第二十四話『魔導師は語れり』
――フォルティノ=トロワイヤは語る。
アーレ=ラックは、人間という規格を踏み外している。それは決して良い意味ではなくて、人間にあるべき本能や原則からも外れているという事。
人類種に数えられる全ての種族に共通するのは、自分自身を最も大切にするという一点。
例え慈愛に満ちた聖女でも、自己犠牲を是とする信徒でも、そこは変わらない。
彼らは他人が大事だから慈愛と自己犠牲を肯定するのではなく、自分の信仰が大切だからこそ、他者に手を差し伸べるのだ。
それは正義であり善だ。間違いがない。生物的にも、倫理的にも肯定されるべき行いだ。
しかし、アーレは違う。
彼は全ては自分のエゴだと語りながら、驚くほどの気軽さで、他者の為に動いてしまう。
それを何と呼ぶべきか。慈愛、自己犠牲、はたまた善行? フォルティノはどれも違うと断言する。
アレは呪いだ。彼はそうあれかしと望まれ、そうあらねばならなかった。
その果てに、とうとう彼はその生き方こそ、自分が望んだものだと認識するようにさえなってしまった。
誰が、あんな有様にしてしまったのだろう。
もしかすると自分か、パールか――それとも彼女か?
けれど、そんな生き方にフォルティノが救われたのは紛れもない事実だった。
あの日、あの時。自分は何時もみたいに宿に寝泊まりする事を仲間から許されず、路地裏で雨に打たれていた。
魔力で強化さえしておけば、雨の中寝ても死ぬ事はない。だから、自分が外で寝るのは一番合理的な選択だ。それに、一番役立たずな自分が外で寝るのは当然。迷惑をかける自分がいけない。
そんな風に自分を納得させて、そろそろ眠りにつこうかという頃だった。
『流石にそこで寝るのは無理だろ。どんな身体してるんだよ君は』
同じように雨に打たれながら、アーレ=ラックがそこにいた。視線を合わせるように屈み、自分をまじまじと見つめていたその瞳。
溌剌とした美しさと、何処か強さを持った輝きは、当時の自分には眩し過ぎた。
『その……ええと、あの。きに、気にしないでください。自分は、何時もこう、なので。大丈夫です。魔導が使えるから、身体も丈夫だし』
『だからと言ってここで寝る必要はない。寝る場所くらいなら用意してやるよ』
自分はてっきり、彼が夜の相手でも求めているのかと思ったのだが、特にそんな事はなく。普通に宿屋のベッドを用意してくれた。その後も自分が外で寝ているのを見る度、食事や宿を奢ってくれたものだ。
正直、何故彼がそんな真似をするのか分からなかった。当時の自分がよっぽどみすぼらしかったために、情けでも受けているのかと思っていた。
『フォルティノ。別にそんな申し訳なさそうに食べなくて良い』
『で、でも。自分は食事を奢ってもらう身分ではないですし、それに頭も悪いし、馬鹿で、何もできなくて』
馬鹿で、要領が悪い出来損ない。
それが周囲から与えられた自分の評価だった。間違いない。自分でさえそう認めていた。
少し魔導が使えるだけの、それ以外に価値のない人間。人様に頭を下げて生きていくしかない、そんな人生。
けれど、彼はけろりとした顔で言ったのだ。
『どうでも良い話だろ。僕だって生まれは劣悪だし、未だギルドにも所属してない駆け出し探索者だが堂々と生きてる。人は自ら着るにせよ、周囲から与えられたにせよ、自分の役回り通りの扱いを受けるもんだ。僕は僕以外の役は御免だね』
『……そう、なんですか。でも人の役割は、神様が決めるものだと』
『そうとも。だから神様は僕の行いを全て肯定しているし、僕に僕という役割を宛がってるに違いない。そう信じている』
率直に言うならば、フォルティノはアーレの正気を疑った。
神への信仰の深さは、当然人によって差異がある。けれども、神様をそんな都合よく捉えてる人間は初めて見た。何時か罰が当たるのでは、と恐怖さえする。
けれどそんな何気ない一言一言が、フォルティノの心を常に軽くしてくれた。鉛で出来た身体を、彼の言葉が少しずつ普通の身体へ戻してくれている。
それから何度も交流を重ね、果てにギルド――後のエルディアノへと誘われたのだ。その際、自分の元パーティメンバーと争いさえ起こしながらも、彼は自分の手を取ってくれた。
一度、アーレに聞いた事がある。どうしてそれほどまでに、自分に肩入れしてくれるのか。
あの頃の自分は芽が出る気配もなく、都合の良い雑用係で、あのまま何処かで野垂れ死ぬ可能性の方がずっと高かった。パールのように、最初から武技で頭角を現していたわけでもない。
なのに、何故。彼はさらりと言ってのけた。
『僕も雨の中で何度か寝た事がある。最低だろ? 君、人生なんてどうでも良い、みたいな目をしてたぞ。そんな君に教えてやりたかっただけだ。人生は従うものじゃない。自分でぶん殴って言う事聞かせるもんなんだよ。人生ってのはソレで、ソレが人生だ』
