第3話

「あー! マスターまだ起きてる!」

 マスター?

 知らない声が上から降りて来た。音のする方を見ると、店の奥の螺旋階段から見知らぬ少女が二人降りてきていた。

 階段をスタスタと降りると、トテトテと小走りでやってくる。

「もう、ナツたちに『早く寝て』って言ってたのにマスターはまだ寝てないの?!」

 明るい茶色の髪をポニーテールにした女の子が言った。夜中なのに元気だ。

「マスター……夜更かし……駄目」

 茶髪の子の後ろで、真っ白の髪を長く伸ばした少女が言った。この子は落ち着いている。落ち着いているというか、物静かだ。

 二人とも私より二回りくらい小さい。そして何故か、メイド服を着ている。

「あーはいはい、分かってるよ」

 ミカさんは振り向かずにひらひらと手を振った。あなたマスターって呼ばれているの?

「あれ、この人は?」

 茶髪の女の子が私に気づいた。

 ここでようやくミカさんが女の子たちの方を振り向いて答えた。

「この子はね……うーんと、なんて言えばいいかな。あー、今日からここで暮らす子って言えば良いのかな」

「え?! そうなの?!」

 すごい。この茶髪の子、目がキラキラしている。そんなに嬉しいのかな。なんだか歓迎されている気分がして悪くない。

「……お名前は?」

 白髪の子が話しかけてくる。

「ほら、人に名前を聞くときはまず自分から名乗るって教えたでしょ」

「あ、そうだった……」

 ミカさんが親みたいになっているじゃん。

「じゃあナツから! ナツはね、ナツっていうの!」

「フユはフユ……よろしく……」

 一人称が自分の名前なタイプの子だ。

「ナツちゃんとフユちゃんだね。よろしく」

 茶髪の元気っ子がナツちゃんで、白髪の大人しい子がフユちゃんか。

「呼び捨てでいいよー」

「フユも呼び捨てが良い……」

 あら珍しい。

「じゃあ、ナツ、フユ、よろしくね」

「うん!」

「よろしく……」

 背丈が私の肩に届かないくらいの小さい子たち……なんかかわいい。

「……で、あなたのお名前は――」

「それはマスターから教えよう。この子、実は記憶を失っていてね。名前が思い出せないみたいなんだ」

 この人自分からマスターを名乗っている……。

「そうなのね……」

「えー不便じゃん!」

 あれ、なんか二人とも驚きの感情が薄くないかい? 「なんかそういうこともあるよね」みたいな軽さを感じるんだけど。え、私の記憶喪失に関する認識がおかしいの?

