図書室でふたり
うみべひろた
図書室でふたり
放課後の図書室って、凄い解放感。
だって、好きこのんで図書室に来る人って、ほとんど居ないし。
それに、小学生の頃は5時を過ぎたら早く帰れって言われちゃって、長居出来なかったけれど。
中学になったらみんな部活をやってるから、6時まで居ても許される。
図書委員の仕事は4時半で終わるけど、それ以降はずっと本を読んでいられる。こんなに広い場所で。
家とは違って、落ち着いて読めるから。それが凄く嬉しい。
図書委員になってよかった。
のだけれど。
「ねえ詩織ちゃん、おはよう! 遅れてごめんね!」
って、とても元気の良い挨拶とともに入ってきた人。
この人だけが、私の悩みの種だった。
「こんにちは川村さん。図書室では静かにしたほうがいいと思うよ」
何度も言ってきた言葉だけど、私はめげずに今回も伝える。
川村芽衣さんは、同じクラスの図書委員。
クラスでは全然話したことなかったけれど、何故だか二人で図書委員をやることになってしまった。
私以外に手を挙げる人がいなかったから。
「うん! 何度も言われたから大丈夫! 覚えてるよ! 中を確認したけど、詩織ちゃん以外誰もいなかったから!」
再びの大声。
というか、小気味よい返答。っていうのかな。
こんなにはきはきしたしゃべり方をする子ならば、先生にも先輩にも好かれそう。
じゃなくて。
「一応私がいるんだけど……」
小説を読んでるときに大声を出されると驚くよね。
「詩織ちゃんなら大丈夫! 図書委員だから!!」
謎理論。
どう言い返すか迷っているうちに、川村さんはカウンターの中へ走って入ってくる。
明るい色のショートボブ、膝上5cmのスカートと白いショートソックス。
まさに運動部って感じの川村さんは、確か実際にバスケ部だったはず。
ただ縛っただけみたいなポニーテールと、膝下丈のスカートに紺ソックス。
そんな私とはどう見ても真逆だし。
合わないことがもう目に見えている。
カウンターは向かって左側と正面を壁みたいな机で囲われていて、後ろはそのまま壁。
結構圧迫感があるし。
二人だと微妙に狭い。
だから普段であれば、返された本でも片付けようかなとか、本棚の中身を整理しようかなとか。
カウンターを出たくて、そんなことを思うのだけれど。
今日に限っては全然片付ける余地がない。
っていうか、川村さんとペアで放課後を任されはじめた先週から、ずっと同じ展開だったから。
何度も片付けてしまって、やる場所が残ってないのだ。
川村さんはカバンからスマホを取り出して、鼻歌を歌いながら眺めている。
窓に近い入り口側。そこが川村さんの指定席みたいになっている。
いつも遅れて来るから。
手を伸ばせば触れるくらいの位置にいるのに、本ばかり読んでて何も話さないのも感じが悪い気がして。何か話したほうがいいのかな。
「ねえ川村さん」
「んー、どうしたの? 詩織ちゃん」
大きな目が私に向けられる。この人の目は思ったより大きくて、毎回のように驚かされる。
「いつも入ってくるとき、おはようって言うでしょ。」
「うん。言うねー」
「あれっておかしくない? もう夕方だよ。全然早くないよ」
我ながら変な話題。でもそれしか思いつかなかったのだ。
そんな私のどうでも良い質問に対して、「確かに……」と言いながら川村さんは考え込んでしまう。
顎に手を当てて、ショートボブの明るい色の髪をわしゃわしゃと触りながら。
何か本当に、小動物みたい。
「部活に行ったとき、いつもおはようだったからさ。全然考えたことなかった! 業界用語ってやつ?」
あはは。と笑う川村さん。
「でもさ、こんにちはって、何か硬い気がするんだよねー。お嬢様みたい。」
「こんにちは、ご機嫌いかが。みたいな感じかな」
「そうそう! 詩織ちゃんが言うとすごく自然なんだよね。肌の色が凄く白いし、髪だってほら、肩まである黒髪がお嬢様感! だけど私が言うと、何だろう、むず痒い」
「そんなものなのかな……」
「それに、その日最初に話すんだったら、やっぱりおはようじゃない? うちらの今日はこれから始まるんだよ! って気がして」
私たちの今日の関係はこれから始まる。
なんか、そのセリフの方がむず痒くない?
