第二十二話『彼ら、者ら、奴ら』

 フォルティノの傍らに腰をかけ、大図書館の首席司書、マーベリックと視線を合わせる。相変わらずの小柄な体格と相貌こそ愛らしいが、決して侮ってはいけない。


 エルディアノを設立するよりも、いいやそのずっと前から魔導師の派閥を率いて来た女傑。交渉も人並み以上にこなしてきた事だろう。


 さて、僕如きの舌に巻き込まれてくれるかどうか。


「……それで、旧王都を縄張りにギルドを作るのは、貴方の発案なのよね?」


「勿論。パールにフォルティノ、それにエルディアノメンバーの一部も付いて来てくれるというからね。彼女らを放ってはおけないだろう?」


 一部、というのはルヴィ一人を指すのだが。嘘は言っていない。相手が勝手に誤解してくれれば良いだけだ。マーベリックは聡明であり頭の回転が速い。こちらの思惑を想定以上に読み取ってくれる事だろう。


「旧王都の方でゆっくりしても良かったが、ギルド連盟が随分とぎくしゃくしているらしいじゃないか。古巣がそんな状況だと、僕も心が痛む」


「否定は出来ないのよね。貴方も知っての通り、あそこは自我が強いのが多いから」


 当然だ。どいつもこいつも、一座や一族を率いてるギルドの長。そんな連中が集まって、仲良しこよしが出来るはずがない。意見が完全な一致を見るのはごく稀だ。


 僕がエルディアノのギルドマスターをしていた時代も大して変わらない。仲裁に次ぐ仲裁、調停に次ぐ調停。それで尚、誰もが自分勝手を主張し続ける。


 ギルド『連盟』などと言っているが、実態はそんなものだ。


「……でも、ある意味当然なのよね。結局あの組織は皆の頭を抑えつける、貴方のような調停者がいないと成り立たないのよ。身共も含めて、そこの所を理解していなかったというわけね」


「世辞はよしてくれ。本気にするだろ。それに仲裁も調停も、幾らしても何の意味もない。探索者が誉れにするのは武名だけ。よく分かってるだろう?」


 幾ら骨を折って調停を纏めても、恨まれはすれ感謝はされない。そんな無様な役回りをするのが、僕以外にいなかった。現状をシンプルに纏めるならただそれだけだ。


「おぉい、アーレ。自分達はそんな話をしに来たわけじゃねぇぜ」


 雑談が他の方向へ流れ出した途端、フォルティノがワインを片手に軌道を修正してくれる。


 これでも彼女は、マーベリックと比肩するほどの才女だ。長ったらしい交渉を嫌う典型的な探索者であるパールとは違い、言葉を重ねる意味を理解している。


 今回指定された人数が二名で本当に良かった。パールがここにいたら、恐らく話が進んでくれない。


「さて、マーベリック。君なら、ギルド連盟がこの後どうなるか、想定はついているな」


 マーベリックが眦に緊張を漲らせる。


 彼女は言葉を慎重に選びながら言った。


「まず間違いなく、大分裂を起こすのよね。それこそ、ギルド連盟が機能する前と同じ。で、今の状況でそれをやったら、間違いなく王室に取り込まれる。もしかすると、すでに王室に膝を折ってるギルドもあるかもしれないのよ」


「話が早くて助かる。エルディアノは勿論、ギルド連盟も僕の元巣だ。そんな結末は避けたい」


 偽らざる本心だ。


 エルディアノは僕が彼女らと造り上げたもの。返してもらうし、その前に下らない連中に取り込まれるのは到底許容しかねる。それこそ、多少の無茶をしてでも。


「とするなら、王室やそちら側につくギルドに対抗する必要がある。ここまで言えば意味は分かるか」


 マーベリックは一瞬、僕を疑うように目をつりあげ、しかしてすぐに結論を口にした。


「……身共らと、手を組みたい。そう言っているのよね?」


「相応の資金は集められる。価値はあると思うがね」


 ゆっくりと空白の時間を挟みながら、彼女は言葉を継いだ。


「意図は理解するし、意義も分かるのよ。けれど、それは出来ない。貴方、王都でどう呼ばれているかも知っているのでしょう?」


 沈殿していた汚物を掬いあげるような表情で、マーベリックが告げる。


 よく知っているとも。エルディアノから追放された後、王都の新聞が僕をどう描いてるかなんて。


 負け犬、脱走者、血濡れの反逆者――腐った死体なんて、懐かしい二つ名を持ち出してくれた奴らもいる。僕の全盛期には盛り立てるような記事を書いてくれてたものだが。奴らは、物事を面白おかしく仕上げるのが商売だ。


「貴方はもう死んだとする風聞も多いのよ。もしくは、魔境に潜んで王族殺しを狙っているともね。ギルド連盟が機能していない状況で、身共が貴方と手を組んだと知れてみなさい。すぐさま、大図書館は共通の敵になる。そんな危険を、身共が犯すと思う?」


