第2話
喫茶ミストの店内は異様な空気だった。時計の秒針の音、洗い場でコーヒーカップが洗われる音、そして私の唸り声。
うう、口の中がずっと苦い。時間が経てば経つほど、口の中の苦みが増殖していく気がする。
ミカさんって、本当に喫茶店のオーナーなのかな? あのコーヒーで店が成り立つとは到底思えない。それに、なんだか後味も変だ。苦みのなかになんだかエナジードリンクのような独特の味がある。とりあえず普通じゃない。
「苦しそうだねー。水い――」
「いります」
「おお、食い気味……」
ミカさんがコップに水を注ぐ。私はコップがカウンターに置かれた瞬間に、いや、ミカさんからコップを半ばひったくるようにして水を一気飲みした。
「ぷはぁー!」
「もしかして……あのコーヒー不味かった?」
「いや、苦いのが苦手で……」
コーヒーを淹れた本人を前に不味いとは言えないよ。
「あはは、別に無理に嘘をつかなくてもいいよ」
「どうして嘘って言い切れるんですか……?」
まさか読心術?
「キミが来るより前に同じように助けを求めてやって来た人がいたって話はしたでしょ? その人達にも同じコーヒーを飲ませているから」
え、それでその反応って事はつまり……。
「ちなみにその人達の反応は……?」
「苦そうにしていたよ。酷い人は床でゴロゴロと悶絶していたかな」
やっぱり分かってて出したの……?! この人って悪魔なのかな。
「そんなビックリした顔しないでよ。可愛い顔が台無しじゃん。それに言ったでしょ。『試食担当が来た』って」
「確かに言ってましたけど……」
食べさせるものは無いって言ってたじゃん。……いやこれ飲み物か。いやそれだと適切な言葉は試飲担当でしょ。
いやそもそもの話、苦いと分かってるのにこんなの飲ませるなんて悪魔じゃないかな。人間の事なんだと思っているんだろう。
「これでもプロトタイプに比べて飲みやすくなったんだよ?」
「プロトタイプ?」
「うん。名付けて『地獄の刑罰』」
悪魔じゃなくて鬼だった。名前から悪意しか感じない。
「それ飲み物につけていい名前じゃ無いですよ」
「確かにそうかも。でもウチのネーミングセンスじゃこれが限界かな。あ、キミに飲んでもらったものに名前をつけるとしたら……『地獄の入口』ってところかな」
「やっぱり飲み物とは思えない名前ですね」
そんなもの飲ませないでほしいな。
「……あ、ネーミングセンスで思い出した。キミの名前どうしようね」
「え」
いきなり話題が変わった。いやいや、名前どうするってどういう事? どうして名付けの話に?
「何も分かってなさそうな顔してるね。そりゃそうか。じゃあちょっと想像してみてほしい。これから先、キミはどうやってお家に帰る? 家の場所はわかる?」
いきなり何の話だろう。別に名前と直近の記憶が無くなっただけで家の場所は――。
「――わからないです」
あれ、思い出せない。そんなまさか。思い出せそうな気がするのに何も思い出せない。
「はいはい、そんな青ざめた顔しないで」
「ふにゅっ?!」
下を向いていたらカウンター越しにミカさんから顔を両手で挟まれた。ちょっ、えっ、力強くない? 顔も近いし……そんなに目線を合わされるとちょっと恥ずかしいというか……。
「よく聞いて。キミは今日からここの子だから」
「……はい?」
なんかすごい重要な話がされた気がする。ミカさんの言葉が飲み込めないよ。
「キミの記憶が戻るまでここに置いてあげるって言っているの。いや、ここにいなさい」
ミカさんは私の顔から手を離すと、そう言ってカウンターを出る。
「そんないきなり――」
いきなり言われても困る。別に嫌じゃないけど、心の準備とかそういう問題がある。そう言おうとしたところで、ミカさんの指が私の口元に触れた。
「わかるよ、キミの言いたい事」
ミカさんは私の口元に指を置いたまま、私の隣に座った。そして、そのまま言葉を続ける
「でもさ、さっきも言ったけどキミは一人でお家まで帰れないじゃん」
「はい……」
返す言葉がない。家の場所がわからないから。
「そんな子をいきなり外に放り出すなんてウチにはできないよ」
「でもミカさんの迷惑になりませんか?」
「大丈夫。迷惑になんてならないよ。だって私の自己満足だから」
頭を撫でられる感触がする。背中に手を回されている。いつの間にか私は優しくハグされて撫でられていた。
とても安心する。他人の体温がとても温かかった。
よくわからないけど、なんだか懐かしいような気分。ずっと、こうされたかったような……。
ああ、しばらくこのままでいたい……ん、店の奥からなにかドタバタと音がする。
「あー! マスターまだ起きてる!」
知らない声が上から降りて来た。音のする方を見ると、店の奥の螺旋階段から見知らぬ少女が二人降りてきていた。
……いやホント誰。
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