そういうことを臆面もなく言えるこの人が苦手。
だけど。
ちょっと今の言葉は好きかも。
私たちの今日の関係はこれから始まる。
「さてと、さっさと片付けちゃおーっと」
川村さんは、カバンをごそごそと探し、教科書とノートを広げはじめる。
「え……? 勉強……?」
「詩織ちゃん、その微妙に引いたような顔は何なの……」
「いや……関心? 感動? 真面目だなぁって思って。い」
「い?」川村さんの視線が空中を彷徨って、そして思い当たったのか、おぉという表情をして笑う。「詩織ちゃん、意外にって言おうとしたでしょ。酷いよー。」
せっかく途中で思い直してやめたのに。
「詩織ちゃんの中で、私ってどういう人設定になってるの? 教えてよー」
座っている椅子ごと近づいてきて、身体をぐっと寄せてきて。私の目を覗き込みながら言う。
押しが強い。
そして無駄に近い。
少しだけオレンジの匂いがする。
多分これは、川村さんが体育のあとによく使っている制汗剤の匂い。
私は使ったことが無い、ちょっと大人びた香り。
「えーっと……何だろう、元気な人?」
図書室の中でこんなに大きな声を出さなくても、っていうクレームを、最大限オブラートに包んで言う。
「あとは?」
さらに近づいてくる。
暖かい呼吸が頬に当たる。
「……挨拶が元気な人、かなぁ」
これもオブラート。
「元気しかない人扱い!」
川村さんは笑って、近づいてきた勢いそのままに、私にそっとハグをする。
え――なんで?
と思った次の瞬間。
背中をぱんぱんと叩かれた。
痛い。
「うん。詩織ちゃんの期待に応えるため、私は元気キャラを貫くよ!」
何それ。
そうじゃないよ川村さん。
せめて図書室ではそのキャラ、封印しようよ。
それ以外のキャラなら何でもいいよ。
何か期待してたのと違うよ。
っていうか、あれ? 期待してたって何をだっけ?
何だか頭が混乱してしまう。
ただ、ハグをされた瞬間の、川村さんの身体のやわらかさ、暖かさ、オレンジの香り。
そんなものたちが、私の頭の中でごちゃごちゃになって、少しの間、離れてくれない。
「じゃあ私は宿題を片付けちゃうよ」
「……宿題」
「うん。宿題。ここでやっちゃえば、帰った後ずーっと遊んでられるじゃん。分からないことがあったら詩織ちゃんに教えてもらえそうだし」
確かに。宿題はやるよね。自発的に勉強なんてやらないよね。
しかも、分からない時に教えてもらいたいからここでやるって。
ちょっと力が抜けてしまった。
だったら、さっきまでの一連の流れも必要なかったんじゃ……
分からなかったら教えてね、とは言っていたけれど。
川村さんはすいすいと数学の問題集を解いていく。鼻歌なんか歌いながら。
私よりも数学が得意なんじゃないか。
「どぅー、りーべきんですこんむ、げーみとみーあ、」
途中から歌詞が入り始めた。
「がーしゅぴーでるすぴーりぃ、いっしゅみっでぃーあ」
謎言語。
川村さんのテンションが段々上がっていくのが手に取るように分かる。
だって、声が凄く大きいし。
外を誰かが通りがかったら、合唱部と間違えられるんじゃないの?
図書室に来た人が「なんだ合唱の練習中か」って帰ったら申し訳なさすぎる。
っていうか、川村さん、あなたの後ろの壁に思いっきり「私語禁止」って書いてあるよ。
傍から見たら、多分、とてもシュールな光景。
注意したい。
とても注意したい。だけど気になる。
この曲、絶対どこかで聞いたことある。
何か凄く懐かしい感じがする。お母さんが見ていたテレビとかかな。
「まいねむったーはったーしゅとぅるらーへばんっ」
聞いてれば絶対に思い出せる気がする。
思い出したら注意しよう。
止めた上で「何だったの?」って聞くのは何だか悔しい。とても悔しい。
「だだだだだだだだだだだだ」
え?
