいつは孤児でしたっけ。あいつは自分のことをあんまり語らないからな」
「そうだ。先代がなくなって、わしがちょうど村長になったころだ。もう二十年ほど前になるか」村長は遠い目をして、昔話を始めた。「昔のサンシャ村はこんな穏やかでなかった。その年はとくに天候不順で、春先から長雨の日が続いた。そんなある日、ひさびさに空が晴れた。わしは河の様子を見に行って、そこで小さな赤ん坊を見つけた。親の姿はなかったが、その子は泣きもせず、暴れもせず、目をぱちぱちさせて、飄々とそこにおったわ。わしは貧乏だったが、情けを覚えて、その大人しい赤ん坊を連れて帰り、アルバートと名付けた。そう、その日もこんないい天気だったな」
「村長殿は詩人ですな」マーヴィは言った。「アルバート・ハレルヤ・アスラン、それはかの有名な伝説の勇者アルの本名です」
「おお、そういう剣士殿こそは学者ですな」村長は喜々と応じた。「勇者アルは子供のおとぎ話になるような英雄ですが、その真の名は古い詩や書にしか記されません」
「あの勇者の物語はおれの心の教科書ですよ。そのアルベルト殿はさぞや立派な若者でしょう」伝説の勇者の精神的な生徒は感無量にうなずいた。
「うーん、村のやんちゃ坊主より地味な男だけどなあ?」村人は首を傾げた。
「とにかく大人しい人です」主婦は答えた。「人見知りでもないけれど、おしゃべりでもない。ちゃんと挨拶をしてくれて、少し話しますが、すぐに行ってしまいます。もう少し愛想を良くすれば、女の子にもてるのに」
「まじめな青年だが、働き者ではないね」うるさ方が言った。「自分が食べる分しか作らないし、獲らない。あれでは嫁さんを貰えないな」
「ははは、耳が痛みますな。おれも独身ですよ。で、そのアル殿が見当たらない?」マーヴィはあたりを見回しながら尋ねた。
「見当たらない? いませんね?」
「いないな」
「あ、そうだ。あいつはさっき魔王とばったり出くわして、何かちょっと揉めたから、呪いとか魔法を掛けられたとか?」若者と魔王の鉢合わせを目撃した農夫がそう言った。
「む、それは一大事だ! 呪いか? 毒か? 私の毒消しを分けてあげよう。アル殿の家はどちらにあります?」
「あそこです」と、マーヴィ、村長、農夫の三人が農民Aの家へ向かった。
「アルバート殿、中にいらっしゃいますか? 魔王に何か悪さをされましたか? お顔をお見せ下さい!」マーヴィは扉をどんどん叩いた。
「返事がない」村長が青ざめた。
「裏の畑にいるとか?」農夫は言った。三人は建物の裏手にぐるっと回ったが、無人の畑と菜園しか見つけられなかった。
「おお、平和な村に被害者が出てしまった!」正義の剣士は嘆いて、扉をより激しく叩いた。「アル殿! 勇者殿! 大丈夫ですか? 私が今から開けますよ!」
一同は小屋の沈黙に嫌な予感を覚えながら、ノックと呼びかけと耳すましを繰り返して、住民の反応を待った。
農民A氏「今日はいい天気ですね」で魔王を攻略してしまう やまだたろすけ @tarosukeyamada
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