第二十三話『逃避行の誘い』
大図書館の隠れ家。その出口は入口とは全く別の場所に繋がっている。偶然出る所を見られて、隠れ家の入り口を特定された、なんてのは間抜けすぎるからな。
用心深く出口から王都の路地裏に出ると、ローブをかぶり直し、フォルティノに先導を頼む。曲りなりにも僕はお尋ね者だ。可能な限り目立つのは避けたい。
「よぉ。あんな感じで良かったのか?」
「上出来だフォルティノ。――これでマーベリックは、本心からではなくとも、最低限の協力体制は築いてくれる。これでも僕は彼女の聡明さと、利益に敏感な所は信用してるんだ」
「いいやそうじゃなくってよ」
フォルティノは歩きながら、一瞬だけ僕を振り向き小声で言う。
紫の瞳が、疑念の感情を浮かべていた。
「あんな脅す感じで良かったのかって事だよ。お前、最近はああいうの避けてたじゃねーか」
まさかフォルティノからそんな心配をされるとは。いいやむしろ流石というべきか。彼女じゃなければ、気にも留めなかっただろう。
フォルティノは今でこそパールと相対する地位を築き上げているが、大元の性根は全く違う。真逆と言って良い程だ。
果敢で暴走しがちなパール。そうして、臆病で立ち止まってばかりだったフォルティノ。
「僕も出来るなら、ああいった真似はしたくない。だが、今の僕に出来るのはああいう交渉だけだ。条件がどれほど妥当でも、交渉相手に見くびられればそれだけで全ては回らなくなる」
交渉というものは、相手次第で条件も大きく変化する。相手が強大であれば、条件はより公平に。相手が格下であれば、条件はより不公平に。人が自己利益の最大化を止められない以上、これは交渉の絶対条件。
先ほどの交渉においてもそう。マーベリックが僕の足元を見るならば、僕も彼女の足元を見なければならない。
「はんっ。あーあー、そうだったよ。お前は昔からそういう奴だった。人の弱みに付け込むのが得意だったよなぁ」
大仰にため息をつく素振りをして、フォルティノが不機嫌そうに唇を尖らせる。
ここでようやく理解する。今の一連の話は、彼女なりの抗議だったのだ。そんなやり方では、昔と同じ事を繰り返すぞ、と。
両手をあげながら言葉を返す。
「取柄がそれしかなくてね。やり方には気を付けるさ。昔から君には言われてるからな」
「……」
ぴたりと、先導するフォルティノの足が止まる。追手や、賞金稼ぎがいたわけではない。もしそんなのがいれば即座に彼女が息の根を止めている。
むしろ寂しいほどに人がいない路地裏で、彼女は無理やり言葉を漏らした。
「なぁ。その、よぉ」
「どうしたんだ、さっきから歯切れが悪いな。君らしくもない」
フォルティノは僕に背を向けたまま、何でもない事のように言う。
「――今からでも、逃げちまわねぇか? どうせ全員すぐ忘れるぜ。自分とお前だけが、この世界から消えたってよ」
「フォルティノ?」
無意識に言葉を返す。
冗談のように聞こえて、極限の緊張と恐怖を交り合わせた声だった。だからこそ、顔を見ずとも彼女が本気だと理解出来てしまう。
「だって、変な話じゃねぇか。何でお前がまだ戦わなくちゃいけない? もう良いだろ。エルディアノもギルド連盟も、そんなに大切か? 別に良いじゃねぇか、欲しい奴がいるならくれてやれば」
くるりと振り向いたフォルティノの表情は、切実な感情に満ちている。今にも膝を突いて泣き崩れてしまいたいのに、それを必死に我慢しているかのような。
そういえば彼女は、僕と出会ったときも似たような表情をしていたな。
フォルティノと出会ったのは、丁度こんな路地裏。パールとパーティを組み始めた頃だったか。
その頃はフォルティノは――何と言えばいいのか。魔導師の卵であり、駆け出しの探索者でもあり、決して素養も低くなかったのだが。
けれど何処のパーティでも重用されていなかった。ひとえに、その極端な臆病さゆえに。
『あの、ぃえ……すみません。なんでも、ありません』
『ちが、違います。何でもないんです。自分が悪いんです』
何時も自信なさげで、下ばかりを向き、何かあれば謝ってばかり。
探索者というのは、誰も彼も自我が強い連中だ。自分の強さを誇り、顔面蒼白の弱さを嫌う。そんな連中にとって、当時のフォルティノは不快なものとして映ったに違いない。慎重さにも繋がるその臆病さは、物笑いの種になった。
そんなものだから、フォルティノは様々なパーティを転々としては、都合の良い雑用係のような扱いを受けていた。
才能はあるが、その臆病さゆえに発揮できず。パーティに意見を言う事も出来ず、報酬だってろくなものを貰っていなかったに違いない。
無惨なものだ。人類種の社会とは得てして、同種の歪みを持つ。人は能力の高低のみで評価される事はなく、不器用な者、溶け込めない者はそれだけで追加の手数料を支払わされる。
小馬鹿にされ、嗤われながら、コミュニティの中で生きていく事を強要されるわけだ。
当時のフォルティノは、まさしくそれだった。
この路地裏で、大雨に打たれながら彼女は一人座り込んでいた。びしょ濡れになり、ろくに手入れも出来ていない服を身に付けながら、膝を抱えて。
『いえ、その。違うんです。自分がまた失敗しちゃって、だから宿代を払って貰えなくて、その』
じっくり十数分かけてようやく事情を聞き出したら、何でもない話だった。