何て暴力的で、何て無感動で、何て不合理な救済。しかし、フォルティノは一つの感触を覚えていた。
膨大な極光が過去から未来を貫いて、暗闇であった全生涯を悉く照らし出しているかのような情動。
きっとこれをこそ、人は恋と呼ぶのだ。
「――アーレ、さっさと王都は引き上げようぜ。自分の魔法ならすぐだ」
だから、守ろう。だから、戦おう。規格外の相手に向けた規格外の恋のために。
その為に、『雷鳴』の二つ名さえも手に入れたのだから。彼に縋りつき、そうして彼にも頼られる。互いに依存しあう在り方。これ以上に美しい関係性など存在しない。
「そうしよう、パール達も動いてくれてるはずだからな。フォルティノ、休むなら今日までだ。明日からは本格的に休む暇はなくなってくる」
「へぇ。お嬢との協定、それに王都で仕入れた情報、成果は上々ってわけだ」
「勿論、そのために来たからな。覚悟してくれよ、新ギルドの本格稼働だ」
*
大図書館ギルドハウス。古書の匂いが満ちる古巣に帰って来ると、マーベリック=ハーバーはようやく落ち着いた心地になった。
上着を秘書に預けて、寝転がるようにソファへ腰かける。もう今日は仕事をする気にもならなかった。
「マーベリック様、その」
「聞きたい事は分かっているのよ。どうして、アーレに協力する選択をしたのか、でしょう」
結局、隠れ家での密談において、マーベリックはアーレの圧力を避け切れなかった。
公にしない事だけは受け入れさせたものの、相手からすればそれは最初から織り込み済みだろう。今後、物資や情報などで相互支援を余儀なくされる。
「けど、悪い話ばかりでもないのよ。アーレの動きはいずれ王都でも一番のトピックになる。その時に情報を握っている身共と、何も知らない他ギルドとでは大きな差がでるはずなのよ」
特に、彼の魔力が戻るのであれば猶更だ。それがすぐの話か、それとも暫く時間がかかるのかはここから推し量る事になる。
しかし秘書は、軽く首を横に振って応じた。
「いいえ、そうではありません。マーベリック様なら、あの場で――」
「――ちょっと。何を口にしようとしているわけ?」
「ッ!?」
マーベリックの双眸が、鋭く秘書の喉を穿った。それだけで彼女は喉に耐えがたいほどの熱を感じ、その場で床に膝をついてのたうち回る。
やや熱が残る両眼を瞼越しに抑え、マーベリックは口を開いた。
「貴方、話を聞いてなかったの? アレは保険なのよ。実力行使をするためのものじゃない」
フォルティノとの密談。具体的な隠れ家の場所を指定したのはマーベリック側だ。とすれば、必要なだけの用心は当然する。
今回も隠れ家の周囲に五人ほど魔導師を置いていたし、もし相手側がこちらに危害を加えるようであれば、その場で制圧する腹積もりだった。
無論、大図書館が有利になるならば、即座に実力行使をする可能性もあったが。
「本当に、アーレの事を知らないのね貴方達。不思議なのよ。意図的に彼が情報を止めてたのかしら」
まだ疑わしい点はあるが、もし本当に彼が魔力を取り戻したのならば。実力行使などとんでもない話だ。エルフの血を持つマーベリックらにとって、最も厄介な魔を使う者。
かつてアレを殺そうとした者は幾らでもいた。剣で切りつけ、槍で貫き、魔導で焼き尽くす。そんなもの、誰だって試したはずだ。毎日のように襲撃を受けたはず。
それで尚、彼は死ななかった。そうして必ず、報復を成し遂げた。
故に、市井において時に不死者と恐れられ、時に腐った死体そのものなのだと侮蔑される。
「とにかく。この話はもう口に出さないこと。身共が全て指示を出すわ。余計な真似をすれば許さないのよ」
秘書は声が出ないのか、必死に頷きながら肯定した。
一先ず、目先の騒動における大図書館としての方針は定まった。王都のギルド連盟とは一定の距離を保ちつつ、アーレの新ギルドに協力する。悪くない立ち位置だ。
これから大変なのは――今のエルディアノだろう。パールに加えて、フォルティノまで正式に離脱するとなれば。
どれほど騒動になっているのか、マーベリックは想像すらしたくなかった。
それに、彼の怒りを買ってしまう恐ろしさ。
「あれは、流石に失言だったのよね」
唇を噛みながら、自分の迂闊さを呪う。やはり、彼の影響力はすでに失せたのだと、心のどこかで思い込んでいた。物事がそう簡単でないと分かっていたはずなのに。
一つ、思い出し。マーベリックは秘書に指示を出す。
「明日、エルディアノとの会談予定があったわね。情報を取りにいくのよ。用意を今一度確認させて」
大図書館のためにも、彼の機嫌を損なわないためにも。自分が動く必要がある。
首席司書は、頭を痛めながら再びソファから身体を起こした。
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