「二人ともそう思うよな? そうだ、せっかくだから、キミたちにこの子の仮の名前を決めてもらおう」

 ミカさんはナツとフユの頭をワシャワシャと撫でた。なんだか飼い主と犬みたい。

「わかった!」

「任せて……」

 二人はそう言うとまたトテトテと歩き出し、少し離れたテーブル席で話し始めた。

 再び二人の時間になる。

「どう? 悪くないでしょう」

 ミカさんは私に背を向けて、二人を眺めながら言った。

「何がですか」

「二人にキミの名前を考えてもらうって案」

 そんな事聞かれてもあの子たちの事何も知らないからなあ。

「あの子達のネーミングセンスによりますけど」

「ウチよりは悪くない」

「そうですか……」

 そんな凶か大凶しかでないおみくじみたいな事言われても。

「どうせ仮の名前なんだからさ、深くこだわらなくてもいいでしょう? ほらリラックスリラックス。こういう出来事は楽しまないとー」

 そんなカウンターに肘ついてナツとフユの事眺めてるけどさ、この人他人事だからって楽観視してるでしょ。

 まあ確かにここは楽しまないといけない場面なのかもしれない。……いや本当に? 名前って大事なものだと思うけど。

「あ、そういえば」

 私はミカさんに聞きたいことが一つある。

「どうしたの」

 ミカさんはこちらを振り向いた。明らかにさっきより口角が上がっている。

「あの『マスター』っていう呼び名ってなんですか」

「え? 喫茶店のトップはマスターでしょ」

「そう……ですね?」

 確かそう言うこともあるのかな。

「それだけ」

 ……え、それだけなの。何か深い理由とかあるのかなあって思ったけどそういうのじゃなさそう。

「じゃあ二人のメイド服は?」

「お給仕する人はメイド服じゃなくちゃ」

「え?」

 すっごい固定観念を持っていらっしゃるお方だあ。至極まともな事を言ってますみたいな顔をしているよこの人。

「それにウチの事を『マスター』って呼んでくれる子がメイド服着てたらなんか良くない?」

「そ、そうなんですかね……?」

 ダメだ、この人は私の感性じゃ辿り着けない所にいる気がする。普通顔色変えずにそんな事言える?

「あー、わからないかー」

 いや、そんな「良さがわからないこっちに問題がある」みたいな言い方されても。

「ちょっと今の私には」

「いずれわかるようになるよ」

 なにそれ。


 ***


「決まったよー!」

 ミカさんと話をして十五分程。二人が会議から戻ってきた。なにかボードのようなものを背中に隠している。

「お、この子の名前が決まったんだね」

 ミカさんはまた二人の頭をワシャワシャと撫でた。

「うん!」

「……決まった」

 ナツとフユは得意気な表情をしている。

 さて、どんな名前になるのか。ネーミングセンスの件を考えるとヤバい名前も想像したほうが良いかもしれない。

「じゃあ決まった名前を教えて」

 ミカさんがそう言うと、ナツとフユは私の前に姿勢良く立った。背中に隠していたボードを、二人の前で伏せる。

「……あなたは今日から」

「「クロ」」

「として生きていくんだよ!」

 フユ、二人、クロという見事なコンビネーションで私の名前が発表された。そして伏せられていたボードが開けられる。そこには名前と共に私を含めた四人の似顔絵が描かれていた。そう言えばなんか視線を感じる気がしたんだよなー。

「おおー」

 私から出た感想はこれだけだった。いや自分でもびっくり。めちゃくちゃ感想が浅い。

 だってさ、思ったより普通でツッコミどころ無いもん。もっとへんてこりんな名前が来るかと思って身構えてたのに。

「絵に十三分かかった……」

「ナツたち超大作を作り上げたよね!」

 じゃあ名前を考えたのは精々二、三分じゃん。短くない?

「ちなみにどうしてこの名前になったの?」

 ミカさんが二人に聞いた。

「黒髪が綺麗だから!」

「異論なし……」

 お、おおー。すごい安直だあ。確かに私は黒髪だけどさ。

 クロ。クロ……。んー? 案外悪くないか。なんか名乗りやすいし。シンプルってやっぱり良いよね。

「なるほどねー。じゃあクロはこの名前で良い?」

「良いですよ……ってミカさんったら早速使ってるじゃないですか」

 反応できた自分にびっくり。そして呼ばれて思ったのが意外としっくり来る。変な名前でもないしこれで全然良い気がしてきた。

「じゃあ今日からキミは『クロ』だ。わかったね?」

「はい!」

 みんなが拍手をしてくれた。みんなが私を祝福してくれている。なんだか新しい自分に生まれ変わったみたい。

 今日から私はクロ。ここに転がり込んで、記憶が無くなっている事に気づいて、そして新しい名前を与えられる。短い間に色々と起こりすぎな気がする。

 これから何が起こるのだろう。いや、ここはただの喫茶店だ。きっと平和に暮らせる。その中で記憶が戻ればそれで良い。

「じゃあ今からクロもウチの事をマスターと呼ぶように」

「……はい?」

 それはどうして?

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喫茶ミスト 時雨澪 @shimotsuki0723

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