添い寝

ヒニヨル

うん、何も考えていないよ。

 窓の外を眺めることは好き。

 この、直接的ではない一歩引いたような心地は、私をひどく安心させてくれる。

 お日様はきっと私のことが好きでは無いから。こうして、ひっそりと。私は今日も教室の片隅で、朝の陽光をガラス越しに浴びている。


 私はだれかと関わっている時、会話のさなか、ツンと一筋の冷や水を感じることがある。言葉で説明すると、自分が「少し違う」とか「変わっている」とか、陳腐なものになってしまうからあまり言いたくは無い。

 ただ、それは疎外感のような悲しみにも似ている。


 考え方なのか、感じ方なのか。もしかしたら外見や、生活環境、今までのごく平凡な人生のどこかに由来しているのかもしれない。

 私はこの感覚が嬉しくもあり、時に心を苦しませる引き金になったりする事を知っている。


 いっその事人間では無くて、もっと短絡的に物事を考えられる動物——虫、虫は嫌いだから——小さくて生きる事だけに精一杯な「単細胞生物」になれたら、良いのかもしれない。

 生まれ変わったら単細胞生物がいい。

 でも、やっぱりどこかで、人間になりたいって思うのかな……。



 私が窓の外を眺めていると「名は体を表すって言うけれど」と、いつもの愛らしい声が聞こえた。私が振り返ると、声の主はふふと笑った。

「本当にその通りだよねぇ、“マドカ”」

 私の下の名前を呼ぶのは、校内では一人だけだ。

「おはよう、ハシコ」

 パンの耳が好き。電車の座席の端っこが好き——名字がハシモトだから、“ハシコ”って私が付けてあげた。

 ハシコは眼鏡にかかった髪を耳元へ流しながら、嬉しそうな表情をした。彼女はこの名前を気に入っているらしい。


「おはようマドカ。また朝から窓の外を見ていたの? 席替えをしたらその癖は直るかと思ったけれど……まさか私の席に座って、続けるとはね」

 眼鏡の奥で悪戯っぽく微笑むと、ハシコは手で追い払う仕草をしながら言葉を続けた。

主人あるじが来たぞよ、どいたどいた。席を譲れいッ」


 私たちはお互いの顔を見合わせて、静かに笑いあった。一緒にいるだけで楽しいんだ。何となく。楽しい事が無くても。



 席替えをしてから、授業中にハシコの姿を見られなくなった。以前の席からは、彼女が必死に板書している様子を後ろから観察できたのに。私は彼女の姿を、視界の端にでも感じているのが好きだった。


 春に赴任してきた国語の先生は、うまく授業内容をまとめきれていなくて。黒板に書かれた事には不必要なところが多すぎる。

 一度、私は要約したものを学期末に提出した事があった。すると先生に「授業中寝ていたのか?」なんて言われて、満点にはしてもらえなかった。

 仕方がないから、先生のあまり綺麗でもないその字を書き写すのだけれど、やっぱり途中で飽きてしまって——いつもハシコの、書道を習っていた彼女の美しいノートを借りて、休み時間や放課後に有意義な時間として片付けている。


 放課後の私たちは、いつも一緒に帰宅する。二人とも学校でクラブに属していないから、自由時間を共有している。

「今日は何をしようか?」

 ハシコが私に問う。私は彼女の方から流れてきた、鼻孔をくすぐる金木犀の香りを吸った。どことなく、ハシコの雰囲気にその甘い匂いが合っているように感じて、私の心臓がほんの少し早くなった。

「ハシコと一緒に、ゆるゆる過ごせるのだったら。何でも良いよ」

 私の言葉に、彼女は小さくため息を吐く。

「マドカはいつもそうだね。ちょっとは何か考えなさいよ。もう」

 ハシコの膨らませた頬を、私は指先でツンツンする仕草をした。彼女は怒っているわけではなくて、何も考えていないようにみえる私を面白がっているのだ。


「そしたら、ハシコのうちに行きたい」

「好きだねぇ。私のお家」


 彼女の家は学校から近い。本当は駄目だけれど、帰宅せずによく寄り道をする。お互い家族は夜にならないと帰らないから、私たちは宿題をしたり好きな事を個々にしたりして過ごしていた。


 中でも私には、気に入っている事があった。それは一緒に眠ること。ハシコの部屋で、窓と薄いレースのカーテン越しの、お日様の光を浴びながら。

 部屋の真ん中にあるテーブルのそばで、猫みたいに丸くなって横になったり。ハシコの小さなベットに、ぎゅうぎゅう押し合って——くすくす笑いながら目を閉じだり。


 彼女の髪や、肩や、腰が、わずかに重なるのを感じて、私の心は小さな幸せを覚えた。そっと視界を遮断すると、彼女のささやかな呼吸が聞こえる。

 こんな午後はあと何回続くのだろう。


 もし、ハシコに今の私の気分を説明して欲しいと言われたら——ふかふかのパンケーキの上にのせられた感じだって言う。

 パンケーキにのせるバターは私、メイプルシロップはハシコだ。私たちはあたたかなパンケーキの熱でとろけて混ざり合う。そんな気分だって。


 そういえば小さい頃、親戚のおじさんの家で、虎が木のまわりをぐるぐる走っているうちに、バターになってしまう物語を読んだ。

 もしかしたら私も、この心地の良い放課後を何周も巡っているうちに、バターみたいに溶けてしまうのかも。そうしたら、私とハシコは誰かに食べられてしまうまで、ずっと心地よく重なった時間を過ごせるのかな。


 私は、目尻から耳の方へと流れ落ちる雫をそのままに、次第に、意識が遠のいていくのを感じた。

 

「マードーカーッ」

 耳のそばで声がして、私はゆっくりと目を開けた。すぐ側にハシコの顔がある。

「マドカ、もうすぐ日が暮れちゃうよ。そろそろ帰る時間だよ」

 優しく促す彼女の声に頷くと、私は気づかれないように目元の湿り気を拭った。


 ハシコは私よりも先に起きて、色彩検定のテキストを読んでいるようだった。彼女は頭の中には、将来の夢、それに向かうビジョンがある。

 私はあくびを一つして言った。

「今日も楽しかったよ。ありがとう」

「マドカ、私たちはすぐに大人になっちゃうんだよ。何がしたいのか見つかった?」

 心配そうなハシコの顔を見ながら、私は首を横に振った。


 私は今この時が永遠に続けばいいなって、そう思っている。彼女はそんな事を望んではいないと思うけれど。


「私はもうちょっと、ハシコの部屋で眠っていたいよ。出来るならこのままずっと」

 私は冗談っぽくそう言うと、ハシコのお気に入りの、大きなクッションに顔をうずめた。

「もう、本当に、マドカは何にも考えていないんだね」

 ハシコが笑っている。

 私はクッションに体を預けたまま、

「うん、何も考えていないよ」

 と微笑んだ。



          Fin.






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

添い寝 ヒニヨル @hiniyoru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画