「まいんふぁーてる、まいんふぁーてる」
最近音楽の授業でやった奴だった……!
分かったら分かったで、ものすごく悔しい。
なんでわざわざ、こんなもののために集中して聞いてしまったのか……
「だだだだだだしゅばばだだだ」
ボーカルとピアノを一手に引き受けるのは無理があるんじゃないかな……。
「さいいるるるーいひぶらいべるるるるいひ、できた!」
川村さんは唐突に問題集を両手で抱えて立ち上がる。
突然のことに、身体がびくっ!と避けてしまう。
「そんなに避けなくてもいいじゃん、なんか不審者みたいな扱いでちょっと凹むよ?」
「あぁ、ごめん、ちょっと突然のことで驚いちゃって」
多分、誰が見ても不審者だと思います。
「あはは、ごめん。急に立ち上がったら驚くよね。宿題が一つ終わった解放感が隠し切れなかったよ」
唐突なのはそこだけじゃないし、もう少し隠すものはあるだろうし。
「ねえ詩織ちゃん、図書室って勉強が凄くはかどるね!」
「あぁ……うん、そうだね。私もそう思うよ」
「広いから声がめっちゃ響く! 勉強しててとても気持ちいいよ!」
「いや、多分、それ図書室の使い方間違ってるんじゃないかな」
思わず口に出してしまった突っ込みで、きれいにオチがついた気がするので。
私も宿題をやることにする。
「あー、国語の宿題! 私もそれやらなきゃ!」
引き続き賑やかな人は、とりあえず無視しておくことにする。
国語の宿題は、今日授業で初めて読んだ「少年の日の思い出」という短い小説の、初見での感想を書くというもの。
「長すぎてよく分からなかったけどさ、エーミールがすっごくやな奴だったんだよねー。」
川村さんは言った。
うーん。確かに周りの人たちはそう言ってたけれど。
「私は、エーミールがすごくかわいそうだった」
「あのエーミールが?」
「うん。」
「『そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな』のエーミールが?」
「そうだよ。だって、物凄く大切な蝶だった。すごく丁寧に扱ってた。それを欲しいからって勝手に壊されて、でも代わりなんてどこにも無かったんだよ。すごく悲しかったんじゃないかな。怒りたいけれど、怒っても何にもならない。無力感だよ。多分エーミールが感じていたのは。」
無力感。
そう。「私語禁止」の張り紙の前で全力で歌われるのと同じ気持ち。
「ん-……」川村さんは教科書をぱらぱらとめくる。
唸ったり、頷いたり、おー、と声をあげたりしながら。
「確かに言われてみたらそんな気がしてきた。私、エーミールのことを誤解してたよ!」
ごめんよエーミール、と、何故か教科書に向かって手を合わせる川村さん。
まあいいや。それを書けば私の宿題は終わり。
物語をちゃんと読んで、登場人物の気持ちを理解しようとするのは慣れてるよ。
ずっと本ばかり読んでたし。
と思ったら、川村さんがさらに話してくる。
「ねえ詩織ちゃん、クジャクヤママユってどんな蝶なんだろう」
「クジャクヤママユ? 私も見たことないよ。二人が欲しがってるくらいだから、凄くきれいなんじゃないの?」
「見てみたい。私もクジャクヤママユ、見てみたい」
何故か俳句みたいなリズムで詰め寄ってくる。
この街にエーミールが住んでいたら、間違いなく彼のクジャクヤママユは、今日粉々になる。
それくらいの迫力だった。
でも確かに。
言われてみれば、私もそこだけは分かってなかった。勝手にオオムラサキみたいなのを想像してた。
「確かにちょっと見てみたいかも。せっかく図書室にいるんだから、図鑑で調べてみようか」
「うん、そうしよう! 図書室を探検しよう!」
なんでこの人は目的をすぐ見失うのか。
日本十進分類法の中で、図鑑は0類だってよく言われるけど、0類にあるのは百科事典だから違うんだよ。
今回は蝶の図鑑が欲しいから、自然科学の4。動物だから48。昆虫だから486。
みたいに川村さんへ説明する。
「調べやすいね! 検索しなくてもすぐに出てくるなんて。さすが詩織ちゃん、尊敬しちゃう」
そんなふうに感動していたけれど、これは最初の日に司書の人も言ってた情報だ。