 見事な正論だ。流石はマーベリック。昔パーティを組んだ時も、その智恵には助けられた。勇者やパール、フォルティノとも並ぶ才女。


 僕には眩し過ぎる存在だ。さて、彼女をどう突き崩すか。


「つれねぇなぁ、お嬢。大図書館は何よりも大事ってか」


「ええ、その通りなのよフォルティノ。貴方も理解出来ないわけじゃないでしょう。ギルドは領邦。ギルドメンバーは領民。第一に考えるのは当然なのよ」


 本来の貴族に近しい精神性が、マーベリックの芯にはあった。それだけを見るならば、彼女からは手を引いても良いと、僅かに思ってしまえるほど。


 気高く、貴ぶべき輝かしさがある。


 けれども、だ。


「でも、久しぶりに貴方に会えて安心したのよアーレ。案外、平気そうで安心したのよね――」


 ――その言葉は、安易だと思わなかったのか。才女様よ。


 全身の血流が、沸騰するほどに熱を帯びる。心臓は炎であり、内臓は火薬そのものであった。


 久しぶりに会えてうれしかった。


 平気そうで安心した。


 エルディアノと同盟を結んでおきながら。ギルド連盟の一員でありながら。僕を見捨ててくれておきながら。よくぞ吐いた。よくぞ抜かした。


 無論、それは僕の不甲斐なさだ。彼女を責める気はない。彼女は自分にとって正しい判断をした。誰だって、自分にとって不都合な過去よりも、栄光の未来を選ぶもの。


 素晴らしい。


 ならば、僕も同じ事をしていいわけだ。


「残念だよ、マーベリック。だが、君と僕の仲だ。一つだけ忠告をさせてくれないか」


「? ええ、何の話かしら」


「僕が廃魔現象に陥ってから二年以上が経った。その間に随分と研究をしてね。と言っても、エルフの血が混じる君からすれば瞬きほどの時間だろうが」


 遥か昔から今の姿を保持するマーベリック。だからこそ彼女には、僕と仲間達が積み上げてきた年月の価値が分からない。エルフやドワーフを含む人類種の中で、特に短命である人間の思考は理解出来ない。


 彼女らに『正しく』通じる言語はただ一つだ。


 全身の魔力をかき集める。未だ結界の中では些細な事しか出来ないが、それだけで十分。何時ものルーチン。指を開き、握り、鳴らす。


 指先に生じたのは魔力の閃光。何一つの工夫はない。ただ身体に通る魔力を軽く燃焼させただけ。


 ――廃魔現象に陥っていない探索者なら、誰でも出来る。


「――――今、何をしたの、アーレ」


 だがそれだけで、マーベリックの目つきが急激に切実さを増していた。余裕と慢心が消失し、剥きだしの感情が露わになる。


 良かった。君なら今のアクションだけで全てを理解してくれる、そう信頼していたよ。聡明なままでいてくれてありがとう、マーベリック。


「廃魔現象の治療方法が分かった。構造は単純でね。魔力を阻害している要因を抜き出してやれば良いだけだ。時間はかかるが、全盛期の魔力も取り戻せる」


「……そんな馬鹿な事が」


 そう言葉を発したのは、マーベリックの背後に控える秘書官だった。


 普段は従僕に徹し、こういった交渉事に口を挟んでこない。しかし主人の動揺ぶりを見て、場に入らざるを得なかったのだろう。


「あぁん? お前、本当に魔導師かよ。魔力結晶を使った手品と、自前の魔力を使った代物。そいつを見分けられねぇなら魔導師なんてやめちまった方が良いぜ」


 フォルティノが添えると、秘書官は言葉を選びながらも、もう一つ重ねる。


「しかし廃魔現象は、我らエルフにも原因が特定出来ない特異現象です。そう簡単に解析が出来るとは……」


「おい」


 エルフは人類種の中でも、特に魔力操作に長けた種族だ。魔導師にもエルフの血を引く者が多く、彼女らにとっての誇りの一つと言っても良い。


 人間出身のフォルティノに対し差別的な言動を取る事こそしないが、それでも自分達こそが魔導に対する優越者だという傲慢はある。


 そこに喰いつくようにフォルティノが言った。


「このフォルティノ様を、何だと思ってんだ。黙ってろド三流」


 ばちりと、部屋中に雷鳴が駆け抜ける。それだけで秘書官は否応なしに唇を閉じた。


 フォルティノは流石に上手い。ここで下手に深く聞かれて、魔性との繋がりを勘ぐられるのは最悪だ。しかし今の一幕で、マーベリック達はフォルティノこそが廃魔現象を解析した張本人だと認識した。

 

「……話の続きだ、マーベリック。まだリハビリ中だが、僕はいずれ魔力を取り戻して王都に戻る。新しいギルドを率いてな。その時、王都を統べてるのが王室かギルド連盟かは分からないが。僕がする事はただ一つだけだ」


 フォルティノからワイングラスを受け取り、軽く口にしてから言う。


「敵対した『彼ら』、貶めた『者ら』、見捨てた『奴ら』」


 昔は、確かこんな口調と重さで話していたっけな。懐かしい。


 他の連中に気を使う必要がなかった頃だ。仲裁や調停は愚か、懐柔の必要性も理解していなかった頃だ。それはそれで、楽しかった。


 無理やり笑みを浮かべて言う。


「――全員、地の果てまで追い詰めて粉砕する。完全にだ。その時、ようやく彼らは心底から思い出す。誰と敵対し、誰を貶め、誰を見捨ててしまったのか。マーベリック、君は一つだけ勘違いをしている。僕はここに、交渉をしに来たんじゃない」


「……どういう意味、アーレ?」


 主席司書様は苦虫を嚙み潰したような表情で、それでいてはっきりとこちらを見ている。


 愛おしい恋人を見る気持ちで言った。


「旧友への義理で確認をしにきただけだ。君は僕の味方か、それとも敵に回るのか。どちらでも良い。手間が一つ増えるのか、減るのか。それだけだ」


「考える時間は貰えない、というわけよね」


「僕がどういう趣向か君はよく知っているだろう。昔、パーティを組んでいたんだから」


 マーベリックは橙色の頭髪を耳元から跳ねのけるようにかき上げ――ゆっくりと口を開いた。

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