二兎追う者の皮算用

中田ろじ

二兎追う者の皮算用

 スマホの画面のヒビがちょうど、ラインの文字と重なっている。そのままスクロールすればいいのだけれどそんなことより早く文字を打ってしまう。相手の反応などお構いなしにもう一文を送った。


【だから高橋さんが好き】


 ラインでの告白を情けないと思うよりも、面と向かう恥ずかしさの方が耐えられない。文面での告白は成功率がぐんと下がると聞いたことがあるけれど、とりあえず直人は自分の気持ちに区切りをつけたいと思っていた。好きな女の子に告白した。その勲章が欲しかった。

 相手からの返事は来ない。既読になっているということは、返事を考えているということだ。このまま続けて次の文章を打ち込むべきだろうか。直人も考える。

 付き合ってください。

 気持ちを伝えられただけでいいんだ。

 咄嗟に頭に浮かんだ二つの文言。前者は背水の陣を感じる。後者は完全に負け戦。そして、直人が挑んだのは紛れもない負け戦だった。

「高橋が好きなの? アイツ彼氏いるぞ」

 直人はその言葉を聞いたとき何を思ったか。告白しなくて良かったと安堵したのか。彼氏がいることに心底落ち込んだのか。その時の心情を彼は、何故だか思い出さないようにしている。心の膜を幾重もつくって、片隅のいつでも忘れていいフォルダに保管している。しかし、そういう出来事に限って思いは色褪せない。


【ありがとう嬉しい】


 ずっとラインの画面を呼び出したままだったので、すぐに既読マークがつく。そのことに直人はひどい恥じらいを覚えた。余裕の無い慌てている男がいまの自分だ。

 ベッドにダイブする。うつ伏せで何度も文面を確認する。そこでようやく胸の高鳴りを感じられるようになった。

 俺は。俺は。好きな女の子に告白が出来たんだ。

 直人がよくつるんでるグループでは、何故だか告白することが流行っていた。青春を謳歌したいと誰かが言ったことで始まったこのブーム。いつも集まる四人組の中、先陣を切って告白した拓弥は見事に玉砕した。その後も二人三人と告白をして、いまのところ一勝二敗。最後に渡ってきたバトン。直人は誰に告白するのか。そして成功するのか否か。メンバー全員がその動向を見守っている。

 スマホが通知音と同時に震える。拓弥からだった。


【明日の告白楽しみにしてるから】


 直人以外に誰もいない部屋の中では彼の微笑だけがうわついた空気を醸し出していて、こことは違う世界が繰り広げられていることを実感させられる。

 直人はすぐに反応した。


【期待通りの結果見せてやるから】


 自信がついた。高橋さんへの告白によって半ば浮かれていた直人は、余裕綽々な返信をする。ついでに勢いよくクマがグットと親指をあげているスタンプも追加した。

 直人の余裕は根拠がないわけではなかった。己のにやつく口角を更に広げるため、坂本さんとのトーク画面を開く。そこには坂本杏奈と直人のやりとりが記録されていて、最後の文言は坂本杏奈のもので終わっていた。


【話があるから 明日の放課後教室に残ってて】


 直人は思わずその文字を撫でる。残ってて。話が。放課後の教室。そこには告白への順路が書かれているかのようだった。

 本命の高橋さんには振られることが分かっている。負け戦と分かって挑む告白ほど辛いものはない。そんななか、最近とみにラインのやりとりを行っている坂本杏奈から意味深なメッセージが届いた。その時の直人の盛り上がりようと言ったら、母親が彼の部屋に怒鳴り込んできたくらいだった。

「告白するのは当然だけどさ。告白されたらもう、最高だよな。ヒーローだよな」

 拓弥たちメンバーで話していたこと。そもそも青春を成立するための必須条件が告白だ。だからもちろん告白をするのではなくされるのもアリ。むしろ大いに盛り上がる。これまでの三人はおしなべて告白する側だった。その中で、直人だけがされる側に回れるチャンスがやってきた。

 盛り上がることまちがいなし。直人の照準は既に明日の放課後に定まっている。


【だな ちゃんと残念会してやるから】


 拓弥の言葉。彼だけでなく他のメンバーも、直人は高橋さんに告白すると思っている。そのことがやけに痛快だった。だしぬくというわけではないが、優越感を覚えるのは無理もないことだった。

「残念でした。するのは祝勝会だから」

 ひとりごちて、坂本杏奈のトーク画面を呼び出す。


【なんかあんの?わかった明日ね 待ってる】


 あくまで無垢な少年を演じているが、内心は恋人生活が始まるカウントダウンが始まっている。


 確かに。最近坂本杏奈に積極的にラインをもらっているのは事実だった。それもそこまで必要不可欠な内容でもない。ラインに必要不可欠を求めるのも無理はあるけれど、言ってみれば男女の仲にしては『いい感じ』の雰囲気のラインが続いているのだ。


 これで自分にも恋人ができる。明日何着て行こうかな。いやいや制服に決まってる。そんなくだらないひとりツッコミで悦に入っているとスマホの通知音。


【でも結果が分かってても好きな人に告白する勇気ってのはすごいよ】


 拓弥からだった。直人はその文面を読んでだから相手は違うんだよ、と思ってそこで。ふと引っかかりを覚えた。何度か文章を読み直す。『好きな人に告白する』。

 いままさに直人がやったことだ。高橋さんへの返事はまだしていない。急ぐのもどうかと思ったからだ。負け戦だから。

 負け戦だから?

「……俺はすごくヒドイことをしているのだろうか」

 思わず一人呟く。

 好きな人におざなりな告白をして、好きでもない子からの告白を受けようとしている。

 直人の胸が高鳴った。違う意味で早鐘を打つ。

それは男の矜持の問題か。あるいは人としてのバランス感覚の問題かもしれない。いやしかし。打算あっての人間関係。世渡り上手。損得勘定。いやしかし。色々な言葉が駆け巡る。


【実は彼氏とケンカしちゃったんだよね】


 もう来ないと思っていた高橋さんから返事が来た。そしてその文言は、直人にチャンスを与えるものでもあった。

 それは福音か警告か。

 高橋さんから詳しく話を聞くべきか。さっさと会話を終わらせるか。告白されるという男の勲章をひっさげるため、好きではない女の子と恋人関係を結ぶか。

 いっそのこと明日の坂本杏奈からの告白を断って。いやでもそれはもったいない。

 よし。ここは明日。高橋さんのケンカの相談に乗るふりをしてうまい具合にこっちのチャンスを窺うために……いやでも明日は坂本杏奈に放課後呼ばれているからそこで晴れてとりあえず恋人になっておいて妥協の次善策ということで本命を…………。

 スマホの通知音がする。その音が本当に鳴ったのか直人の頭の中で鳴っているのか、彼にはその判断がつかない。




【了】

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二兎追う者の皮算用 中田ろじ @R-nakata

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