私よりも図書室を尊敬してもらって、ルールくらいは尊重してもらえると嬉しいのだけど。
見つけた図鑑は、上から2段目。
川村さんは思いっきり手を伸ばして取ろうとするけれど、身長が微妙に足りていない。
「おぉー! あとちょっと! 頑張れ! 頑張れ私!」
最終的にはジャンプして取ろうとする。
「えっと……そこまで無理しなくても……」
後ろで見ている私は気が気じゃない。本を落としそうだし。
スカートがふわふわと、風をはらんでめくれ上がる。細い脚がちらちら見える。
「ねえ詩織ちゃん! とりゃ! キリンの首が! 長くなった理由! 知ってるかな!」
「いつだったか、先生が言ってたやつでしょ。高いところの草を食べるため」
「うりゃ! そうだよ! これを取りたくて、私の身長も! 伸びるはずだりゃーーー!」
「いや、あの話って、何百年かけてって話だから……多分身長が伸びるのは川村さんの玄孫とかそういう人たちだよ……」
そんな会話をしているうちに、本がようやく取れる。
ぎっちぎちに詰まっているから、周りを巻き込んで落ちそうになって、
「川村さん、危ない!」
落ちそうになっていた本を、とっさに全部押し戻す。
「わわわわわわ」
川村さんが思いっきり焦った声を出したけれど、早く気づけて良かった。本は落ちてこなかった。
「危なかった……だから川村さん、図書室では静かにしないとって」
お説教をしようとして気づいた。川村さんの位置がとても近い。
肩越しに本を押し戻したから、後ろから思いっきり抱き着くような体勢になっていた。
私の目線よりも下にある川村さんの明るい髪。オレンジみたいな匂いがした。
確かに小動物みたい。
「あーごめん! 離れるね」
なぜか私が謝ってしまう。
「あー、うん。ありがとう、詩織ちゃん」
なんか変な空気になってしまう。
「えーっと、川村さんって身長何センチ? 思ったより小さくて驚いた、っていうかそうじゃなくて、2段目の棚に届かない人を初めて見たっていうか何ていうか」
なんでだか焦ってうまく言葉にできない。
「身長……140センチくらいかな……四捨五入したら」
細かい部分は企業秘密だよ。もしかしたら伸びてるかもしれないし。
そう言って笑った。
図鑑は私が取ることにした。
2段目くらいなら、手を伸ばせば普通に取れる。
「次からは危ないことしちゃダメだよ。高いところが無理だったら私を呼んでね」
「あはは……そうだね」
気を付けます。川村さんは殊勝にそんなことを言う。
クジャクヤママユ、ヤママユガ科の蛾。
図鑑にはしっかりと載っていた。
「これは……」何と言ったらよいのか分からないビジュアルだった。
「ん-……すごく派手なやつだね。パリピ感が凄い」
川村さんが言うように、すごく派手。オオムラサキみたいな清楚な蝶とは正反対のビジュアルだった。
「なんかこれ、幼虫に羽根が生えたみたいで。絶妙に昔の姿を隠しきれてないような……」
「大学デビューしたてのパリピかな?」
「私は、これだったらいらないかな……」
「これを欲しがられて破壊されたエーミール君……隣人があの子じゃなかったら無事に今日もクジャクヤママユを見ながら暮らせていたのに。安らかに眠れ」
図鑑に向かって手を合わせる川村さん。
「死因: 蝶を破壊されたこと。みたいになってるけど、世界観は大丈夫かな」
私も、思ったことを口に出してしまう。
「でも良かった。あの小説の意味がちゃんと分かった気がするよ。詩織ちゃんのおかげ」
「私も、図鑑で調べようなんて思わなかったから。勉強になったよ」
「ありがとう。もし分からないことがあったら詩織ちゃんに聞こーっと。なんでも答えてくれる気がする」
「でも図書室では静かにしないとだめだよ」
「誰もいなかったらいいじゃーん」
でも確かに、川村さんがいなかったら小道具みたいなクジャクヤママユのことなんて調べようとも思わなかっただろう。
川村さんがいたから、小説の世界にしっかりと色がついたような。
と言ったら言い過ぎかな。
まぁ、川村さんには言ってあげないけどね。
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