パーティでの探索で思った以上の成果が上がらず、怪我人さえ出る無様な有様。フォルティノは魔導師としての仕事はしていたが、それでも失敗の責任は彼女が取らされた。
何故って、簡単だ。彼女は反抗せず、何時も謝らされ、責任を押し付けるのに都合が良かったから。
公平さなんてものはこの世にない。誰にとって都合が良いか、ただそれだけ。
『その……ええと、あの。きに、気にしないでください。自分は、何時もこう、なので。大丈夫です。魔導が使えるから、身体も丈夫だし』
都合良く使われながら、それでいて健気に笑顔を浮かべて見せる。
彼女が今までどう扱われ、どんな生き方を強要されたのか、理解出来てしまう笑み。
『フォルティノ、僕はいずれギルドを作るつもりだ。まだ賛同してくれた仲間は二人しかいないが、君も来ないか』
その笑顔が、忘れられなかったからだろうか。ギルドの設立を真面目に考え始めた時、彼女にも声をかけた。
『い、いえ……。その、自分なんかが、行っても迷惑になるだけ、ですので』
彼女は何度も謙遜し、自分自身を貶め、断った。
そんな彼女にワインを奢りながら、言ったのだ。
「――フォルティノ。生きていくだけならそれで良い。逃げ続けて、世界の果てまで逃げればそれで片が付く」
「……但し、尊厳ある生き方がしたいのなら、話は別だ。そう続くんだろ。このフォルティノ様をまだ小娘のままだと思ってやがんのか? ええ?」
すっかり逞しくなったフォルティノは、紫瞳を凛然と輝かせ、牙を剥くような勢いで僕を見た。
「分かってる。お前がそんな風にしか生きられないのはな。パールよりも、勇者よりも自分がよく知ってるよ。散々身体に教え込まれたからな」
「誤解を生むような言い方はやめてほしいがね」
彼女の表情は、未だに憂鬱さを滲ませたままだった。溢れんばかりの感情が顔だけではなく、全身から伝わってくるよう。
フォルティノ意を決したように、一歩、また一歩と僕に近づいてくる。お互いの呼吸が重なりそうな距離で、彼女は囁いた。
「全部分かってる。お前が本当は自分と同じくらい臆病で、なのに誰よりも勇敢だって自分だけは知ってる。知った上でもう一回言う。逃げちまおうぜ。自分の『雷鳴』なら誰にも追いつけやしねぇ。尊厳? 犬にでも食わせとけ。それで死んじまうよりずっと良いじゃねぇか」
不意に、フォルティノの重みが胸に寄りかかって来る。体格は僕より少し小さい程度。だが想像以上に衝撃は軽い。女性らしい体つきに反して、こんなにも彼女は華奢だったのかと今更に実感する。
フォルティノは僕の胸元に頭を押し付け、両手でしがみつきながら言った。
「それじゃ駄目、か? ……最近良い事ばかりで、忘れてたんだよ。お前はずっといてくれるし、帰ってきたら歓迎してくれる。自分なんかにこんな幸せ、絶対続くはずないって分かってた、分かってたはずなのに! お前がいなくなったって聞いて。最初、動けなかったんだ! もうお前と会えないかもって思ったら、指一本ろくに動きやしなかった!」
彼女の声一つ、震える指先一つで、全てが伝わってくる。彼女の瞳が感情の滴によって濡れている事も、彼女が本気で僕なんぞを思いやって言ってくれている事も。
「お前は、自分を助けたじゃねぇか。手を取らせたじゃねぇか。だから、頼むから。言ってくれよ――逃げよう、って。自分ならお前を守ってやれる。二度と傍を離れたりしねぇ!」
紫の髪の毛が、感情を表すように宙を揺蕩う。
その背中に手をやりながら、僕は自分自身を殴りつけてやりたい気持ちにさえなった。
よくもまぁ彼女らを指して、僕の追放に賛同しているかもしれないなどと疑ったものだ。これほどに真摯に身を案じてくれている彼女らに対して、疑心に駆られたものだ。クズにも度合いというものがあるだろうに。
「ありがとうフォルティノ。光栄だよ。君の言う通り僕は臆病者だ。だから卑怯な手ばかり思い尽くし、人が嫌がる事も分かる」
今までもずっと、人の弱みに付け込んで生きて来た。エルディアノの設立やギルド連盟の権勢拡大だって、同じようなやり口だ。
だから弱みに付け込まれて全てを失い、今は再び路地裏を彷徨っている。
「だけど、もう一度だけ無茶を許してくれ。エルディアノはろくに居場所がない連中ばかりで作ったギルドだ。君や僕、そうして他の連中の唯一の居場所だろう?」
だからあのギルドを作ったんだ。居場所がない者のための、居場所になるために。規模が拡大するにつれ、失われていってしまった最初の目的。
「奪われたままで終わったら、もう二度と僕は立ち向かえなくなる。そいつは辛い」
「……今でも、散々無茶してるだろうに。魔力だってすぐ戻るもんじゃねぇ。どうすんだよ」
痛い所を突いてくるな。実際、マーベリックに見せた魔力の炸裂も、結構な無茶だ。あれだけで身体が重い。
「今言ったばかりじゃないか。守ってくれるんだろう? フォルティノ」
フォルティノが胸元にしがみつきながら、顔を上げて目を見開いた。
紫瞳にあるのは動揺ではなく、衝撃でもなく、とめどない熱量。両手で強く抱き着いてきながら、彼女は瑞々しい唇を跳ねさせた。
「任せとけよ、アーレ。例え地の果てだろうが天の頂きだろうが。このフォルティノ様がお前を守ってやる」
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